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2014年3月25日火曜日

日本人にグローバル化の覚悟はあるのか?

つい先日、Jリーグ浦和レッズのサポーターが“Japanese Only”との横断幕をかかげ無観客試合という罰則が科せられたニュースがありました。このことは日本人の情緒としては理解できなくもないのですが、決して容認されるべきことではないと思います。この横断幕をかかげた人びとの考えというものははっきりとはわからないので何とも言えないのですが、もし理解できるとしたら日本人特有の全体主義的一体感をそこなう存在に対する排他的思考です。これは日本が島国という限られた空間の中で培われた和の文化に根ざしていると言っても過言ではないと思います。

日本人は概して全体の空気を読み、それにそった言動を暗黙の了解として強要されているのです。あえて強要としましたが、その空気に従わない人はその場にいれなくなるからです。同調圧力と言ってもいいかもしれません。自然にその環境から離脱するか、そのまま居座ると村八分といった状況に置かれてしまうのです。

空気を読むという考え方は日本人特有の考え方であったり、文化であるように思います。臨機応変に行動するとか気を利かすなどこういったことは日本に限ったことではありませんが、空気を読んで行動するというのは日本社会という独特の環境、日本人のDNAの中に深く根付いたものであると私は考えています。

空気を読むとはどういうことか?苫米地英人氏は空気は目に見えないし、実際には読めないものだと言われています。空気という言葉をそのまま空気と解釈するとそのとおりですが、空気を読むというのは相手や周囲の言動(声の大きさ、高さ、・・・、言葉の内容、表情、行動・・・など)総合してそれらの背後に隠れている(出ている場合もある)本音の部分を解釈、理解して行動するということだと思うのです。

最近はこういった能力はコミュニケーションの濃密さの差から世代的にもずいぶんと差があることと思います。また日本も地域によってずいぶんと違います。それはテレビでも県民ごとの特徴をまとめた番組など見るとそういったことを大いに感じることができます。まあそれでも同じ日本人(外国籍でも日本に生まれ育った人)には誰でも空気を読むということは個人差はあれ、ほとんどの人が身についているのではないでしょうか。

ただ外国の方がやはり日本に来て居住するようになるとどうしても空気を読むというのがなかなか難しいといったことを聞くことがあります。当然日本の文化を完璧理解して行動しろというのはかなり酷な話だとも思います。もちろん日本に来た外国人の多くは日本の文化を学び、日本の様式に従って行動するようにしています。郷に入りては郷に従え(All roads leads to Rome.)は世界共通?の考え方ですから当然日本のやり方に従ってもらうというのは当然と考えてもいいかもしれません。

ここで問題はなんでしょうか。多くの外国人が日本人に対して口をそろえて言うことは、日本人はわかりにくいということです。どのようにしてほしいか、はっきりと意思表示ができていない問題です。すなわち空気を読んで、理解して、察して行動しろという話なのです。でもこれを外国人に要求するのは、はっきりと無理です。これは決して外国人を見下すということではなく日本人特有の文化であるということを日本人が理解しなければならないという話です。

日本人は言いにくいことを直接言うことがとても困難です。やはりコミュニケーションスキルが足りないということだと思います。はっきりと言わず理解してもらおうというのはどう考えても甘えの構造にしか思えません。そうでなければ外国人への対応の仕方がわかっていないという知識不足に他なりません。

基本的に日本人は表向き平和主義で、ぶつかることを極度に嫌います。ところが裏では自分たちの思い通りいかないことに対して愚痴や不満がとても多いのです。そしてそういったことを共有する人びとだけで集まり不満の対象になっている人のいないところでいろいろと言い合うのです。こういった経験がありました。ある会社で外国人が働いていて、やはり日本人社員と考え方に大きな溝ができているのです。もう完全に彼は浮いた存在になってしまったのです。実際彼自身頑固で自分の考えを曲げないこともあってますます日本人の社員からは煙たい存在になってしまったのです。でも私は裏でこそこそというのは嫌なので直接日本人を代弁してはっきりと言いました。それでしょっちゅうバトルに発展してしまうのです。

そういう状況が長く続くとどうなるかというと、はっきり言う私は過激な人、外国人の彼には他の日本人は大人しい人、でも私は過激な日本人という印象になってしまうのです。日本人は概して沈黙を守りながら自分たちの空気にそぐわない行動をする人に対してNOをつきつける傾向にあります。これは今後の日本のグローバル化には大きな障害となってたちはだかるでしょう。すでにもう日本は鎖国をしたほうがいいのではないかといった論調の人もいます。でも日本は日本だけで将来成り立つことができるのでしょうか?いつまでも同じ穴のムジナでいていいのでしょうか?

日本人に欠如していることは和の文化に根差した(極端にぶつかることを嫌う、ちゃんと相手と向き合えない)空気を読んで理解することを過剰に要求してしまうことだと思います。こういったことを明確に理解した上で日本人はもう一歩レベルアップした対応ができないといけないと思います。すなわちちゃんと相手に向き合って、相手が空気を読んで行動できる人なのかどうか、また空気を読まないことは悪いことではなく、相手の文化になかったことであるという理解の下にちゃんと言葉や行動でしっかり伝達するという作業ができるようになることだと思います。

安倍政権になって、国家自体が右傾化していると懸念されている昨今、日本文化至上主義みたいなグローバル化とはまったく逆の方向にいってしまうような思考に陥らないように私たちはよく考えて、コミュニケーションをさらに深めていく必要があるように思います。日本人はそれこそ日本を取り巻く環境をよく理解してさらに卑屈になったり、排他的になるのではなく、より多様な文化を受け入れる器を養うべく成長していかなければならないのではないかと思うものです。