今年2012年の敬老の日を前に厚労省が発表した100歳以上の高齢者人口が51,376人になったと12月24日付けの日経新聞Web刊に出ていました。でも一方で長寿を全うされる人びとが多い反面、40、50代で人生を終える方もいます。
PSI的には長く生きるということ以上に人生を謳歌して楽しく、悔いのない人生をいかに生きるかということが重要だと考えています。ただ人生楽しむためにはやはり長生きしていろんな経験や体験をしたいものです。でさらに重要なことは楽しむためには健康であるということが欠かせません。昔は寿命は短かったものの、健康で生活して、逝くときはすっと逝けたということがあります。すなわちピンピンコロリで人生を終えることができたということです。しかし現在は寝たきりになって介護状態になっていまうという現実があります。いまや介護は一大ビジネスといえるくらい大きな市場と化しています。
今は医療の進歩と同時に延命措置を取ればどこまで生き続けるかわからないという時代です。まして今年のノーベル医学・生理学賞を受賞した山中教授の取り組んでいるiPS細胞(何かPSIと似ていて親近感を感じます^^)がどんどん実用化されたらますます寿命は延びていくのではないでしょうか。
PSI的な考え方は長生きするに越したことはないのですが、それは「健康」でというのが前提です。なぜなら長生きしたとしても寝たりきりで家族や親族に迷惑をかければ、それは自分自身にとっても周囲の人びとにとっても不幸なことだからです。ただ絶対に寝たきりにならないという保証は何もありませんし、このコラムを書いている私自身においても自信はありません。また家族や身内の手を煩わせないように介護施設等の社会的な力を借りて最期を終えるために一生懸命お金を貯めてなんてのも一つの方法です。それはそれでとても賢明な考え方だと思います。とにかく老後がどうなるかというのはだれにも分かりません。ただPSI的な考え方として健康で長生きして家族や周囲の人びとと楽しく人生を送ることを推奨したいわけです。そのためにはまず自己管理という一言に尽きると思います。
自己管理は大きく分けて二つあります。心の管理とからだの管理です。この二つは大きく相関関係にありますから、両方がとても重要だと思います。100以上の方々にアンケートをとると、長寿の秘訣は「のんき暮らし」「腹八分目」「規則正しい生活」などがあげられています。これらのことから、PSI的には自然体で生きるということをとても重要視しています。心にもからだにもバランスが重要ということで、負荷がかかりすぎる生活はやはり人間自体が消耗品であるがゆえに人生を短くしてしまうと思います。
まず心の面から言うとストレスからの脱却ということになるでしょう。PSIがもっともいいレベルだと考えるのはストレス解消<ストレス脱却<ストレス回避です。最初から、自分の生活圏のストレス要因を排除していくことをおすすめしています。でもそんなことが果たしてできるのでしょうか。実はストレスというのはさまざまな出来事自体にストレスが存在しているのではなく、その事象をどう捉えているかという人間主体の考え方、とらえ方によってストレスかどうか決まっているのです。したがって同じ環境に置かれてもストレスを感じる人と感じない人がいるのはそういうことです。ちょっとしたことでカーッとなる人もいれば、少々のことでは動じず、冷めた目で見ている人、またいつもイライラしている人がいるかと思えば、いつものんきに他人事みたいに考えている人など、人それぞれ違います。結論から申しますと、ストレス要因をストレスにしない考え方やとらえ方、フレームを自分の中に持っておくということになります。ただそのフレームは実際場数を踏まなければ強固なものにはなりません。でもその考え方を知っておくことで対処の仕方がわかるというものです。
かけがえのない人生、大切な人に伝えましょう!トラックバックも大歓迎。しあわせの輪をひろげていきましょう!
