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2013年11月22日金曜日

特定秘密保護法案の危うさ①

戦後、日本はアメリカの核の傘に守られて、とりあえず自由主義体制を維持してきました。自民党はじめ与党、官僚たちが悪法のごとく取り扱ってきた憲法9条のおかげで日本は高度経済成長を成し遂げることができたことは間違いありません。もちろん真面目で勤勉な民族性も大いにあったでしょうし、和の文化は集団凝集性の高さから一致団結して戦後経済を先進国1,2を争うレベルに押し上げてきたことは称賛に値するものであると思います。

もし第二次世界大戦において戦勝国となって、あの軍国主義の体制がずっと続いていたらどうだったでしょう。おそらく国家にとって不都合な意見を述べる人たちは弾圧され、もしかしたら旧共産圏のような秘密警察が暗躍し、つねに国民の言動は監視され超ファシズムの国家ができあがっていたかもしれません。

戦後日本の復興を企業の成長に置き換えると、独裁経営者、経営陣による硬直しきったヒエラルキーの組織があるとき外資によって破壊(解体)され、権力よりも実力に応じてポストが与えられ、より健全な経営を取り戻し、民主的に発展していくという流れであったと考えてもいいかと思います。(もちろん外資の極端な成果主義は一つの権威主義であり、問題もあるのですが・・・)

しかしながら、この度の安倍政権による政府の標榜する流れは、だれの目にも明らかなように過去の悪しき時代へ逆戻りする危険性を秘めているのです。ただ日本人の多くは、日本には民主主義が根付き、国民一人ひとりが良識があるのであのような軍国主義にはならないだろうと楽観視している節もあります。ホントにそうでしょうか?実は日本人の民族性はあの時代の全体主義的なファシズムの体制をつくりだすのにとても都合のいい特質を兼ね備えているのです。そのことをどれだけの日本人が認識しているでしょうか?日本人が美徳としてきた上位者に対する忠誠心や自分が言ったことは必ず守る、真面目、勤勉、育ちのいい大人、・・・といった民族性こそがカルトやファシズムの体制をささえるという観点でとてもピッタリくるのです。そして日本は島国で互いが仲良く暮らすために対立を好まない反面、異分子を排除するといった陰湿ないじめ、村八分のような風土が基本的に定着しています。もともと長いものに巻かれ慣れている日本人ではわかりにくいのですが、空気を読めない外国人のほうがそのことはよく理解できます。最初は歓迎されますが、徐々に阻害されていきます。それは郷に入りては郷に従えという観点がよく理解できず、またそれをはっきりと日本人は言ってくれないので外国人には理解できないのです。とにかく異文化を受け入れる器が小さいので日本ではそういったことを学習するということが需要のある教育項目になっているのでしょう。とにかく日本人はある面、とても利用しやすい民族で集団凝集性も高いので独裁者には都合のいい組織をつくりやすいのです。

実は日本の国内に、物心両面成熟した、現代社会なのにいまだにファシズムに該当するような組織がたくさんあるのです。暴力団やカルト教団といった反社会的組織は言うに及ばず、ブラック企業といわれる会社が社会問題化するほどあるのです。これらに共通して言えることは、完全な組織トップの強固な権威、権力による独裁体制となっています。そして組織の末端の下層階級はもっとも悲惨な状況に置かれているという実態があります。一般企業でさえそうなのだということは我々もふくめてそういった要素を持っている存在だという認識を明確にしておくべきなのです。かねてから素晴らしい経営者は自分自身が間違った行動をしてしまうのではないかという危機意識をつねにもっている人だと論じてきました。集団浅慮(グループシンク)という観点で集団は間違うのだということだけでなく、個人すべてがそういう要素をもっているのだということを認識しておく必要があるのです。もちろん私自身もそうだということです。

社会には必ず対立軸があってなんとなく正常が保たれるのです。人が形成する組織はいつも独裁的になり、問題が起こって、その組織のトップが変わり、そのうち独裁的になり、また替えられるといういたちごっこのような流れになっているのです。人間はどんなに良心的な人でも持ち上げられて、ほめたたえられるとどんどん独裁的になるようになっているのです。そうならないために組織に対して反対意見を述べるような人びとが必ず必要なのです。すなわち完全無欠な人間はいないという前提に立たなければ組織の健全性を維持することはできないことを組織、集団のすべての構成員が認識しておくべきなのです。

ほとんどの日本人は日本は民主主義でいい国と思っているでしょうが、日本社会をよく分析すると細部にわたればとんでもない組織がたくさんあるのです。そのことを考えると、日本国という組織全体がそのようなとんでもない組織になりうる可能性は大きいのです。私は基本的に国としての意見がひとつにまとまっていくプロセスに危機感を抱いています。決して楽観視できません。その一つが今安倍政権が自公維で推進している国家の特定秘密保護法案なのです。すでにマスメディアも支持派、反対派とカラーがはっきりしていますが、後者のトーンも落ちかけています。マスメディアも国家の枠組みの中である程度自由に報道をしてきましたが、圧力があれば屈せざるをえません。すでにそういった兆候が見受けられます。

