特定秘密保護法案と日本版NSC(国家安全保障会議)の設置は具体的には戦争への下地づくりに他ならないと考えられます。こういった法案や機関が国民にどのような影響を及ぼすかは、すでに隣国の韓国や中国を見れば一目瞭然です。政府の方針に対して反対意見や反対集会など、もちろんブログやホームページ、SNSに書き込みしただけでも取り締まりの対象になります。
例えば韓国では下記のようなことが起こりました。
「竹島は日本の領土」と書き込んだ 「親日派」韓国13歳の少年検挙
http://www.j-cast.com/2012/09/07145698.html?p=all
確かに韓国は朝鮮戦争以後の冷戦構造で北と対峙しなければならない立場から徹底した思想統制と反体制運動を弾圧してきた歴史があります。今はそれは北朝鮮だけでなく、日本に対しても向けられています。もし今後日本が中韓に対峙するために思想統制、反体制運動の弾圧に積極的に乗り出せば、当然韓国の逆のケースが想定されます。
「独島は韓国の領土」と主張したら当然取締りの対象になるはずです。もちろん民団や朝総連も日本政府の主張とは違う思想、考え方ですから、監視の対象になるわけです。まあすでにそうなのかもしれませんが・・・。
断っておきますが、もちろん私は日本人ですから、日本政府の認識と違いはありません。ただ問題としているのは、日本政府の国土や日本国民としての意識ではなく、日本に住んでいる人びとに対するアプローチ手法についてなのです。日本国民が日本を愛し、誇れるのは、反対意見や異質なものがあったとしても決して感情で行動したり、暴力でそれを解決しようとしないところです。私個人としては日本で繰り広げられるヘイトスピーチは、隣国の過激な反日運動の自粛といっしょに求めるべきものであると考えていますが、そういったことに嫌悪感を感じるのは日本人として理解できない行動であるからだと思います。それでネット上にはそういったヘイトスピーチを行っている人びとはホントに日本人なの?という疑問が呈されているわけです。
もしかすると、日本政府は隣国に対して、外交レベルでの問題解決はもう困難と結論を出したのかもしれません。安倍政権の法案通過の手法を見ていると、一刻を争う戦争前夜のような焦燥感を感じます。国民に反対意見を述べさせる猶予を与えることはできないという状況です。間違いなく武力をもっていてもアジアの統制を実現させるしかないという方向を感じます。隣国の感情的で理性的に話し合いができないという状況を考えると外交筋や政府の意見はもう一致しているのかもしれません。もちろんあくまで私個人の推測に他なりませんので、ひとつの見方としてとらえてください。
戦争ということを想定した場合、必要となってくるのは国民の思想統制です。いろんな意見があってコンセンサスを得れなければ、国家としては目の前にある危機に対処することができないからです。民主主義は戦争を始めるにはとても不利な政治体制です。やはりファシズムや旧共産圏のような体制がやりやすいことは誰の目にも明らかです。実は右も左も似ています。どちらも国民自体は自由がなく抑圧された状況にあり、人間の自由意思は洗脳によって全体の目的達成のための思考に置き換えられます。したがって集団凝集性は高く、戦争という方向に向かうようにもっていきやすいのです。
テレビのドラマにしろ、映画にしろかならず善悪という対立軸があって怨みという感情的なパワーを自分たちが正しいということで正当化し相手を倒すということの高揚感はドラッグに匹敵するくらいの快感をもたらすのです。(断っておきますが私は経験はありません。)アメリカでは戦争をやると大統領の支持率は急激に上昇します。おそらく日本も隣国の長い反日運動に辟易としていて、もしかすると安倍政権がホントにアクションを起こすと支持率はさらに上がるかもしれません。アメリカはキリスト教が主流ですが、汝の敵を愛せよという考え方は実際の現実生活では適用されません。韓国もキリスト教が盛んですが、そういった考えにはなりません。
日本でのテロ活動は実際には一部のカルト教団くらいしかありません。反日を掲げている国は世界でたった二つの国だけです。他の国はほとんどが親日的でアメリカと同調していてもアメリカのように標的にはなりません。日本も危ないと考えるのはアメリカ的発想から世界を見てしまうとそうかもしれません。中国人も韓国人も日本で反日運動をすることはありません。また日本を知っている外国人が反日運動をすることは実際には考えにくいわけです。もちろん日本人が相手国に行ってデモなどはしません。そもそもデモをしそうな人を受け入れないはずです。
さまざまな保守系評論家は国民の危機意識の欠如を言いますが、それは国民ではなく政府と官僚がどう考えるかです。一般の国民を取り締まるとしたら、反社会的組織に対する監視は必要であると思います。なぜなら彼らは日本国民の生活を脅かす存在だからです。政府の方針や方向性に反対意見を述べる人びとまで取り締まると国民の半分から三分の一くらい取り締まるようになります。単に野党の数が反対意見と考えればそういうことです。
いずれにせよ、この度の法案、機関設置は今後武力行使が可能な、すなわち戦争への準備に他なりません。そのためには当然思想統制と反対運動の封じ込めが必要となるわけでそのための法律と考えられます。戦争とは半ば国家主権を守るための正当防衛ととらえるプロパガンダがありますが、視点を変えれば集団で行う人殺しに他なりません。これは現実に体験した人に聞けば、とんでもない後遺症を伴いますし、まともな精神状態では絶対に行動できない状況に置かれます。まさに残酷な現実を見せないようにオブラートに包んであいまいにさせなければならないわけです。戦争には洗脳やドラッグといったアイテムは必須です。まともにシラフで行動できるものではありません。人間性の麻痺こそが戦争に参加できる前提条件となるのです。
最近は直接地上戦などというものは減り、遠隔操作による攻撃などはほとんどゲーム感覚になっているかもしれません。あの状況もある面敵を倒すという高揚感に浸って非現実的な空間になっているはずです。実際、現場では罪のない人びとが殺されていたりするのですが。ただ日本国民として肝に銘じておきたいことは、実際命令し、号令をかける人は前線にはいないという現実、そして戦争に負ければ戦犯ですが、勝てば英雄になるのだということです。私たちの人生は決して国という大義名分をかざす一部の独裁者のために翻弄されてはいけないということです。国という名の一部の独裁者が標榜する方向に反対することを反国家的だとかレッテルを貼られることは避けなければならないのです。私たちは国のためとか国を愛するということは国民全体のコンセンサスの上に成立するのだということはを識しておく必要があると思います。
