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2013年1月6日日曜日

ストレス回避の極意①

長い休日が続くと、出勤もなかなか億劫になります。特に年末年始やゴールデンウィークにお盆休み、最近ではシルバーウィークと長期休暇があると、心もからだも緩みきってストレス多い会社勤めに適応できないレベルになってしまいます。

でも確実に楽しい休日の日々は過ぎ去り、現実的な普段と変わらない日常が来るのです。そのためにはストレス回避の二つのポイントをまた肝に銘じて踏み出すしかありません。

①あきらめる(他者に対して要求しない、他人は別人格)

②どう思われてもいい(人目を気にしない、よく思われなくていい)

人(他者)と自分に対しての自分のスタンス(立ち位置)。これなかなか難しい。上司に対して、あるいは部下に対して、ついつい話しが通じると理解できるんじゃないかと思って、いろいろ提案したり、指示したりします。でもやっぱり、理解できず意見は却下され、指示事項は実行しきれず、結果的に無駄骨を折ることになるのです。

何とかなるんじゃないかという期待感(思い込みでもあったりします)が意欲的行動を後押しするのですが、やはり無理だったりすのです。やはり熱を帯びてくると集中していろいろアイディアも出てくるし、いろいろできそうな気がして行動に移すのですが、そういう時って案外自分を客観視できてなかったり、自分を取り巻く状況を俯瞰する意識が欠如した状態になるので勢いでいってしまう傾向にあります。もちろんそれでうまくいけばいいのですが、スパッと竹を割ったように切り捨てられる状況が生まれると、自信は地に落とされ、そのような体験が続くとトラウマのようになって新しい試みができない人になってしまう可能性もあります。まあ企業で上司の前に徹底的にイエスマンになって組織の論理の中で自分の魂を売ってしまった人びとにはそういう人が多いのではないかと思ってしまいます。

そういう人格にならないためには、自分自身で防御する術も知らないといけないと思います。組織という、ともすればすぐ硬直してしまう得体の知れないパワーをもった存在、そういう中で経路依存の考え方しかできない上司を動かし、あるいは空気を読めない部下を動かし自分の目指す方向にもっていくというのは並大抵のパワーではいかんともしがたいものです。したがって組織で生き抜く上で精神的にもダメージを受けないコツは

A.したたかさ

B.見極めと切り替え

が重要だと思うのです。まず前提は①のあきらめるが重要で、上司や部下、あるいは同僚にも過剰な期待をしないということが大切で、期待値を相当低く設定していれば、うまくいかなくても常に対処方法があります。よく上司は部下に対して、信じる力が必要だという話がありますが、信じるという概念は要求するという意識に変換されやすいので要注意です。信じて委ねて、結果はどう出ようが受け止めるという気概がないなら、すでに要求の情になっていますから、その時点で相手には伝わってプレッシャーを与える状況になっているでしょう。

いずれにせよ、その前提を常に確認しながら、したたかに行動し続けるということがとても大切だと思います。そうすれば上司が自分の意見を却下しようが、部下が自分の指示通り動いてくれなくてもなんらストレスにならないのです。そしてその次にはやはりホントにダメな上司で会社の未来もないなら、さっさと次の準備をするという見極めと切り替えが重要です。部下に対してはできることをやらせて、到底できないことはやらせないというアプローチをとればいいだけです。そうすれば部下は自信を失うことはなくなるでしょう。

とにかく
「自分より年上は自分より大人気ない、自分より年下は空気が読めない」
という前提でつき合えば気がラクです。したがって、年上の上司なら、頑固で硬く、理性が欠如していたり、論理的な話が苦手で理詰めで提案したりすると自分が追い詰められていると錯覚し、すぐ怒り出すとか感情的になって話にならない上司というのがいます。年下の部下ならはっきり何度も念を押さなければいけないですし、はっきり指示しないとそのように動かないということが生じます。年齢が上になるだけアナログ思考ですし、若年になるほどデジタル思考です。今の若い世代はパソコンであれ、スマートフォンやゲームといったあらゆる端末は説明書なんか見なくてもすぐ使いこなすようになります。ある面アナログ世代にはない才能をもっているのです。空気を読んで上司の意図を理解して行動せよなんてのはありません。良いことか悪いことかさえ、行動が先にあって学習するタイプです。若いので行動力やパワーはありますが、それに振り回されずコントロールできるポイントを押さえておくことが重要です。それは「はっきり伝える」、「念を押す」、「褒める」といったことが重要です。