日本では20数年前に、反共、反左翼を標榜する某カルト宗教の団体が右翼や自民党をうまい具合に取り込み、スパイ防止法なるものを制定しようとことがありました。そのときはそれがまだまだメジョリティを獲得するにはいたらず、野党の反対もあって廃案となりました。そういった法律を制定する声は、必ず国家自体が右傾化する状況にあるときが多いのですが、まさに当時もそういう状況でした。ただ面白いのは、もしそのスパイ防止法なるものが制定されていたら、それこそそれを推進していた某カルト教団は処罰の対象になっていたかもしれません。なぜならその団体はかねてから霊感商法など反社会的な活動に手を染め、外為法違反など、国益に大きく反する活動をしていたからです。いまだに一部その状況は続いているようです。

組織という観点からとらえると、すでに国家が行くだろうと想定される方向が見えてきます。国家も企業も人によって構成された組織です。企業を例にあげて考えればわかりやすいのです。企業にも企業として秘匿しなければならないことがらというのは当然あります。ところが多くのエンジニアたちが他国の企業の接待を受け、日本の技術が流出しているというのは現実としてたくさんあります。隣国のITで世界的企業となった会社もベースとなる技術はすべて日本から取り入れたものです。そのことはその企業の会長自身が、日本に足を向けて寝られないとまで言っているわけですから間違いありません。もともと日本の経営者の中には技術提供を惜しまない人もいて、逆に知財保護の観点から訴えられたというひともいるようです。日本の企業はあまり技術提供に関して閉鎖的ではありません。なぜなら技術は提供しても日本と同じ製品が簡単につくることができないことを理解していたからだと思います。すなわち技術はあっても日本人と同じ仕事はできないのです。なぜなら仕事は日本の文化や風土、民族性に裏打ちされたものだからです。

もちろん日本も今後はグローバル化の波に巻き込まれて、自国だけで経済発展を完結できない状況が出てくると当然、企業としても守るべき必然性が出てきます。それは競争力低下が懸念される技術流出等による対外的な関係においての秘匿事項であるべきです。もちろんそれを守るためには組織全体のモラル向上と同時に社員満足(組織風土から報酬面においても)が図られるべきであると思います。もちろんそういった情報は企業自体の経営状態に直接影響を及ぼす内容ですし、それを守ることに対して社員は当然協力するはずです。

企業で秘匿されるべきはそういった企業経営にかかわることなのですが、独裁的で問題のある企業は背任行為や消費者を欺くコンプライアンス違反に関する情報を隠蔽しようとするところが問題なのです。そういった情報はおもに企業上層部の指示などにより隠蔽されることが多いのですが、そういったことを隠すということに対しては社員は良心の呵責を感じるのです。対外的な経営に関する情報は当然秘匿することに良心の呵責はありません。企業人としての守秘義務とわきまえているのです。しかし理不尽なことがらに関しては絶対に漏れます。なぜでしょう、人間は良心がありますし、本音では人間的にまっとうに生きたいと思っているからです。したがってそういう理不尽な決断を下さないといけない立場に置かれた組織上層部の人こそ、外部にリークせざるをえなくなるのです。

企業は対外的な他の企業との競争において経営を守るための情報は秘匿しますが、一般社員や消費者を欺く行為は絶対に流出します。それをよく理解している経営者は最初から、リスクマネジメントとしてコンプライアンスを徹底するのです。そういったコンプライアンス違反は必ず内部告発によって外部にリークされ、明るみに出るのです。そして今社会の流れは内部告発者を保護する方向に流れているわけです。それでもまだまだ困難な問題が多くありますが。

国家も間違えてはいけません。外交上不利な情報はすでに外務省はじめまともな政治家ならすでに秘匿できているはずです。国家機密とはなんなんでしょう?それがホントに対外的に問題があるので秘匿すべきものなのか、単に政府や官僚の一部(独裁経営者や経営陣)にとって、国民(一般社員や消費者)には知られては都合が悪いものだから隠蔽するのかというのは根本的に違うはずなのです。後者の場合、必ず外部にリークされます。どんなに当事者であってもやはり人間は理不尽なことを許せないという良心をもっているからです。ですから、そういった場面に遭遇したとき、人間性を捨てて、完全に隷属するか、逆に地位も名誉も捨てて人間として生き抜くかという選択をせまられることになります。

この特定秘密保護法案の定義づけがあいまいすぎます。もちろん外交においてはそこらへんの融通の利く内容は必要ではありますが、国民の知る権利や国民の生存権を脅かすような内容が混入しないといった保証がないのです。前者のように国家運営(企業経営)にとってホントに必要であるとしてもその判断は国家元首が独裁的にできるとしたらこの法律は悪法以外のなにものでもありません。国家が秘密にしたいという背後には、それを通じて国家が世論操作まで行いたいという意図があるのだということぐらいは日本国民として認識しておく必要があると思います。そして国家というあいまいな言葉に身を隠す独裁者(国家元首、あるいはそれをさらに操ろうとする官僚、他)によって日本は牛耳られる方向に行こうとしているのです。

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