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2013年11月28日木曜日
2013年11月27日水曜日
特定秘密保護法案の危うさ②
昨日、国家国定秘密保護法案が衆議院を通過しました。この度の悪法はどうあがいてももう阻止できないのかもしれません。まさに日米安保条約締結と同じでどんなに反対運動をしたところでもう国家の上層部では決定事項であるのかもしれません。
日米安保は冷戦構造の中で共産圏に対峙するために必要とされたものであったわけですが、今回は隣国の反日、領土浸食に対する日本の主権が脅かされるという危機感が背後にあることは間違いありません。もともと安倍政権をつくりだしたのは前政権の民主党による弱腰外交に対する批判と隣国の過激な反日運動や領土侵犯に対して国民が危機感を抱いたことが影響していることは間違いないと考えられます。
日本国内では当然反日に反対する運動のひとつとしてヘイトスピーチがずいぶんと蔓延してしまいました。もちろんこのヘイトスピーチを行う団体自体も怪しい団体であるわけですが、単にヘイトスピーチを批判しても始まりません。ヘイトスピーチを無くすためには隣国の反日運動とセットにして批判されなければならないと思います。なぜならそもそもヘイトスピーチを誘発しているのは隣国の反日運動であることは歴然としているからです。背後にそういった内容があるのにただ単にヘイトスピーチを人道的観点からだけ批判してもあまり効果はないのです。
とりあえず、民間かどうかはわかりませんがそういった運動はさておいて、この度の法案の衆院通過は手の打ちようがないのかもしれません。すでにジャーナリストやマスメディアもその法案が決まった後の立ち位置をどうするかで報道の状況は変わりつつあります。ずっと反対し続けてもその法案が制定され、日本版NSC(国家安全保障会議)が設置されていくようになれば、当然マスメディアはその枠組みの中で動くしかなくなるわけです。
今後は自由な言動や憶測で(権力者が考える)国家が不利益を被るようなことは言えなくなります。ゴシップネタみたいな位置づけでも言いたいことをいうことはリスキーですし、お笑いの世界からは時事ネタは消えざるをえなくなると思います。まさに日本社会は皮肉も言えないほどギスギスして潤滑油のなくなった人間関係、社会構造になっていくのではないかと危惧せざるをえません。国民、みんなが‘いい子’になるしかありません。心で思っていても、愚痴や不平不満を言わない超カマトトな国民になっていくことが予想されます。そうしなければ生きていけないのです。
視点を変えれば、右傾化する国家をつくるには共産主義の脅威はとても有効に働きました。それは、日米安保の締結にとって追い風だったのです。同じように隣国の反日運動、領土、領海侵犯はこの度の法案、日本版NSC設置には追い風なのです。極論を言えば、中韓の反日運動が安倍政権を支えていると言えなくはありません。安倍政権に批判的な人びとはよく左翼勢力としてレッテルをはられ、批判されるのですが、実際、国民の多くは純粋に秘密警察が暗躍する国家にしたくない、戦争をしたくないと純粋に考えているのです。左翼でも右翼でもないのです。
以上のことから考えるとすでにこの法案制定や憲法9条改定~自衛隊を国防軍とするのは自然の流れの中に置かれてしまっているのです。もう国民の力ではどうしようもないのかもしれません。さらに不気味なのはこの法案通過を目指すときに中国の防空識別圏設定という話が出たことです。本来中国は孫子の兵法にもあるようにもっともっとしたたかで実利優先のイメージがあるのですが、なぜこういうカタチで日本に対してはたらきかけるのでしょうか。まるで法案や安倍政権を後押ししているようにしか見えないのは私だけでしょうか?
日米安保のときは軍事力を行使できない立場の日本は、アメリカの核の傘に守られるしかないという大義名分がありました。今回は、アメリカが日本に対してその役割をできなくなるので、日本が自立して軍隊をもって自分の国は自分で守らないといけないからという話をする人もいます。しかしこの流れで行くと、どう考えても戦争ありきでの流れにしか見えません。とにかく日中韓(台も巻き込まれるかもしれません)で戦争になれば、そこにメリットがあるのはだれでしょうか?戦争のときその恩恵に預かるのは武器やその原料、オイルなどを提供した人びと、国家に他なりません。戦争成金がたくさん現れるのです。となればアジア圏で戦争が起きても対岸の火事で何の被害もなく、利益だけ期待できるのはだれか考えればわかります。戦争は大きなビジネスチャンスとなっているのは紛れもない現実です。
中国、日本は世界的に米国債保有国1、2位です。アジア三大国が緊張した対立関係でいつづけることがいいのはどこの国でしょう。そういった世界の枠組みの中でアジアというローカルな地域で戦争等の犠牲になったとしても、その恩恵に預かることはできない日中韓の国民はよく状況を見て行動をすべきだと思うのです。もうこれ以上は言及を避けますが、読者のみなさんに考えていただきたいのは社会の表に出ていない(我々に知らされていない)世界があるという前提で賢く生きる必要があると思います。(今後このブログも政治ネタは控えざるえないかもしれません。)
日中台韓、とにかく国民レベルではなかよく、なんでもぶっちゃけで感情論抜きで話し合いたいものです。今は大丈夫ですが、そのうち日本でもそういった話はできなくなるということも想定しておくことは必要です。外国人は、今後おそらく反日的な言動は一切できなくなる方向に行くでしょう。日本は郷に入りて郷に従わなくてもいい国だったのが、完全に郷に入りては郷に従わなければ生きていけない国になるでしょう。今後は日本人だけでなく、外国人も住みにくい日本となるのではと今から心配しています。
日米安保は冷戦構造の中で共産圏に対峙するために必要とされたものであったわけですが、今回は隣国の反日、領土浸食に対する日本の主権が脅かされるという危機感が背後にあることは間違いありません。もともと安倍政権をつくりだしたのは前政権の民主党による弱腰外交に対する批判と隣国の過激な反日運動や領土侵犯に対して国民が危機感を抱いたことが影響していることは間違いないと考えられます。
日本国内では当然反日に反対する運動のひとつとしてヘイトスピーチがずいぶんと蔓延してしまいました。もちろんこのヘイトスピーチを行う団体自体も怪しい団体であるわけですが、単にヘイトスピーチを批判しても始まりません。ヘイトスピーチを無くすためには隣国の反日運動とセットにして批判されなければならないと思います。なぜならそもそもヘイトスピーチを誘発しているのは隣国の反日運動であることは歴然としているからです。背後にそういった内容があるのにただ単にヘイトスピーチを人道的観点からだけ批判してもあまり効果はないのです。