2012年12月24日月曜日
2012年12月20日木曜日
叱るってどうなの……。
最近は「マネジメント」という観点が会社経営にはとても重要視されています。
一昔前は生保や自動車などのトップセールスマンの本って結構売れていたように思いますが、今はそのような個人のスキル、すなわち総合的な人間力に立脚した半ばちからわざの手法はあまりもてはやされません。以前のようなストレスのかかる営業系の仕事は人気がないですし、そういった手法はマーケティングといった観点からも今では息をひそめています。ごく一部で求人欄に常に掲載されていて、とんでもない額稼げますなんてうたっている企業はいまだそ旧い手法を使っているのでしょうが、今では化石のような存在になっています。(それこそ天然記念物、悪い意味で無形文化財として残していくことも面白いかもしれません。)
以前テレビで、ある飲食系のチェーンを展開している会社の店長会議でそこの会長だかオーナーが一店長を全体の前に立たせて怒鳴っているのをみて目がテンになったことがあります。もちろんその店長も組織の一員として経営トップの理念や方針に従っているので、素直にその恫喝を受け入れ気合を入れていたように感じました。ただ私にはそれは集団の前での見せしめであり、恐怖で全体を管理するカルトチックな手法にしか映りませんでした。これはある種の集団圧力を利用したいじめと言えなくもありません。確かにその会社がオーナーだけのものという観点なら、嫌なら出ていけという観点も当然あるでしょうが、組織は血の通った感情を持つ人間で形成されているのです。そういった手法は組織の成員の自立心を阻害し、最終的には感情を持たずに働くロボット人間をたくさん排出するのみとなると思います。
怒ると叱るは全く違うんだという観点もあるでしょう。前者は感情的で怒る側の自己中心的意識が働いているのに対して、後者は相手の立場や成長を考えてのことと言えないわけでもありません。いずれにせよ行為として同じならば、やはり受け取る側がどうとらえるかということが重要だと思います。PSI的には最低限相手が傷つかないことが前提でなければならないと思っています。ということは相手を叱るという行為は徹底的に相手に対する愛情関係が成立していることが前提であるということです。互いに愛情関係が成立しているということは相手を叱るなどという行為は基本的にはできません。それでもそういう行為に至る場合、叱られる側以上の苦痛を叱る側が感じていなければならないというのがPSI的観点です。企業のトップや役員の中にはいつも周りに怒鳴り散らしたりしているという話も聞いたりしますが、彼らは異常な人格になっているだけだと思います。サドだとかいうことを通り越して、半ばサイコパス状態とでも言ったらいいのか……。そういった人の周りはすでに自分を殺して、あるいは怒鳴り散らす人に対してまったくコミットせずに怒鳴られることを毎日ただの儀式として通過しているだけのように見えます。したがって怒鳴ってもほとんど聞いてないし、怒鳴るのでとりあえずそれに対して怒鳴られないように部下はパーフォーマンスするだけという行動になっていきます。実際のところ叱る、怒る、怒鳴るが常態化している上位者がいる組織は実質的な業務に関してはとても非効率な時間や行動を強いられているという現実があります。
とにかくしょっちゅう叱る、怒る、怒鳴るを平然としている人は本人は優越意識の塊でしょうが、すでに周りからは完全に浮いていて、裸の王様状態になっていることは間違いありません。そもそも優越意識と劣等意識は表裏一体、裏表の関係なので、劣等意識が強く、反骨精神で叩き上げという経営者がそういう状況になっていくケースが多いように思われます。騙された人は猜疑心が強いですし、甘やかされた人は無防備です。PSI的には何事もバランスが大切です。優越感を持ちやすい人は劣等意識の塊で過去の経験に基づいてそういう意識形成がなされているという認識を持ち、自分をよく見極める作業が必要です。