2013年1月3日木曜日

健康で長生きする秘訣⑤

どう思われてもいいという考え方は、自分に関するとらえ方です。そして自分軸を立てるためにはとても大切なキーワードであり、考え方です。ただストレス要因は自分がどんなにそういうふうに行動したところで、人(他人)や環境といった他者によるものも大きいのです。その場合どうしたらいいのかということですが、もう一つの重要な考え方があります。それは

B.「あきらめる」

ということです。もちろんあきらめるというのはとてもネガティヴなイメージがありますが、ここでいうところの「あきらめる」は超ポジティヴ思考です。そしてスポーツなどでいうところのあきらめないで勝ちにこだわるというのは少々意味合いが違います。無理してスポーツにもこの概念を当てはめるとするならば、結果を気にしすぎて緊張しいいプレイができない状態に陥ったときに一旦勝ちをあきらめて自然体に戻るということです。その上で最善のプレイを試みる、その結果勝てるということが起こってくると考えればわかりやすいと思います。

実はこのBの考え方ほど難しいものはありません。あきらめる、ある面責任放棄のような言葉です。しかし、世の中あきらめられないことですべて問題が起こってきています。ストーカー行為もそうです。怨みの情もそうです。あきらめられないから色んな事件が起こってきています。なぜこの「あきらめる」ということが大切かというと、人生すべてが自分の思うようにいくということはまず無いからです。もともと生まれたのも自分の意思ではありません。その人を親にしたのもそうです。生まれて物心ついたら親が決まっていたのです。そして自分以外は自分ではありません。自分以外はすべて自分とは別の人格をもった人間なのです。なので自分の思うように動かなくて当然なのです。いい意味であきらめて相手と向き合うということが重要です。すべてはあきらめて冷静になってから出発すると言っても過言ではありません。許容とか受容なんて言葉がありますが、一旦あきらめてからできる行動です。あきらめきれていない状態ではどこかに要求の念が残っていて、言葉の節々に下心が出てきます。それを察知する相手はやはり自分を受け入れてくれないでしょう。

「あきらめる」ことはとても困難です。それも近い存在ほど、身内ほど難しいのです。学校の先生や塾の先生は冷静に生徒に教えることができます。なぜなら最初から他人だからです。すなわちあきらめた状態、期待もしていない状態、自分の子どもでないからそこまでその子の成績の良し悪しにコミットしないのです。でも親は違います。自分の子どもであるし、○○家の将来まで託さないといけない対象であるのであきらめられないのです。あきらめるどころか、過剰な期待を膨らまし子どもにプレッシャーを与えるまでしてしまいます。よく言えば愛情があるからなのですが、スキル(ここで言うスキルとは教えることができる学力ではなく子どもへの対応方法のスキルです)が無いとアプローチに失敗して子どものレベルをむしろ下げてしまうという弊害も出てきます。

子どもの教育に関してはいい意味であきらめて冷静になって子どものポテンシャルを引き出す環境づくりをしてあげるということが重要です。基本的に親は子どもに対して躾はできても教育はできません。教育は第三者に任せるのがもっとも最善な方法です。せいぜい相談にのったり、学習環境を整えるぐらいです。

夫婦関係もそうです。あきらめられない関係です。最後まであきらめられなかった忍耐強い方が熟年離婚に至ったりします。PSIでは決して離婚を悪いこととは考えません。心底嫌いなのに互いに我慢して夫婦のように暮らすのも不健全でストレスがたまるだけです。ただことわざに“観察力の欠如で結婚し、忍耐力の欠如で離婚し、記憶力の欠如で再婚する”というのがあります。恋愛中や結婚四年目くらいまでは脳内麻薬といわれるしあわせホルモンが分泌されるのでとても夫婦はいい関係で楽しくいけます。しかしその後はとても現実志向に陥り、夫婦関係に倦怠期を迎える状況が起こってきます。その際夫婦関係を維持するのにとても有効な存在が二人の間の子どもです。夫婦が冷める頃子どもがかわいく成長してくるのです。子はかすがいなんて言葉もありますね。