とりあえず、民間かどうかはわかりませんがそういった運動はさておいて、この度の法案の衆院通過は手の打ちようがないのかもしれません。すでにジャーナリストやマスメディアもその法案が決まった後の立ち位置をどうするかで報道の状況は変わりつつあります。ずっと反対し続けてもその法案が制定され、日本版NSC(国家安全保障会議)が設置されていくようになれば、当然マスメディアはその枠組みの中で動くしかなくなるわけです。
今後は自由な言動や憶測で(権力者が考える)国家が不利益を被るようなことは言えなくなります。ゴシップネタみたいな位置づけでも言いたいことをいうことはリスキーですし、お笑いの世界からは時事ネタは消えざるをえなくなると思います。まさに日本社会は皮肉も言えないほどギスギスして潤滑油のなくなった人間関係、社会構造になっていくのではないかと危惧せざるをえません。国民、みんなが‘いい子’になるしかありません。心で思っていても、愚痴や不平不満を言わない超カマトトな国民になっていくことが予想されます。そうしなければ生きていけないのです。
視点を変えれば、右傾化する国家をつくるには共産主義の脅威はとても有効に働きました。それは、日米安保の締結にとって追い風だったのです。同じように隣国の反日運動、領土、領海侵犯はこの度の法案、日本版NSC設置には追い風なのです。極論を言えば、中韓の反日運動が安倍政権を支えていると言えなくはありません。安倍政権に批判的な人びとはよく左翼勢力としてレッテルをはられ、批判されるのですが、実際、国民の多くは純粋に秘密警察が暗躍する国家にしたくない、戦争をしたくないと純粋に考えているのです。左翼でも右翼でもないのです。
以上のことから考えるとすでにこの法案制定や憲法9条改定~自衛隊を国防軍とするのは自然の流れの中に置かれてしまっているのです。もう国民の力ではどうしようもないのかもしれません。さらに不気味なのはこの法案通過を目指すときに中国の防空識別圏設定という話が出たことです。本来中国は孫子の兵法にもあるようにもっともっとしたたかで実利優先のイメージがあるのですが、なぜこういうカタチで日本に対してはたらきかけるのでしょうか。まるで法案や安倍政権を後押ししているようにしか見えないのは私だけでしょうか?
日米安保のときは軍事力を行使できない立場の日本は、アメリカの核の傘に守られるしかないという大義名分がありました。今回は、アメリカが日本に対してその役割をできなくなるので、日本が自立して軍隊をもって自分の国は自分で守らないといけないからという話をする人もいます。しかしこの流れで行くと、どう考えても戦争ありきでの流れにしか見えません。とにかく日中韓(台も巻き込まれるかもしれません)で戦争になれば、そこにメリットがあるのはだれでしょうか?戦争のときその恩恵に預かるのは武器やその原料、オイルなどを提供した人びと、国家に他なりません。戦争成金がたくさん現れるのです。となればアジア圏で戦争が起きても対岸の火事で何の被害もなく、利益だけ期待できるのはだれか考えればわかります。戦争は大きなビジネスチャンスとなっているのは紛れもない現実です。
中国、日本は世界的に米国債保有国1、2位です。アジア三大国が緊張した対立関係でいつづけることがいいのはどこの国でしょう。そういった世界の枠組みの中でアジアというローカルな地域で戦争等の犠牲になったとしても、その恩恵に預かることはできない日中韓の国民はよく状況を見て行動をすべきだと思うのです。もうこれ以上は言及を避けますが、読者のみなさんに考えていただきたいのは社会の表に出ていない(我々に知らされていない)世界があるという前提で賢く生きる必要があると思います。(今後このブログも政治ネタは控えざるえないかもしれません。)
日中台韓、とにかく国民レベルではなかよく、なんでもぶっちゃけで感情論抜きで話し合いたいものです。今は大丈夫ですが、そのうち日本でもそういった話はできなくなるということも想定しておくことは必要です。外国人は、今後おそらく反日的な言動は一切できなくなる方向に行くでしょう。日本は郷に入りて郷に従わなくてもいい国だったのが、完全に郷に入りては郷に従わなければ生きていけない国になるでしょう。今後は日本人だけでなく、外国人も住みにくい日本となるのではと今から心配しています。
2013年11月22日金曜日
特定秘密保護法案の危うさ①
戦後、日本はアメリカの核の傘に守られて、とりあえず自由主義体制を維持してきました。自民党はじめ与党、官僚たちが悪法のごとく取り扱ってきた憲法9条のおかげで日本は高度経済成長を成し遂げることができたことは間違いありません。もちろん真面目で勤勉な民族性も大いにあったでしょうし、和の文化は集団凝集性の高さから一致団結して戦後経済を先進国1,2を争うレベルに押し上げてきたことは称賛に値するものであると思います。
もし第二次世界大戦において戦勝国となって、あの軍国主義の体制がずっと続いていたらどうだったでしょう。おそらく国家にとって不都合な意見を述べる人たちは弾圧され、もしかしたら旧共産圏のような秘密警察が暗躍し、つねに国民の言動は監視され超ファシズムの国家ができあがっていたかもしれません。
戦後日本の復興を企業の成長に置き換えると、独裁経営者、経営陣による硬直しきったヒエラルキーの組織があるとき外資によって破壊(解体)され、権力よりも実力に応じてポストが与えられ、より健全な経営を取り戻し、民主的に発展していくという流れであったと考えてもいいかと思います。(もちろん外資の極端な成果主義は一つの権威主義であり、問題もあるのですが・・・)
しかしながら、この度の安倍政権による政府の標榜する流れは、だれの目にも明らかなように過去の悪しき時代へ逆戻りする危険性を秘めているのです。ただ日本人の多くは、日本には民主主義が根付き、国民一人ひとりが良識があるのであのような軍国主義にはならないだろうと楽観視している節もあります。ホントにそうでしょうか?実は日本人の民族性はあの時代の全体主義的なファシズムの体制をつくりだすのにとても都合のいい特質を兼ね備えているのです。そのことをどれだけの日本人が認識しているでしょうか?日本人が美徳としてきた上位者に対する忠誠心や自分が言ったことは必ず守る、真面目、勤勉、育ちのいい大人、・・・といった民族性こそがカルトやファシズムの体制をささえるという観点でとてもピッタリくるのです。そして日本は島国で互いが仲良く暮らすために対立を好まない反面、異分子を排除するといった陰湿ないじめ、村八分のような風土が基本的に定着しています。もともと長いものに巻かれ慣れている日本人ではわかりにくいのですが、空気を読めない外国人のほうがそのことはよく理解できます。最初は歓迎されますが、徐々に阻害されていきます。それは郷に入りては郷に従えという観点がよく理解できず、またそれをはっきりと日本人は言ってくれないので外国人には理解できないのです。とにかく異文化を受け入れる器が小さいので日本ではそういったことを学習するということが需要のある教育項目になっているのでしょう。とにかく日本人はある面、とても利用しやすい民族で集団凝集性も高いので独裁者には都合のいい組織をつくりやすいのです。