また相手が叱られることで実力を発揮するような人がいて、計算づくでいつも叱ってモチベーションを上げて部下を動かそうという上司もいます。確かに瞬間風速的に効果が上がったりしますが、決して持続するものではありません。そのうちその部下は叱られなきゃ動けない人になってしまいます。やはり自立心を失っていくんですね。結局叱られないようにするためには指示がないことは一切しないし、自分で機転を利かして、臨機応変に行動するという観点は皆無になります。組織をより活性化してイノベーションもどんどん起き、生き生きとしたものにしたいと思われるなら叱る、怒る、怒鳴るといった感情に訴える手法は極力避けるほうがいいと考えます。
よく部下の叱り方だとか、いい叱り方とかその類の書籍がよく書店に並んでいましたが、部下を叱れなくて悩んでいる管理職のみなさん、叱れなくていいんです。怒ったり、怒鳴らなくていいんです。それは責任を持つ上司は叱るみたいなひとつのすり込みです。肩の荷を下ろしてください。業績が上がらなくて苦しんでいる部下に対しては一緒に考えてあげてください。業績が上がらない理由は実際市場が必要としない売れないモノを売っているとか、デザインや価格、あるいは販売のシステムに問題がある、販路が間違っているなど理由がほかにある場合もあります。部下と一緒に気づくということが大切です。毎日遅刻してくる社員がいたら、ホントに社員だけに問題があるのでしょうか?遅刻が常態化すると、みんなが何も言わなくなります。で暗黙のうちにあの人は遅刻魔だとレッテルを貼ります。そうすると自分に対する組織全体が醸し出す空気は自分を受け入れていないという空気を察知し、会社に行きたくなくなります。人間は感情をもつ生き物、そういった意識が空気となって伝わります。また実際体が調子が悪いとか理由もあるかも知れません。子どもを見ているとよくわかります。休みの日は早起きです。テーマパークに友だちと遊びに行くときは遅刻しません。
叱りたい、怒りたいという感情が出てきたとき、一旦相手の事情に立って考えてみましょう。また相手に対して自分が好きだという意識や情があるかということもよく考えてみましょう。そうすると相手に対してちょっと優しい気持ちになれるはずです。そして最良の方法で行動できるはずです。
上司が部下に受け入れられているかどうかはまず気持ちの問題が大きく左右されるということを知っておいてください。もちろん最近では逆もあります。上司が自分を理解しない(誤解したり、批判的)のは上司の気持ちを自分がどれくらい理解しているかということ考えれば、あまり突き上げたりかっかせずに済むようになります。
それでも人間、どうしても好きになれない、一緒に仕事したくないという人もいます。女性の方がよく言うのは「もう生理的にあの人ダメ」っていう話です。そういう場合どうしたらいいか、それに関してのPSI的見解はまた次回述べます。
一昔前は生保や自動車などのトップセールスマンの本って結構売れていたように思いますが、今はそのような個人のスキル、すなわち総合的な人間力に立脚した半ばちからわざの手法はあまりもてはやされません。以前のようなストレスのかかる営業系の仕事は人気がないですし、そういった手法はマーケティングといった観点からも今では息をひそめています。ごく一部で求人欄に常に掲載されていて、とんでもない額稼げますなんてうたっている企業はいまだそ旧い手法を使っているのでしょうが、今では化石のような存在になっています。(それこそ天然記念物、悪い意味で無形文化財として残していくことも面白いかもしれません。)
以前テレビで、ある飲食系のチェーンを展開している会社の店長会議でそこの会長だかオーナーが一店長を全体の前に立たせて怒鳴っているのをみて目がテンになったことがあります。もちろんその店長も組織の一員として経営トップの理念や方針に従っているので、素直にその恫喝を受け入れ気合を入れていたように感じました。ただ私にはそれは集団の前での見せしめであり、恐怖で全体を管理するカルトチックな手法にしか映りませんでした。これはある種の集団圧力を利用したいじめと言えなくもありません。確かにその会社がオーナーだけのものという観点なら、嫌なら出ていけという観点も当然あるでしょうが、組織は血の通った感情を持つ人間で形成されているのです。そういった手法は組織の成員の自立心を阻害し、最終的には感情を持たずに働くロボット人間をたくさん排出するのみとなると思います。