とにかくここではっきり申し上げたいのは、結婚を控えている方には酷なようですが、恋愛中や新婚当初はファンタジーの中で生活するので楽しいのですが、結婚とは現実生活と同義語であるという認識が必要です。浮気もそのファンタジーの時期を過ぎ、現実生活に辟易としてきたときに起こってくるケースが多いと思われます。独身の人たちからこういう話をすると、よく夢を壊さないでくださいと言われますが、知らずに結婚してあとで悩むより知っておいて対処する方がずっと簡単です。

子どもはやがて育って独立していきますが、夫婦はずっと人生のパートナーです。もっとも身近にいる、もっともあきらめられない存在なのです。夫婦こそあきらめましょう。それがずっと永く添い遂げることのできる方法です。夫が引退して家に入れば妻はやたら外出するようになる。すれ違いの関係こそが良好な関係を維持できるスキルです。どんなに何十年寄り添おうがやはり自分とは違う人格をもった人間です。そして男と女という観点からも考え方も違います。今は第二、第三の人生といわれるように、子どもが育って夫婦だけの生活がきます。互いに束縛しないで楽しく生きていくためにはやはりまず互いのことを「あきらめる」ということから出発すると気がラクになります。

ちなみに老いらくの恋はこれはこれでまたファンタジーの世界に入りますから、ストレスはなく、体も元気になるようです。とにかく恋は脳内麻薬(しあわせホルモン、βエンドルフィン)の作用で心もからだも生き生きとするようです。恋はまた(亦、注〕股ではありません)のこころ(心)と書きますが、あの気持ちを再びということで、思春期のもっとも輝いていた時代の気持ちをよみがえらせるようです。どうでしょう、皆さんときめいていますか。

健康で長生きする秘訣④

人(他人)は自分が思うほど、自分に関心を持っていないので、気楽に自分のスタイルを楽しむということができるようになればストレスからはかなり解放されます。一昔前は男は男らしく、女は女らしくとそういうことを美化する封建的な風土がありましたが、現在ではほとんど崩れています。草食系男子に肉食系女子、共働きで家事は分担、さらに主婦から主夫をしている男性もいるようです。PSI的思考では男性と女性は人間としての価値は同等ですが、役割分担の区別はした方が効率的と考えます。したがって女性がどんどん率先して力仕事をし、女性特有の感覚が必要となる仕事にどんどん男性が入ってくるというのは男女の垣根を解放するという観点ではいいのですが、男女の生理的機能を無視してまでそうすべきであるという観点には疑問を呈します。なぜなら女性が子どもを産むという機能が備わっていているようにもともとできあがっている機能に則して行動した方がより自然でいいと思うからです。男性は女性を守るように力が強いし、女性は子どもを育てることができるように母性が備わっています。男女の機能まで無視するような過激なジェンダーフリーの考え方には距離を置かざるを得ません。

話が横道にそれましたが、Aの考え方を少しずつ実践していくと徐々に解放感にもひたれるようになりますし、ある種の自信も生まれてきます。私は男ですが、アクセサリーが大好きです。よく講演のときなどにノーネクタイにちょっとしたアクセサリーをしたりすると最初踏み出すときは勇気が要りますが、今ではオシャレですねと声をかけてただけるようになりました。男が女装し、女が男装するなんてのもアンダーグラウンドな世界では結構あるようです。秋葉原発信のオタク文化もある種最初は違和感をもってとらえられましたが、今では完全に定着しています。コスプレなんてのも最初は風俗色が濃かったのが最近はアニメのコスプレや原宿ファッションにも影響を与えています。ロリータファッションなんて渋谷だけでなくあちこちで見かけたりしますね。