実は日本の国内に、物心両面成熟した、現代社会なのにいまだにファシズムに該当するような組織がたくさんあるのです。暴力団やカルト教団といった反社会的組織は言うに及ばず、ブラック企業といわれる会社が社会問題化するほどあるのです。これらに共通して言えることは、完全な組織トップの強固な権威、権力による独裁体制となっています。そして組織の末端の下層階級はもっとも悲惨な状況に置かれているという実態があります。一般企業でさえそうなのだということは我々もふくめてそういった要素を持っている存在だという認識を明確にしておくべきなのです。かねてから素晴らしい経営者は自分自身が間違った行動をしてしまうのではないかという危機意識をつねにもっている人だと論じてきました。集団浅慮(グループシンク)という観点で集団は間違うのだということだけでなく、個人すべてがそういう要素をもっているのだということを認識しておく必要があるのです。もちろん私自身もそうだということです。
社会には必ず対立軸があってなんとなく正常が保たれるのです。人が形成する組織はいつも独裁的になり、問題が起こって、その組織のトップが変わり、そのうち独裁的になり、また替えられるといういたちごっこのような流れになっているのです。人間はどんなに良心的な人でも持ち上げられて、ほめたたえられるとどんどん独裁的になるようになっているのです。そうならないために組織に対して反対意見を述べるような人びとが必ず必要なのです。すなわち完全無欠な人間はいないという前提に立たなければ組織の健全性を維持することはできないことを組織、集団のすべての構成員が認識しておくべきなのです。
ほとんどの日本人は日本は民主主義でいい国と思っているでしょうが、日本社会をよく分析すると細部にわたればとんでもない組織がたくさんあるのです。そのことを考えると、日本国という組織全体がそのようなとんでもない組織になりうる可能性は大きいのです。私は基本的に国としての意見がひとつにまとまっていくプロセスに危機感を抱いています。決して楽観視できません。その一つが今安倍政権が自公維で推進している国家の特定秘密保護法案なのです。すでにマスメディアも支持派、反対派とカラーがはっきりしていますが、後者のトーンも落ちかけています。マスメディアも国家の枠組みの中である程度自由に報道をしてきましたが、圧力があれば屈せざるをえません。すでにそういった兆候が見受けられます。
日本では20数年前に、反共、反左翼を標榜する某カルト宗教の団体が右翼や自民党をうまい具合に取り込み、スパイ防止法なるものを制定しようとことがありました。そのときはそれがまだまだメジョリティを獲得するにはいたらず、野党の反対もあって廃案となりました。そういった法律を制定する声は、必ず国家自体が右傾化する状況にあるときが多いのですが、まさに当時もそういう状況でした。ただ面白いのは、もしそのスパイ防止法なるものが制定されていたら、それこそそれを推進していた某カルト教団は処罰の対象になっていたかもしれません。なぜならその団体はかねてから霊感商法など反社会的な活動に手を染め、外為法違反など、国益に大きく反する活動をしていたからです。いまだに一部その状況は続いているようです。
組織という観点からとらえると、すでに国家が行くだろうと想定される方向が見えてきます。国家も企業も人によって構成された組織です。企業を例にあげて考えればわかりやすいのです。企業にも企業として秘匿しなければならないことがらというのは当然あります。ところが多くのエンジニアたちが他国の企業の接待を受け、日本の技術が流出しているというのは現実としてたくさんあります。隣国のITで世界的企業となった会社もベースとなる技術はすべて日本から取り入れたものです。そのことはその企業の会長自身が、日本に足を向けて寝られないとまで言っているわけですから間違いありません。もともと日本の経営者の中には技術提供を惜しまない人もいて、逆に知財保護の観点から訴えられたというひともいるようです。日本の企業はあまり技術提供に関して閉鎖的ではありません。なぜなら技術は提供しても日本と同じ製品が簡単につくることができないことを理解していたからだと思います。すなわち技術はあっても日本人と同じ仕事はできないのです。なぜなら仕事は日本の文化や風土、民族性に裏打ちされたものだからです。
もちろん日本も今後はグローバル化の波に巻き込まれて、自国だけで経済発展を完結できない状況が出てくると当然、企業としても守るべき必然性が出てきます。それは競争力低下が懸念される技術流出等による対外的な関係においての秘匿事項であるべきです。もちろんそれを守るためには組織全体のモラル向上と同時に社員満足(組織風土から報酬面においても)が図られるべきであると思います。もちろんそういった情報は企業自体の経営状態に直接影響を及ぼす内容ですし、それを守ることに対して社員は当然協力するはずです。
企業で秘匿されるべきはそういった企業経営にかかわることなのですが、独裁的で問題のある企業は背任行為や消費者を欺くコンプライアンス違反に関する情報を隠蔽しようとするところが問題なのです。そういった情報はおもに企業上層部の指示などにより隠蔽されることが多いのですが、そういったことを隠すということに対しては社員は良心の呵責を感じるのです。対外的な経営に関する情報は当然秘匿することに良心の呵責はありません。企業人としての守秘義務とわきまえているのです。しかし理不尽なことがらに関しては絶対に漏れます。なぜでしょう、人間は良心がありますし、本音では人間的にまっとうに生きたいと思っているからです。したがってそういう理不尽な決断を下さないといけない立場に置かれた組織上層部の人こそ、外部にリークせざるをえなくなるのです。