怒ると叱るは全く違うんだという観点もあるでしょう。前者は感情的で怒る側の自己中心的意識が働いているのに対して、後者は相手の立場や成長を考えてのことと言えないわけでもありません。いずれにせよ行為として同じならば、やはり受け取る側がどうとらえるかということが重要だと思います。PSI的には最低限相手が傷つかないことが前提でなければならないと思っています。ということは相手を叱るという行為は徹底的に相手に対する愛情関係が成立していることが前提であるということです。互いに愛情関係が成立しているということは相手を叱るなどという行為は基本的にはできません。それでもそういう行為に至る場合、叱られる側以上の苦痛を叱る側が感じていなければならないというのがPSI的観点です。企業のトップや役員の中にはいつも周りに怒鳴り散らしたりしているという話も聞いたりしますが、彼らは異常な人格になっているだけだと思います。サドだとかいうことを通り越して、半ばサイコパス状態とでも言ったらいいのか……。そういった人の周りはすでに自分を殺して、あるいは怒鳴り散らす人に対してまったくコミットせずに怒鳴られることを毎日ただの儀式として通過しているだけのように見えます。したがって怒鳴ってもほとんど聞いてないし、怒鳴るのでとりあえずそれに対して怒鳴られないように部下はパーフォーマンスするだけという行動になっていきます。実際のところ叱る、怒る、怒鳴るが常態化している上位者がいる組織は実質的な業務に関してはとても非効率な時間や行動を強いられているという現実があります。
とにかくしょっちゅう叱る、怒る、怒鳴るを平然としている人は本人は優越意識の塊でしょうが、すでに周りからは完全に浮いていて、裸の王様状態になっていることは間違いありません。そもそも優越意識と劣等意識は表裏一体、裏表の関係なので、劣等意識が強く、反骨精神で叩き上げという経営者がそういう状況になっていくケースが多いように思われます。騙された人は猜疑心が強いですし、甘やかされた人は無防備です。PSI的には何事もバランスが大切です。優越感を持ちやすい人は劣等意識の塊で過去の経験に基づいてそういう意識形成がなされているという認識を持ち、自分をよく見極める作業が必要です。
また相手が叱られることで実力を発揮するような人がいて、計算づくでいつも叱ってモチベーションを上げて部下を動かそうという上司もいます。確かに瞬間風速的に効果が上がったりしますが、決して持続するものではありません。そのうちその部下は叱られなきゃ動けない人になってしまいます。やはり自立心を失っていくんですね。結局叱られないようにするためには指示がないことは一切しないし、自分で機転を利かして、臨機応変に行動するという観点は皆無になります。組織をより活性化してイノベーションもどんどん起き、生き生きとしたものにしたいと思われるなら叱る、怒る、怒鳴るといった感情に訴える手法は極力避けるほうがいいと考えます。
よく部下の叱り方だとか、いい叱り方とかその類の書籍がよく書店に並んでいましたが、部下を叱れなくて悩んでいる管理職のみなさん、叱れなくていいんです。怒ったり、怒鳴らなくていいんです。それは責任を持つ上司は叱るみたいなひとつのすり込みです。肩の荷を下ろしてください。業績が上がらなくて苦しんでいる部下に対しては一緒に考えてあげてください。業績が上がらない理由は実際市場が必要としない売れないモノを売っているとか、デザインや価格、あるいは販売のシステムに問題がある、販路が間違っているなど理由がほかにある場合もあります。部下と一緒に気づくということが大切です。毎日遅刻してくる社員がいたら、ホントに社員だけに問題があるのでしょうか?遅刻が常態化すると、みんなが何も言わなくなります。で暗黙のうちにあの人は遅刻魔だとレッテルを貼ります。そうすると自分に対する組織全体が醸し出す空気は自分を受け入れていないという空気を察知し、会社に行きたくなくなります。人間は感情をもつ生き物、そういった意識が空気となって伝わります。また実際体が調子が悪いとか理由もあるかも知れません。子どもを見ているとよくわかります。休みの日は早起きです。テーマパークに友だちと遊びに行くときは遅刻しません。