年齢は関係ありません。かけがえのない人生、一度きりの人生であるとしたなら、自分が楽しむことに制限は必要ありません。今はさまざまな服装もいくらでもできますし、パーティグッズのコーナーなどにもなりきりセットみたいなコスプレ用の服なんかも売っています。皆さんが小さい頃抱いていた夢、かなわなかった夢、擬似的にも実現させて楽しむこともストレス解消にはとても効果的です。一歩踏み出すと次からはよりラクにスムーズに行動できるようになります。カタチから入って自分の殻を壊して素の自分を出せるようになると大きな自信につながります。

そしていつも気になっていた上司の言動に対しても、
「そのしゃべり方、育ちが出てますねえ~。」
とか
「その言い方、パワハラになりますけど、直してもらっちゃっていいですかー!」
など平気で言えるようになったりします。もちろん同僚がたくさんいるところでやれば人気者になること間違いなしです。

健康で長生きする秘訣③

空気を読むということは、円滑な人間関係のためにはとても重要なことで、気が利く、融通が利くとか機転が利く人というのはとても好印象を与えます。ただ空気が読めすぎるきらいもあります。ひどい場合には深読みしすぎて、もう思い込みや妄想が広がるなど、実際は本人が思うほど周りは何も思っていなかったりということもあります。その場合空気を読むというより勘違いや被害妄想になっている場合もあります。これは生活の中で体験を通して得られる一つのスキルなのでとても難しい問題です。また空気を読みすぎる場合、やはり①の人にやさしく自分にきびしい、いい人ではあるのですが、やはり気疲れしてしまいます。

この反対の概念も重要で、あえて空気を読まないということも大切です。特に会社の会議などでは、みんなおかしいと思っているのに上司や経営トップが提案したことなので異議を唱えることができないといった状況に陥っている場合があります。それを助長しているのは多数派を占めている権威主義的な思考の人びとだったり、目に見えない同調圧力であったりするのですが、その空気を割ってスパッと核心部分を指摘したりすることによって全体に気づきを与えることができたりします。もちろん発言のスキルも当然必要ではありますが。

実はさらに話をすすめると、空気は読む必要がないという考え方もできます。それは、そこまで人(他人)は自分のことを見ていないという事実です。たとえば団体で旅行など行ったとき、名所などで撮った集合写真、渡されたらみんな自分の顔を捜すのです。なぜならば自分がどう映っているかがもっとも重要なことがらだからです。実はみんな自分のことにしか関心がない、自分のことで精一杯だとでも思っておけば、あながち間違いではありません。最近テレビなどにニューハーフやゲイの人びとがたくさん露出するようになりました。最初出た頃はビックリしましたが、最近ではすっかり定番になってしまいました。最初は周囲にエッて思われるかも知れませんが、次第に馴れてくるのです。誰も何も言わなくなります。キャラが立つと言ったらいいのか出る杭は打たれる可能性はありますが、出すぎると打てなくなって、それが当たり前のこととして定着します。

④の性格に近づくためにはまず自然体で素で生きることで自分自身をラクにすることが重要です。もう誰もあなたのことそんなに思っていないのです。割り切って行動してみましょう。吹っ切って、割り切って行動するためのフレーズを提示しましょう。

A.「(誰に)どう思われてもいい!」

です。だって誰もどうも思っていないからです。この意識が定着するようになるととても人生ラクになります。ストレスがなくなります。人前でアガルということもなくなります。旅の恥は掻き捨てとか人の噂も七十五日なんて言葉がありますが、まさにそのとおりです。皆さんが重要な式典などの場でたいへん恥ずかしい失敗をしたとしてもなんの問題もありません。地球という大きな観点から見ると日本のある地域の小さな出来事に過ぎません。歴史にも残りません。世界史に残るような話でもないでしょう。残ってもいずれ忘れ去られます。

Aの考え方はストレス回避にはとても有効な思考方法です。これが実践できるようになるとさらに上のレベルとしては注目されたいというナルシストのレベルです。お笑い芸人などはその最たる例で、変に思われたいとか失敗して笑われるのが“おいしい”という話です。まあそこまでは今のところ考える必要はないのでとりあえずAの考え方を念頭にいつでも行動できるようにしてみてください。