企業は対外的な他の企業との競争において経営を守るための情報は秘匿しますが、一般社員や消費者を欺く行為は絶対に流出します。それをよく理解している経営者は最初から、リスクマネジメントとしてコンプライアンスを徹底するのです。そういったコンプライアンス違反は必ず内部告発によって外部にリークされ、明るみに出るのです。そして今社会の流れは内部告発者を保護する方向に流れているわけです。それでもまだまだ困難な問題が多くありますが。
国家も間違えてはいけません。外交上不利な情報はすでに外務省はじめまともな政治家ならすでに秘匿できているはずです。国家機密とはなんなんでしょう?それがホントに対外的に問題があるので秘匿すべきものなのか、単に政府や官僚の一部(独裁経営者や経営陣)にとって、国民(一般社員や消費者)には知られては都合が悪いものだから隠蔽するのかというのは根本的に違うはずなのです。後者の場合、必ず外部にリークされます。どんなに当事者であってもやはり人間は理不尽なことを許せないという良心をもっているからです。ですから、そういった場面に遭遇したとき、人間性を捨てて、完全に隷属するか、逆に地位も名誉も捨てて人間として生き抜くかという選択をせまられることになります。
この特定秘密保護法案の定義づけがあいまいすぎます。もちろん外交においてはそこらへんの融通の利く内容は必要ではありますが、国民の知る権利や国民の生存権を脅かすような内容が混入しないといった保証がないのです。前者のように国家運営(企業経営)にとってホントに必要であるとしてもその判断は国家元首が独裁的にできるとしたらこの法律は悪法以外のなにものでもありません。国家が秘密にしたいという背後には、それを通じて国家が世論操作まで行いたいという意図があるのだということぐらいは日本国民として認識しておく必要があると思います。そして国家というあいまいな言葉に身を隠す独裁者(国家元首、あるいはそれをさらに操ろうとする官僚、他)によって日本は牛耳られる方向に行こうとしているのです。
もし第二次世界大戦において戦勝国となって、あの軍国主義の体制がずっと続いていたらどうだったでしょう。おそらく国家にとって不都合な意見を述べる人たちは弾圧され、もしかしたら旧共産圏のような秘密警察が暗躍し、つねに国民の言動は監視され超ファシズムの国家ができあがっていたかもしれません。
戦後日本の復興を企業の成長に置き換えると、独裁経営者、経営陣による硬直しきったヒエラルキーの組織があるとき外資によって破壊(解体)され、権力よりも実力に応じてポストが与えられ、より健全な経営を取り戻し、民主的に発展していくという流れであったと考えてもいいかと思います。(もちろん外資の極端な成果主義は一つの権威主義であり、問題もあるのですが・・・)
しかしながら、この度の安倍政権による政府の標榜する流れは、だれの目にも明らかなように過去の悪しき時代へ逆戻りする危険性を秘めているのです。ただ日本人の多くは、日本には民主主義が根付き、国民一人ひとりが良識があるのであのような軍国主義にはならないだろうと楽観視している節もあります。ホントにそうでしょうか?実は日本人の民族性はあの時代の全体主義的なファシズムの体制をつくりだすのにとても都合のいい特質を兼ね備えているのです。そのことをどれだけの日本人が認識しているでしょうか?日本人が美徳としてきた上位者に対する忠誠心や自分が言ったことは必ず守る、真面目、勤勉、育ちのいい大人、・・・といった民族性こそがカルトやファシズムの体制をささえるという観点でとてもピッタリくるのです。そして日本は島国で互いが仲良く暮らすために対立を好まない反面、異分子を排除するといった陰湿ないじめ、村八分のような風土が基本的に定着しています。もともと長いものに巻かれ慣れている日本人ではわかりにくいのですが、空気を読めない外国人のほうがそのことはよく理解できます。最初は歓迎されますが、徐々に阻害されていきます。それは郷に入りては郷に従えという観点がよく理解できず、またそれをはっきりと日本人は言ってくれないので外国人には理解できないのです。とにかく異文化を受け入れる器が小さいので日本ではそういったことを学習するということが需要のある教育項目になっているのでしょう。とにかく日本人はある面、とても利用しやすい民族で集団凝集性も高いので独裁者には都合のいい組織をつくりやすいのです。
実は日本の国内に、物心両面成熟した、現代社会なのにいまだにファシズムに該当するような組織がたくさんあるのです。暴力団やカルト教団といった反社会的組織は言うに及ばず、ブラック企業といわれる会社が社会問題化するほどあるのです。これらに共通して言えることは、完全な組織トップの強固な権威、権力による独裁体制となっています。そして組織の末端の下層階級はもっとも悲惨な状況に置かれているという実態があります。一般企業でさえそうなのだということは我々もふくめてそういった要素を持っている存在だという認識を明確にしておくべきなのです。かねてから素晴らしい経営者は自分自身が間違った行動をしてしまうのではないかという危機意識をつねにもっている人だと論じてきました。集団浅慮(グループシンク)という観点で集団は間違うのだということだけでなく、個人すべてがそういう要素をもっているのだということを認識しておく必要があるのです。もちろん私自身もそうだということです。
社会には必ず対立軸があってなんとなく正常が保たれるのです。人が形成する組織はいつも独裁的になり、問題が起こって、その組織のトップが変わり、そのうち独裁的になり、また替えられるといういたちごっこのような流れになっているのです。人間はどんなに良心的な人でも持ち上げられて、ほめたたえられるとどんどん独裁的になるようになっているのです。そうならないために組織に対して反対意見を述べるような人びとが必ず必要なのです。すなわち完全無欠な人間はいないという前提に立たなければ組織の健全性を維持することはできないことを組織、集団のすべての構成員が認識しておくべきなのです。
ほとんどの日本人は日本は民主主義でいい国と思っているでしょうが、日本社会をよく分析すると細部にわたればとんでもない組織がたくさんあるのです。そのことを考えると、日本国という組織全体がそのようなとんでもない組織になりうる可能性は大きいのです。私は基本的に国としての意見がひとつにまとまっていくプロセスに危機感を抱いています。決して楽観視できません。その一つが今安倍政権が自公維で推進している国家の特定秘密保護法案なのです。すでにマスメディアも支持派、反対派とカラーがはっきりしていますが、後者のトーンも落ちかけています。マスメディアも国家の枠組みの中である程度自由に報道をしてきましたが、圧力があれば屈せざるをえません。すでにそういった兆候が見受けられます。