叱りたい、怒りたいという感情が出てきたとき、一旦相手の事情に立って考えてみましょう。また相手に対して自分が好きだという意識や情があるかということもよく考えてみましょう。そうすると相手に対してちょっと優しい気持ちになれるはずです。そして最良の方法で行動できるはずです。
上司が部下に受け入れられているかどうかはまず気持ちの問題が大きく左右されるということを知っておいてください。もちろん最近では逆もあります。上司が自分を理解しない(誤解したり、批判的)のは上司の気持ちを自分がどれくらい理解しているかということ考えれば、あまり突き上げたりかっかせずに済むようになります。
それでも人間、どうしても好きになれない、一緒に仕事したくないという人もいます。女性の方がよく言うのは「もう生理的にあの人ダメ」っていう話です。そういう場合どうしたらいいか、それに関してのPSI的見解はまた次回述べます。
2012年12月19日水曜日
フラット組織をうまくまわすコツ
企業風土や組織風土がだんだんフラット化していくと、今までとは違ったマネジメントが必要になってきます。
PSI的には権威的縦型のヒエラルキー組織でなく、役割的横型のヒエラルキー(といっても平面になりますが)がもっとも効率がよく組織の成員の能力を発揮できうまく回ると考えています。したがってフラットな組織風土を推奨するのですが、フラットになればいままでと違った問題点も発生します。
たとえば今まで権威を傘に部下に命令し、動かしてきたことが、組織風土がたいへんフラットなため、それができなくなります。そして上司が器がなかったりワンマンだとすぐ不満が噴出し、上司に従わなくなります。ただいい点は、権威的縦型ヒエラルキーの独裁的組織では不満がないのでなく、不満が見えない形である一時期限界を超えると火山が噴火するようなことが起こったりしますが、部下や組織の成員の状況が見えやすいということがあります。
フラット型組織は、チームワークで回す組織にならなければならず、上司、あるいは経営者はチームの一員という考え方を持たなければならないのです。そう、ちょうどプロ野球で言うと監督をやりながらも選手もしていた、野村克也氏や古田敦也氏のような感じでしょうか。信頼できる兄貴って感じがちょうどいいさじ加減かなと思います。
ただフラット組織で、上司や経営者が少しでも権威的な権力志向あるいはもろに独裁的なワンマン思考をもって管理しようとすると、すぐ組織の中で違和感をもって捉えられ、組織からはじかれるということになりかねません。そしてそういった考え方を持ち続けマネジメントを続けると自立心の強い社員たちはこぞって反発しますが、組織的にどうにもならないと思ったら、彼らは組織と経営者に三行半をつきつけて会社を出て行くことになります。その結果、ホントに会社や経営のことを真剣に考えて働く人材は消え去り、残った人びとはとても権威主義的で上司の顔色ばかり伺ってそのくせ部下にはきびしいという自己中人間だけが残ることとなります。
また逆にワンマンでやって会社が回らないことに気づいた経営者はその反動でたいへん放任的なマネジメントに転じてしまいます。そして反発して難しい社員に対しては腫れ物をさわるように対応しながら、それをそのまま放置すると社員が今度は好き勝手にやるようになります。
経営者やマネジメントしなければならない上司の立場にある人は、ワンマン思考はもちろんダメですが、放任主義もダメなのです。どちらも頑固で無責任なエゴの思考です。自分より若い部下や社員たちは自分よりもスキルも高いし、できるかも知れません。でもそのことを素直に認めてそれにふさわしいポジションを与えることが重要です。もちろんそれは部下が喜んでやりたいと思えるポジションでなければならないと思います。そうすれば、部下や社員は熱心に働くでしょう。社員や部下は経営者や上司に対してスキルがないとか能力不足を追及したり、それに不満を持っているわけではありません。何に対して不満を持っているかというと、自分を正しく評価してくれていないことに対する不満です。経営者やマネジメントする立場の上司がもっとも持っていなければならない素養は部下や社員に対する愛情です。そして愛とはまず相手に対して関心を持つことであり、無関心、そしてその結果としての事なかれ主義が会社の雰囲気をとても悪くしているのです。