健康で長生きする秘訣②

健康にはストレス要因をいかに排除していくかということがとても重要であることを話しました。もちろんアスリートがわざと負荷をかけてより高い目標をクリアしていくという観点のストレスは違います。ここでいうストレスは精神衛生上受けたくない精神的苦痛ということです。
ストレスを受けているような環境ではいかにそこから脱却するか、ストレスを解消するかということが必要になってきますが、できるならばストレスにならないようにうまく立ち回るといったほうがよりストレスに対して積極的なアプローチであると思います。ストレスを回避するということが生き生きとした楽しい生活を送るにはとても有効です。

ではストレスになっている理由はもちろん自分自身のものごとのとらえ方ですが、ストレス原因の多くは人間関係によるものです。人間関係を円滑にうまくコントロールするというと同時にまず自分自身の性格や思考方法を吟味しておく必要があります。


 
世の中には人間のタイプを大きく分けて、4つのタイプの人がいると考えられます。それをわかりやすく表してみると以下のようになります。

①人(他者)にやさしく、自分にきびしい。(自分が病気になる)

②人にきびしく、自分にやさしい。(周りが病気になる)

③人にきびしく、自分にもきびしい。(みんな病気になる)

④人にやさしく、自分にもやさしい。(みんな元気になる)

①は典型的な日本人タイプで、周りにいつも気を使いながら生活するいわゆる一般的にいい人と言われる人です。②のタイプは自己中心的で、わがまま、またそのことに自分が気づいていない人で、誰もがあまりつきあいたく ないと思う人です。①と②のタイプを世間一般の言葉で表すと「いい人は惜しまれながら早く逝き、憎まれっ子世にはばかる」という感じでしょうか。③のタイプは最近あまり見かけない昔よくいた近所のおせっかいおじさん、おばさんといったタイプです。人の子でもきっちり叱ってくれるような人でたまにそういう人がいるとテレビなんかで取材されたりします。最近そういった人はめっきり減ってしまいました。仕返しされたり、子どもの背後のモンスターペアレントなる存在が怖いですから。貴重なタイプで日本では天然記念物の領域に入ってきているような気がします。

PSI的に皆さんにおススメしたいのは④のタイプの性格です。全くの自然体で無理をしないというところが重要です。自分の素のままに生活するということ、ゆとりがあったり、アソビ心があるという感じです。高田純次さんが適当主義なんてことを広めてますが、いい意味であの感覚は大切だと思います。「いい加減」というのがとても重要です。「いい加減」というのは「いい加減(無責任)」のほうではなく「いい加減(適度な加減)」ということになります。
まず自分自身が④の考え方、とらえ方ができるようになるとかなり精神的に解放されます。でも多くの日本人は①のタイプが多いのです。空気を読んで、周囲に気を使い、逆に空気を読めず無頓着な人にムカつきはすれどはっきり言えずぐっと我慢する、とそういった人が多いのではないでしょうか。ちなみに空気を読むというのは性格のようでスキルでもあります。最近は若年世代にいくほど空気を読めない人が多いように思います。年長者は空気が読めないというよりも、理性が利かなくなってきて感情のままに行動する人が増えているということです。

なぜ若年世代にいくほど空気が読めないのでしょうか。それは社会状況が大きく関わっていると考えられます。昔は家族は大家族、兄弟も多く、地域社会も家族が多く、親族が多く子どもたちも社会の財産という認識が強く、隣人間のコミュニケーションが密接であったといえます。したがってそういう中で人間関係の力(人間力とかPSIでは人間関係力と言っています)がよく育まれたのですが、近年、核家族、単家族(一人暮らし)が増え、人間関係によるストレスを避けるために二世帯住宅なども増えてきています。さらに少子化により兄弟間のコミュニケーションをとる機会が減り、地域社会にも子どもたちが減ったことで友だち同士の横のつながりも希薄になってきました。当然そういったことでコミュニケーション不足から人間関係力の低下を引き起こし若年世代にいくほど空気を読むとか間合いとかが感覚的になくなってきています。