日本では20数年前に、反共、反左翼を標榜する某カルト宗教の団体が右翼や自民党をうまい具合に取り込み、スパイ防止法なるものを制定しようとことがありました。そのときはそれがまだまだメジョリティを獲得するにはいたらず、野党の反対もあって廃案となりました。そういった法律を制定する声は、必ず国家自体が右傾化する状況にあるときが多いのですが、まさに当時もそういう状況でした。ただ面白いのは、もしそのスパイ防止法なるものが制定されていたら、それこそそれを推進していた某カルト教団は処罰の対象になっていたかもしれません。なぜならその団体はかねてから霊感商法など反社会的な活動に手を染め、外為法違反など、国益に大きく反する活動をしていたからです。いまだに一部その状況は続いているようです。
組織という観点からとらえると、すでに国家が行くだろうと想定される方向が見えてきます。国家も企業も人によって構成された組織です。企業を例にあげて考えればわかりやすいのです。企業にも企業として秘匿しなければならないことがらというのは当然あります。ところが多くのエンジニアたちが他国の企業の接待を受け、日本の技術が流出しているというのは現実としてたくさんあります。隣国のITで世界的企業となった会社もベースとなる技術はすべて日本から取り入れたものです。そのことはその企業の会長自身が、日本に足を向けて寝られないとまで言っているわけですから間違いありません。もともと日本の経営者の中には技術提供を惜しまない人もいて、逆に知財保護の観点から訴えられたというひともいるようです。日本の企業はあまり技術提供に関して閉鎖的ではありません。なぜなら技術は提供しても日本と同じ製品が簡単につくることができないことを理解していたからだと思います。すなわち技術はあっても日本人と同じ仕事はできないのです。なぜなら仕事は日本の文化や風土、民族性に裏打ちされたものだからです。
もちろん日本も今後はグローバル化の波に巻き込まれて、自国だけで経済発展を完結できない状況が出てくると当然、企業としても守るべき必然性が出てきます。それは競争力低下が懸念される技術流出等による対外的な関係においての秘匿事項であるべきです。もちろんそれを守るためには組織全体のモラル向上と同時に社員満足(組織風土から報酬面においても)が図られるべきであると思います。もちろんそういった情報は企業自体の経営状態に直接影響を及ぼす内容ですし、それを守ることに対して社員は当然協力するはずです。
企業で秘匿されるべきはそういった企業経営にかかわることなのですが、独裁的で問題のある企業は背任行為や消費者を欺くコンプライアンス違反に関する情報を隠蔽しようとするところが問題なのです。そういった情報はおもに企業上層部の指示などにより隠蔽されることが多いのですが、そういったことを隠すということに対しては社員は良心の呵責を感じるのです。対外的な経営に関する情報は当然秘匿することに良心の呵責はありません。企業人としての守秘義務とわきまえているのです。しかし理不尽なことがらに関しては絶対に漏れます。なぜでしょう、人間は良心がありますし、本音では人間的にまっとうに生きたいと思っているからです。したがってそういう理不尽な決断を下さないといけない立場に置かれた組織上層部の人こそ、外部にリークせざるをえなくなるのです。
企業は対外的な他の企業との競争において経営を守るための情報は秘匿しますが、一般社員や消費者を欺く行為は絶対に流出します。それをよく理解している経営者は最初から、リスクマネジメントとしてコンプライアンスを徹底するのです。そういったコンプライアンス違反は必ず内部告発によって外部にリークされ、明るみに出るのです。そして今社会の流れは内部告発者を保護する方向に流れているわけです。それでもまだまだ困難な問題が多くありますが。
国家も間違えてはいけません。外交上不利な情報はすでに外務省はじめまともな政治家ならすでに秘匿できているはずです。国家機密とはなんなんでしょう?それがホントに対外的に問題があるので秘匿すべきものなのか、単に政府や官僚の一部(独裁経営者や経営陣)にとって、国民(一般社員や消費者)には知られては都合が悪いものだから隠蔽するのかというのは根本的に違うはずなのです。後者の場合、必ず外部にリークされます。どんなに当事者であってもやはり人間は理不尽なことを許せないという良心をもっているからです。ですから、そういった場面に遭遇したとき、人間性を捨てて、完全に隷属するか、逆に地位も名誉も捨てて人間として生き抜くかという選択をせまられることになります。
この特定秘密保護法案の定義づけがあいまいすぎます。もちろん外交においてはそこらへんの融通の利く内容は必要ではありますが、国民の知る権利や国民の生存権を脅かすような内容が混入しないといった保証がないのです。前者のように国家運営(企業経営)にとってホントに必要であるとしてもその判断は国家元首が独裁的にできるとしたらこの法律は悪法以外のなにものでもありません。国家が秘密にしたいという背後には、それを通じて国家が世論操作まで行いたいという意図があるのだということぐらいは日本国民として認識しておく必要があると思います。そして国家というあいまいな言葉に身を隠す独裁者(国家元首、あるいはそれをさらに操ろうとする官僚、他)によって日本は牛耳られる方向に行こうとしているのです。
2013年9月20日金曜日
日中韓はなかよくなれるのか?③
国境を越えてなかよくなる方法、考え方はいろいろあります。とりあえず思いつくことがらをあげると以下のようになります。
①罪(行為)を憎んで、人を憎まず。
②国家レベルでの対応はあっても、前世代の失敗やその報い(ツケ)は次世代に回さない。
③男・女(最近はカテゴリが増えていますが)、という立場、人間という次元まで抽象度をあげてつきあう。
とにかく日中韓の間で人びとは人間として心の通った普通の関係を築きたいわけです。もちろんそのためにはそれぞれが努力して感情論や社会的に受けてきた教育(他の国から見ると洗脳に他ならない)を越えて一人間として見つめる必要があると思います。もちろん全員がそのレベルになることは不可能です。少なくともPSIではそういう関係構築を標榜しています。そしてよりフラットな関係も目指しています。被害者、加害者という関係、権力者、従属者、あるいは強者、弱者の関係などすべてそういう要素を内包した組織はいずれヒエラルキーを形成し、そのうち間違えるとカルト教団のような組織になってしまう可能性があります。もっとも強い権力を持った人が教祖になってしまうのです。