結局、組織を本気で回そうと思ったら、自分自身が愛情の深い人間にいかになるか、そしてたくさんの個性を関心をもって管理するかということにつきません。そのためには愛情表現もスキルとしては必要で、会社の仕事以外には趣味がないなんていう人は誰から見ても片寄った魅力のない人だと思います。会社関係の人とだけつきあい、休みの日は接待ゴルフだけ、家族からももう見捨てられるような人にはならないように注意したいものです。
PSI的には権威的縦型のヒエラルキー組織でなく、役割的横型のヒエラルキー(といっても平面になりますが)がもっとも効率がよく組織の成員の能力を発揮できうまく回ると考えています。したがってフラットな組織風土を推奨するのですが、フラットになればいままでと違った問題点も発生します。
たとえば今まで権威を傘に部下に命令し、動かしてきたことが、組織風土がたいへんフラットなため、それができなくなります。そして上司が器がなかったりワンマンだとすぐ不満が噴出し、上司に従わなくなります。ただいい点は、権威的縦型ヒエラルキーの独裁的組織では不満がないのでなく、不満が見えない形である一時期限界を超えると火山が噴火するようなことが起こったりしますが、部下や組織の成員の状況が見えやすいということがあります。
フラット型組織は、チームワークで回す組織にならなければならず、上司、あるいは経営者はチームの一員という考え方を持たなければならないのです。そう、ちょうどプロ野球で言うと監督をやりながらも選手もしていた、野村克也氏や古田敦也氏のような感じでしょうか。信頼できる兄貴って感じがちょうどいいさじ加減かなと思います。
ただフラット組織で、上司や経営者が少しでも権威的な権力志向あるいはもろに独裁的なワンマン思考をもって管理しようとすると、すぐ組織の中で違和感をもって捉えられ、組織からはじかれるということになりかねません。そしてそういった考え方を持ち続けマネジメントを続けると自立心の強い社員たちはこぞって反発しますが、組織的にどうにもならないと思ったら、彼らは組織と経営者に三行半をつきつけて会社を出て行くことになります。その結果、ホントに会社や経営のことを真剣に考えて働く人材は消え去り、残った人びとはとても権威主義的で上司の顔色ばかり伺ってそのくせ部下にはきびしいという自己中人間だけが残ることとなります。
また逆にワンマンでやって会社が回らないことに気づいた経営者はその反動でたいへん放任的なマネジメントに転じてしまいます。そして反発して難しい社員に対しては腫れ物をさわるように対応しながら、それをそのまま放置すると社員が今度は好き勝手にやるようになります。
経営者やマネジメントしなければならない上司の立場にある人は、ワンマン思考はもちろんダメですが、放任主義もダメなのです。どちらも頑固で無責任なエゴの思考です。自分より若い部下や社員たちは自分よりもスキルも高いし、できるかも知れません。でもそのことを素直に認めてそれにふさわしいポジションを与えることが重要です。もちろんそれは部下が喜んでやりたいと思えるポジションでなければならないと思います。そうすれば、部下や社員は熱心に働くでしょう。社員や部下は経営者や上司に対してスキルがないとか能力不足を追及したり、それに不満を持っているわけではありません。何に対して不満を持っているかというと、自分を正しく評価してくれていないことに対する不満です。経営者やマネジメントする立場の上司がもっとも持っていなければならない素養は部下や社員に対する愛情です。そして愛とはまず相手に対して関心を持つことであり、無関心、そしてその結果としての事なかれ主義が会社の雰囲気をとても悪くしているのです。
結局、組織を本気で回そうと思ったら、自分自身が愛情の深い人間にいかになるか、そしてたくさんの個性を関心をもって管理するかということにつきません。そのためには愛情表現もスキルとしては必要で、会社の仕事以外には趣味がないなんていう人は誰から見ても片寄った魅力のない人だと思います。会社関係の人とだけつきあい、休みの日は接待ゴルフだけ、家族からももう見捨てられるような人にはならないように注意したいものです。