欧米は当然、空気を読むなどという観点はあまりありませんが、アジア圏でも空気を読むとか本音と建前なんて文化は日本ぐらいです。それは日本という島国の限られた空間でいかにうまく生活していくかという知恵に根ざしたものがあると考えられます。聖徳太子の和をもって尊しとなすとか長いものに巻かれろのような観点は半島や大陸のような喧嘩してもいくらでも逃げ道があるようなところでは根付かない文化であると思います。


2013年1月2日水曜日

協調性と八方美人

会社やその他多くの人間で構成される組織にはさまざまな人間関係があります。それは人それぞれの千差万別な性格や多様化した価値観のゆえに複雑怪奇とでも言っていいほど理解しがたい人びとも数多くいます。

日本も戦前や戦中の全体主義的な時代ならともかく民主主義が定着した現代では、さまざまな考え方の人を受け入れていかなければ人間関係も会社や組織、また社会も成立しません。もちろん、自己中心的で他者に危害を加えるとかそういった反社会的な性格の人やそういう要素を帯びた組織は当然安全な社会のためには排除されるべき対象ですが、そうでなければ極力うまくやっていく必要があります。

金持ち喧嘩せずという言葉がありますが、これは半ば逃げ口上の一つのようにも聞こえます。ぶつかることを避ける、でも逃げてるのではないという自己正当化とさらにやたら喧嘩をふっかけてくる人に対して見下した言い方でもあります。まあ確かにやたら感情的になって人とぶつかりやすいというのは決してレベルが高い行動とは言えないでしょう。ある面、面白い言葉です。

ただぶつからないことがとても善いことかというとそれも人間味に欠ける感じも受けます。あるときはぶつかってみるのもいいかも知れません。私は大学院に行ってやっとディベートの意義を認識しました。議論することはとても重要です。ただ重要なことは不必要に感情的になって喧嘩をするようになるとこれは本末転倒でよけいに結論は出にくくなります。また結論が出ても自分の意見が通らなかった人は気分がいいはずがありません。アカデミックな世界では互いの成長、向上のために逆に自分とは違った意見を求めるというのもあります。したがって、会社の存亡を欠けた決断や株主総会などでの議論は当然大学のディベートとは違う次元の話になりますし、紛糾して怒号が飛び交うなんてのも理解できます。

そういったさまざまなシチュエーションでどういう行動に出るのがPSI的には賢いのかということを考えてみたいと思います。PSIでは自分軸ということをとても大切に考えています。そして根底は自分の信念を曲げてまで相手の言うなりになるということは避けたいということです。すなわち魂まで売ってしまうともうそれは自分軸どころか他人軸で行動し他者に翻弄される人生になるというリスクもあります。ただプライドをどこまでも押し立てて、相手とずっと平行線のまま行くことがいいのかどうなのかという場合もあるでしょう。

八方美人は敵を作らないのですが、ホントの味方はいません。ただのいい人です。すなわち人畜無害だけどその人について行こうなどという人はあまり現れません。信頼がある人はある面、「まっすぐな人」です。頑固というよりいい意味での貞操観念をもっている人ということです。
PSI的には自分軸を立てることを考えるわけですから、当然自分をとりまく環境の中に自分を理解しない人もいてかまいません。というより全員が全員自分を理解し自分を受け入れるような人がいたらその人はホントの意味で仕事はしていない人かも知れません。

会社やさまざまな組織において、ある程度の協調性、それは人間関係のスキルですが、必要であることは間違いありません。しかし八方美人になってとにかくすべての人からよく思われようと周囲に気をつかいまくるのは決して良策ではありません。

あまりに自分と正反対の価値観をもっていれば、どう考えても意見が合わないということは当然あります。どこまでも平行線です。これは通約不可能性といいますが、どこまで議論しようが結論は出ません。そこで自分の意見を曲げるのではなく、あくまで自分はこう思うと貫き、もし相手の意見が尊重されて用いられたときは従うしかない場合も出てきます。もし自分の方法が正しい、あるいはよりベターであり、相手の方法が間違っているとするならば結論が出たときに皆が自分に賛同してくれるはずです。