ヒエラルキーがとても強固な国というと北朝鮮を思い浮かべる人もいるかもしれません。やはり強固な思想統一がなされている国家組織は、カルト教団とても似通っているのです。どの国も民主化政策を進めるのはそうならないようにするためで、それが国民の幸せに直結するからです。王は君臨すれど統治せず、王という個人、人間はつねに間違える可能性を内包しているのです。王はいても実際の政治は民間から選ばれた人が行うというのは理想です。では王は必要ないのかというと国民をまとめるシンボルというカタチであればなんら問題はないと考えます。そして統治者はつねに変わる、変えられることができるということが素晴らしいのです。その統治者も同族でないほうがいいと考えられます。
話が大きく外れましたが、人間は誰しも権力欲や野望をもっています。それは悪いことではないのです。要はそれを自己中心的に使ったりせず、ちゃんとコントロールできるということが、大人になることであると思います。暴力もパワーです。批判するのに暴力や破壊行為を行うということはこれは暴君や独裁者の手法となんら変わりません。ガンジーやキング牧師が歴史的に称賛され続けるのはそういった手法で訴えなかったということがあります。どんな違法な行動をしても反日無罪という観点には、はっきりとNOと言える民度をもてるように誰かがはじめて欲しいものです。
もちろんあまりにそれを容認、あるいは賛成意見が多い社会でNOということは、自殺行為であるかもしれません。国を正すにはその国にいてできないこともたくさんあります。反体制運動家はいつも自由主義の国に亡命して、訴え続けてきました。声を上げることができる国に来て声を上げる、訴えることでその国や国民が少しずつでも気づくことができれば大きな成果です。いずれにせよ改革や変革はたいへんな作業です。ただ革命はとてもリスクがあります。犠牲者もたくさん出ます。
会社、企業でも組織のトップも中枢に近い人びとほど制度に埋め込まれていて身動きがとれません。そういった環境下で気づいてもなかなか行動は起こせないのです。したがって周辺企業、部署から改革の波は徐々に中央に行くとか、第三者委員会など外部人材をつかってやるかしかなかなか方法がありません。ただ周辺過ぎたり、外部では見えてこない部分もあったりして改革のモチベーションが低いというマイナス面もあります。北朝鮮という国も地方にいる人民より、平壌にいる市民や政府高官が亡命したりするのを見ると、やはり中枢ほど問題も見えるということは事実だと思います。
日本と韓国でどちらがより社会的文化の強制度が高いかというとこれは間違いなく韓国です。ひとつの例をあげてみたいのですが、それは国際結婚から垣間見えます。わかりやすく言うと
韓国に嫁に行った日本女性はキムチを漬ける。
日本に嫁に来た韓国女性はキムチを漬ける。
ということです。日本女性ももともと男尊女卑の時代があったのでそのDNAを受け継いでいるからか、韓国社会の旧い風土には適応できるのです。日本では最近見受けられない嫁姑関係が存在していて、その風土に組み込まれています。それをさらに強固にしているのがマザコンに近い韓国の母息子の関係です。韓国に嫁入りした日本女性たちの話を聞くと、かなり精神的には抑圧された生活になっていることを感じます。彼女たちはイベントとしてお好み焼きは作っても、普段の生活ではチヂミをつくるのです。また中には独島(竹島の韓国名)はウリタン(我が【韓国の】領土)と言ってる(言わされている?)日本女性もいます。日本のネット上では目茶苦茶叩かれていますが、韓国ではそうしないと生きていけないのです。
それに比べ、日本に嫁入りした韓国女性は解放されます。キムチもつくれば、竹島は日本の領土なんて言う人はほとんどいません。また日本の男性は台所仕事をする人も多く、主夫も増えています。そして最近は韓国も多いのですが、日本はずいぶん前から核家族化も進み、長男でも親と暮らさない人が多いのです。それでたまに会う嫁姑関係はとてもフラットでカジュアルです。精神的に抑圧される要因は韓国よりは少ないと思います。それに、日本人は悪口は韓国人のいないところで言ってくれるので・・・・。ちなみに直接言ってくれる日本人がいたら、ある面愛情があるのかもしれませんね。
日本には全世界の料理がありますし、今は学校やさまざま自治体で外国の文化を取り入れることを推進しています。その中にはもちろん韓国の民俗文化なども含まれています。日本では日韓のイベントがたくさんあります。韓国では日本の民俗文化紹介やイベントなどはどうなのでしょう。ちなみに中国は政治や歴史問題と民間の交流はかなり分けて行われているように思います。中国は民主主義でない時代を長く続けてきたことと、国が大きすぎることもあり、ある面国家が交渉カードとして使っていることがらに民間があまり振り回されないという面もあります。
日本では九州などはすでに道路標識や街の案内標識などに英語、中国語、韓国語が使われています。韓国では日本人観光客がもっとも多いようですが、標識などはどうなのでしょう。やはり政府が反日ということをカードにつかっているので、それを行政で行うというのはなかなかできないのでしょうか。それでも南大門市場などに行くと販売者はほとんど日本語が話せます。民間レベルでは本音の部分でほとんどの人が日本語の必要性を感じているのでしょう。
韓国には日本の和食、寿司やカレーのチェーン店などが増えています。衣食住から徐々に文化、そして日本そのものを受け入れる状況が公式的に表れるようになることを期待したいものです。すでに日本在住の韓国の人びとはまた違った観点で祖国を見ているのでまた違った考察もできることかと思いますが、韓流好きな日本女性が日本にはたくさんいるように、韓国でも親日であると言っても別に批判されない国になることを願ってやみません。
①罪(行為)を憎んで、人を憎まず。
②国家レベルでの対応はあっても、前世代の失敗やその報い(ツケ)は次世代に回さない。
③男・女(最近はカテゴリが増えていますが)、という立場、人間という次元まで抽象度をあげてつきあう。
とにかく日中韓の間で人びとは人間として心の通った普通の関係を築きたいわけです。もちろんそのためにはそれぞれが努力して感情論や社会的に受けてきた教育(他の国から見ると洗脳に他ならない)を越えて一人間として見つめる必要があると思います。もちろん全員がそのレベルになることは不可能です。少なくともPSIではそういう関係構築を標榜しています。そしてよりフラットな関係も目指しています。被害者、加害者という関係、権力者、従属者、あるいは強者、弱者の関係などすべてそういう要素を内包した組織はいずれヒエラルキーを形成し、そのうち間違えるとカルト教団のような組織になってしまう可能性があります。もっとも強い権力を持った人が教祖になってしまうのです。