2012年12月18日火曜日
なんでもないようなことがしあわせ……
昨日は会社の今年一足早い忘年会でした。新しく改装して綺麗になった居酒屋で飲み放題のそれなりに豪華なコース。社員、アルバイトもみんなそれなりに満足して楽しい時間を過ごしました。
そのあと、二次会はカラオケで普段見たことのない社員の実態が……。初めて参加した人はびっくりかもしれません。日本では酒の席は無礼講なんてのありますが、私の会社はかなりフラットなので、カラオケも座る席はアトランダム。年長者だからお先にどうぞとかそういうのは全くありません。
その感覚が世代を越えてみんな違和感なくつきあえるコツなのかも知れません。
歌は世代が明確に出ます。若い人は昔の歌はあまり知らないし、年長者は今の歌がよくわからない。でもそんなのおかまいなし、自分のカラーを出して自分スタイルで歌えばいいんです。極論言うとカラオケなんて自己満足の世界、誰も聞いていないんです。だから素を出しまくって、自然体で歌いまくって自分の歌に心酔すればいいし、それに対してだれも何も言わないし、みんなおとなになってつきあってくれます。
ただ聞いているということがあれば、歌っている人のことを好きで、あるいは関心があって、この人何やらかしてくれるかなという期待感、ワクワク感がある場合です。
カラオケの話になってしまいましたが、とにかくそういう場は、最高の現実逃避の場であるし、最高にストレス発散できます。そういうのが苦手という人は、徐々にこのブログで本来の自分が引き出されますから、もしかしたらそういうの全然大丈夫な人であることに気づくかも知れませんよ。
で今朝会社でこの文章打っている(かなりゆるい会社です)わけですが、楽しかった時間は束の間、でもそういうファンタジーの時間からいつもの日常に戻っている今日の今の時間もなんかいい感じ。上司がいないととっても解放感にあふれ、社内の雰囲気もまったく違います。とにかく業務も少しずつこなしながらも、まったりしたこの時間、しあわせを感じます。
いつも仕事や生活に追われているとそのまま振り返ったり、立ち止まったり、自分を見つめなおしたりする時間もなく、人生過ごしてしまいます。でもときどきこうやって今自分が置かれている環境をよく考えて、あ、それでも今私はしあわせ~って感じて心に平安で満たすってのもいいですよ。
そのあと、二次会はカラオケで普段見たことのない社員の実態が……。初めて参加した人はびっくりかもしれません。日本では酒の席は無礼講なんてのありますが、私の会社はかなりフラットなので、カラオケも座る席はアトランダム。年長者だからお先にどうぞとかそういうのは全くありません。
その感覚が世代を越えてみんな違和感なくつきあえるコツなのかも知れません。
歌は世代が明確に出ます。若い人は昔の歌はあまり知らないし、年長者は今の歌がよくわからない。でもそんなのおかまいなし、自分のカラーを出して自分スタイルで歌えばいいんです。極論言うとカラオケなんて自己満足の世界、誰も聞いていないんです。だから素を出しまくって、自然体で歌いまくって自分の歌に心酔すればいいし、それに対してだれも何も言わないし、みんなおとなになってつきあってくれます。
ただ聞いているということがあれば、歌っている人のことを好きで、あるいは関心があって、この人何やらかしてくれるかなという期待感、ワクワク感がある場合です。
カラオケの話になってしまいましたが、とにかくそういう場は、最高の現実逃避の場であるし、最高にストレス発散できます。そういうのが苦手という人は、徐々にこのブログで本来の自分が引き出されますから、もしかしたらそういうの全然大丈夫な人であることに気づくかも知れませんよ。
で今朝会社でこの文章打っている(かなりゆるい会社です)わけですが、楽しかった時間は束の間、でもそういうファンタジーの時間からいつもの日常に戻っている今日の今の時間もなんかいい感じ。上司がいないととっても解放感にあふれ、社内の雰囲気もまったく違います。とにかく業務も少しずつこなしながらも、まったりしたこの時間、しあわせを感じます。