また議論している内容が結論に至らない場合は半ば妥協したように見せてさらに抽象度を高めて大同小異であるとするかたちで合意に導くという方法もあります。上司が頑固でどうしても考えを曲げない場合、ある程度のところで素直に従うのも策です。最終的に上司の方法で失敗すれば、上司が責任を取ることになるので。経営者が同じようであるならば、会社の経営自体の問題になっている場合もあります。その場合、いずれこの経営者なら会社は行き詰るという認識で早く独立なり、転職なり準備をする動機づけになったと考えてあまり会社の業務コミットせず、自分の人生を考えるという流れもあります。

かなり極論的な展開になりましたが、本来会社は経営者が理想とするかたちで人材も組織もつくり上げていくものですが、会社が大きくなるにつれ、価値観の違う人びとや世代が入ってきます。その場合、経営者のトップダウンだけのマネジメントではうまくいかない状況も出てきます。また経営者自体も最初の理念とは大きく外れて迷走していくという状況も生まれたりします。

PSI的にはあくまで組織の存続以上に個に焦点をあてて考えています。個、すなわちひとり一人がしあわせにならずして組織の存在意義はないという観点です。さらにいうならば、あらゆる組織は個のしあわせを無視して存在価値はないと考えています。それは組織外の人=組織内の人という観点から企業の存在意義のひとつにある社会貢献性ということにも同じ観点であると考えます。もともと経営学は経営者の立場に立った学問です。最近ではやっと顧客満足<従業員満足とか顧客満足実現のためには従業員満足という観点がささやかれ始めました。

ピーターセンゲという学者が最強の組織は学習する組織であると言っています。個人個人の自分軸がちゃんと立って、さらに時代の流れに取り残されないようにつねに学習する個人が集まって形成された組織がもっとも強固な組織ではないかと思うのです。もちろんそういった組織がはたしてあるのかどうかは分かりませんが、少なくとも個人においては自分軸を立てて行動していきたいところです。そのためにはすべての人と仲良くして、敵がまったくいない、そういった妄想はやめて自分のカラーをちゃんと出して、尚且つ協調性というスキルを駆使しながらうまく行動していくことが重要なことだと思います。

したがって嫌いな人にわざわざ媚びて取り入るよりも相手の方が逆に寄ってくるくらいの自信と魅力を兼ね備えた人物になるよう努力したいものです。そのためには自己流でなく、自分流で自然体で素のままで行動し人間的な部分を隠さず出してしまうのがより効果的であると思います。


2013年1月1日火曜日

新年を迎えて…

新年あけましておめでとうございます。

昨年はどのような一年だったでしょうか。人それぞれさまざまな思いを持って新年を迎えられたことと思います。昨年はいいことがなかったから今年こそはと思っている人、昨年に引き続きさらに飛躍の年にしようと意気軒昂と新年を迎えた人。あるいは今年こそは就活を成功させて、とか婚活に終止符を打ってゴールインしたいななどさまざまな悩みをかかえている人もいることと思います。

ただ人生において重要なことは、気づいたときが人生においてもっとも大切なターニングポイント(転換期とでも言ったらいいのでしょうか)になると思います。では何に気づくのかということなのですが、まず自分自身がこの世に生を受けて人生というかけがえのない時間を過ごしているのだという自覚です。案外このことに気づかず、がむしゃらに、あるいはいたずらにただ人生を過ごしているという人が多いのではないでしょうか。

人生悩みがつきものですが、悩む前にまず自分自身の置かれた立場をよく考えてみることが重要であると思います。ほとんど悩みの原因は過去の内容にその原因があります。われわれはその過去のゆえにすでに人生の多くの部分を決定づけられています。したがって多くの人びとがその過去から脱却してよりよい人生に転換していくために闘っていると言っても過言ではありません。もちろん裕福で申し分の無い環境の中で育てば、しあわせであるかも知れません。でも逆にそういう中でそのレベルを維持することを要求されプレッシャーに苦しむとしたらそれはそれで不幸なことです。また親やその家系的な要因から自分が苦しむような立場に置かれるような場合もあるでしょうし、とにかく悩みは人それぞれで千差万別です。

ここでどうすることもできない過去ですし、その過去にいつまでも縛られているとしたら、ホントの意味で解放されて生き生きとした人生を送ることは困難です。実は過去は変えられるが、未来は変えられないという考え方があります。それはどういうことかと言うと、過去に起こった出来事自体は事実としてあるのですが、その過去の体験、経験を自分の人生においてどう位置づけるかは自分自身の考え方、とらえ方にすべて依存しているということなのです。例えば客観的に見てとても恥ずかしい出来事をただ単に恥ずかしかったこととしてだけとらえるのか、教訓として学習内容としてとらえるかによって大きく変わってきます。とても不幸なことがあって悲しかったとだけとらえるのか、人の痛みがわかるためにとても意義ある体験だったととらえるかは自分自身にかかっています。

すなわち過去は変えられるというのは、過去の出来事に対する見方や考え方を変えることで自分の人生において過去を変えてしまうということなのです。すなわちいままでと違ったフレームワークをするということです。いわゆる自分の人生の中でマイナス要因でしかなかった過去をよりプラスに転じることができるようにパラダイムシフトを行うということになります。

私がいままで出会った人の中には、親を怨んでいて、いつまでも素直になれない自分の性格を親のせいにして過ごしている人もいました。でもそういった被害者意識を持ち続けて人生を送って何かプラスになることがあるのでしょうか。親が理想の親でなかった、としたら反面教師としてとらえる、あるいはそういう親だったからちょっとひねくれてしまったけど人よりはずっと自立は早かったとか、いかようにもとらえることはできます。

新年早々このような話をしているのは、誰を親に持ったとか、どこに生まれた、どういう環境に育ったということ以上に、いま気づくべきことは自分自身が生きていま人生を過ごしているという事実です。そして、いま置かれた環境がどうであれ、自分自身が決断さえすればいかようにもなる人生を与えられているという事実です。

もう過去はどうでもいいのです。過去に執着し続ける人は間違いなく人生を楽しむことは困難です。自分にとってつらい過去なら間違いなく自分自身を大きく成長させてくれた過去であると考えより肯定的な過去に作り上げることが重要です。逆にうまくいって輝かしいと思える過去ならそういった過去の栄光にいつまでもぶらさがり続けることも過剰な優越意識を助長させ、最終的には周囲からホントの友だちといった存在が消えていく要因になっているかも知れません。過去の成功体験を通じて自信をもつということはとても大切ですが、変な優越意識(劣等意識と表裏一体)を持つことは傲慢な感情を誘発し、知らず知らずに嫌われてしまう人もいます。

とにかく自分が過去の話をやたらするようになったら、危険な状態です。ちなみに若者は未来の話をします。なぜなら過去があまりないからです。でも老人は過去の話ばかりします。なぜなら老人には未来がもうないからです。会社やさまざまな組織の中には、より上位者でやたら過去の話ばかりする人がいますが、そういう人はすでに時代の変化に対応できない硬直した頭(思考)の持ち主です。また歳をとるにつれて脳の前頭前野というところがどんどん衰えて理性を失いやすく感情的になりやすいと言われています。やたら数十年も前の過去の栄光を持ち出し自慢話ばかりする上司や上位者に対しては、反面教師としてこんな老人にならないように肝に銘じて行動しましょう。

結論ですが、私たちはいま生きて人生を過ごしているということを明確に自覚して、過去のせい、誰かのせい、環境のせいといったすべての問題を他者に起因させるのではなく、私からすべて出発して自分の人生は自分がつくりあげるのだと思って、いまからの人生を最高に楽しい有意義な人生にしていきましょう。PSIブログはそういった皆さんの人生の指針となるべきフレームを提案し続けていくつもりです。

本年もよろしくお願いします。