いつも仕事や生活に追われているとそのまま振り返ったり、立ち止まったり、自分を見つめなおしたりする時間もなく、人生過ごしてしまいます。でもときどきこうやって今自分が置かれている環境をよく考えて、あ、それでも今私はしあわせ~って感じて心に平安で満たすってのもいいですよ。
2012年12月16日日曜日
親孝行って…
今朝家内の幼い頃お世話になった伯母さん(義父の姉)が他界されました。家内は仕事の都合で水曜日まで動けないのでもう少し頑張ってくれたら木曜日には伺おうと思っていたようです。でも今朝その連絡を受けて、仕方なく母親に伝えてもらうようにと連絡していました。
実家から遠く離れて暮らしていると、生きているうちに会うのも、孝行するのもなかなかできない状況というのがあります。それにある程度の生活力、経済力を持たないとそれもできないし、やっと親孝行できる時期になったら親はすでにいなかったり、年老いて旅行にも連れ出せないなんてことも多々あると思います。親孝行ということに関して言えばつねに後悔の念がつきまといます。
でも実際親の立場から言うとやはり「この子ならもう大丈夫、私がいなくてもしっかりやってくれる。」と安心できることが最高に嬉しいことだとは思うのです。私も親になって親の気持ちが多少分かるようになってきました。確かに親は子どもに計算ずくで愛情をかけて育てているなんてないですからね。
でもやっぱり親孝行できなかったという気持ちから、親のことを考えると何か胸が痛むような気持ちになってくる人って結構いますよね。その気持ち自体はとっても尊いもので大切にすべきものだと思うし、そう思う人はきっと心根が優しい人に違いありません。
ただ後悔するより、自分を残してくれた親に感謝する思いで親のためにも「私はもっとしあわせになるんだ」と前を向いて感謝の気持ちを忘れず生きて行きたいものです。親孝行を十分できなかったことを正当化するつもりは一切ないけど今自分自身ができる最高の生き方だと思います。でやっぱりそれが最高の親孝行だと考えて生きて行きましょう。
実家から遠く離れて暮らしていると、生きているうちに会うのも、孝行するのもなかなかできない状況というのがあります。それにある程度の生活力、経済力を持たないとそれもできないし、やっと親孝行できる時期になったら親はすでにいなかったり、年老いて旅行にも連れ出せないなんてことも多々あると思います。親孝行ということに関して言えばつねに後悔の念がつきまといます。
でも実際親の立場から言うとやはり「この子ならもう大丈夫、私がいなくてもしっかりやってくれる。」と安心できることが最高に嬉しいことだとは思うのです。私も親になって親の気持ちが多少分かるようになってきました。確かに親は子どもに計算ずくで愛情をかけて育てているなんてないですからね。
でもやっぱり親孝行できなかったという気持ちから、親のことを考えると何か胸が痛むような気持ちになってくる人って結構いますよね。その気持ち自体はとっても尊いもので大切にすべきものだと思うし、そう思う人はきっと心根が優しい人に違いありません。
ただ後悔するより、自分を残してくれた親に感謝する思いで親のためにも「私はもっとしあわせになるんだ」と前を向いて感謝の気持ちを忘れず生きて行きたいものです。親孝行を十分できなかったことを正当化するつもりは一切ないけど今自分自身ができる最高の生き方だと思います。でやっぱりそれが最高の親孝行だと考えて生きて行きましょう。
2012年12月15日土曜日
はじめに
かけがえのない人生を後悔せずに生きるためには自分自身が心から納得できる人生を送りたいものです。
そのためには自分の人生が他者や環境によって大きく左右されたり、翻弄される人生ではなく、自分軸をしっかりと立てて自分の信念に従って生きて行きたいものです。
そのための学びの場として、また悩んでいる人には重荷を下ろして楽しい人生を送るための参考にしていただければ幸いです。
そのためには自分の人生が他者や環境によって大きく左右されたり、翻弄される人生ではなく、自分軸をしっかりと立てて自分の信念に従って生きて行きたいものです。
そのための学びの場として、また悩んでいる人には重荷を下ろして楽しい人生を送るための参考にしていただければ幸いです。
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