ヒエラルキーがとても強固な国というと北朝鮮を思い浮かべる人もいるかもしれません。やはり強固な思想統一がなされている国家組織は、カルト教団とても似通っているのです。どの国も民主化政策を進めるのはそうならないようにするためで、それが国民の幸せに直結するからです。王は君臨すれど統治せず、王という個人、人間はつねに間違える可能性を内包しているのです。王はいても実際の政治は民間から選ばれた人が行うというのは理想です。では王は必要ないのかというと国民をまとめるシンボルというカタチであればなんら問題はないと考えます。そして統治者はつねに変わる、変えられることができるということが素晴らしいのです。その統治者も同族でないほうがいいと考えられます。
話が大きく外れましたが、人間は誰しも権力欲や野望をもっています。それは悪いことではないのです。要はそれを自己中心的に使ったりせず、ちゃんとコントロールできるということが、大人になることであると思います。暴力もパワーです。批判するのに暴力や破壊行為を行うということはこれは暴君や独裁者の手法となんら変わりません。ガンジーやキング牧師が歴史的に称賛され続けるのはそういった手法で訴えなかったということがあります。どんな違法な行動をしても反日無罪という観点には、はっきりとNOと言える民度をもてるように誰かがはじめて欲しいものです。
もちろんあまりにそれを容認、あるいは賛成意見が多い社会でNOということは、自殺行為であるかもしれません。国を正すにはその国にいてできないこともたくさんあります。反体制運動家はいつも自由主義の国に亡命して、訴え続けてきました。声を上げることができる国に来て声を上げる、訴えることでその国や国民が少しずつでも気づくことができれば大きな成果です。いずれにせよ改革や変革はたいへんな作業です。ただ革命はとてもリスクがあります。犠牲者もたくさん出ます。
会社、企業でも組織のトップも中枢に近い人びとほど制度に埋め込まれていて身動きがとれません。そういった環境下で気づいてもなかなか行動は起こせないのです。したがって周辺企業、部署から改革の波は徐々に中央に行くとか、第三者委員会など外部人材をつかってやるかしかなかなか方法がありません。ただ周辺過ぎたり、外部では見えてこない部分もあったりして改革のモチベーションが低いというマイナス面もあります。北朝鮮という国も地方にいる人民より、平壌にいる市民や政府高官が亡命したりするのを見ると、やはり中枢ほど問題も見えるということは事実だと思います。
日本と韓国でどちらがより社会的文化の強制度が高いかというとこれは間違いなく韓国です。ひとつの例をあげてみたいのですが、それは国際結婚から垣間見えます。わかりやすく言うと
韓国に嫁に行った日本女性はキムチを漬ける。
日本に嫁に来た韓国女性はキムチを漬ける。
ということです。日本女性ももともと男尊女卑の時代があったのでそのDNAを受け継いでいるからか、韓国社会の旧い風土には適応できるのです。日本では最近見受けられない嫁姑関係が存在していて、その風土に組み込まれています。それをさらに強固にしているのがマザコンに近い韓国の母息子の関係です。韓国に嫁入りした日本女性たちの話を聞くと、かなり精神的には抑圧された生活になっていることを感じます。彼女たちはイベントとしてお好み焼きは作っても、普段の生活ではチヂミをつくるのです。また中には独島(竹島の韓国名)はウリタン(我が【韓国の】領土)と言ってる(言わされている?)日本女性もいます。日本のネット上では目茶苦茶叩かれていますが、韓国ではそうしないと生きていけないのです。
それに比べ、日本に嫁入りした韓国女性は解放されます。キムチもつくれば、竹島は日本の領土なんて言う人はほとんどいません。また日本の男性は台所仕事をする人も多く、主夫も増えています。そして最近は韓国も多いのですが、日本はずいぶん前から核家族化も進み、長男でも親と暮らさない人が多いのです。それでたまに会う嫁姑関係はとてもフラットでカジュアルです。精神的に抑圧される要因は韓国よりは少ないと思います。それに、日本人は悪口は韓国人のいないところで言ってくれるので・・・・。ちなみに直接言ってくれる日本人がいたら、ある面愛情があるのかもしれませんね。
日本には全世界の料理がありますし、今は学校やさまざま自治体で外国の文化を取り入れることを推進しています。その中にはもちろん韓国の民俗文化なども含まれています。日本では日韓のイベントがたくさんあります。韓国では日本の民俗文化紹介やイベントなどはどうなのでしょう。ちなみに中国は政治や歴史問題と民間の交流はかなり分けて行われているように思います。中国は民主主義でない時代を長く続けてきたことと、国が大きすぎることもあり、ある面国家が交渉カードとして使っていることがらに民間があまり振り回されないという面もあります。
日本では九州などはすでに道路標識や街の案内標識などに英語、中国語、韓国語が使われています。韓国では日本人観光客がもっとも多いようですが、標識などはどうなのでしょう。やはり政府が反日ということをカードにつかっているので、それを行政で行うというのはなかなかできないのでしょうか。それでも南大門市場などに行くと販売者はほとんど日本語が話せます。民間レベルでは本音の部分でほとんどの人が日本語の必要性を感じているのでしょう。
韓国には日本の和食、寿司やカレーのチェーン店などが増えています。衣食住から徐々に文化、そして日本そのものを受け入れる状況が公式的に表れるようになることを期待したいものです。すでに日本在住の韓国の人びとはまた違った観点で祖国を見ているのでまた違った考察もできることかと思いますが、韓流好きな日本女性が日本にはたくさんいるように、韓国でも親日であると言っても別に批判されない国になることを願ってやみません。
ラベル:
学習,
教育,
自分軸(PSI的フレームワーク),
政治
2013年9月19日木曜日
日中韓はなかよくなれるのか?②
今月22日日曜日にすべてのレイシズムやヘイトスピーチに反対する集会がもたれるようです。
http://antiracism.jp/march_for_freedom
最近は日本でも海外でしかお目にかかれないような過激なデモが見られるようになってきました。そのあまりに過激な汚い罵りは、とても日本人とは思えない、もしかしたら日本人ではない人たちが日本人の皮をまとってやっているのではないかと疑いたくなるようなものです。そういったことがコリアタウンと言われる地域で行われています。
同じ日本人として恥ずかしい限りですが、その方法は反日運動で見受けられるような手法と似通ってきています。海外でどんなに反日的な活動があったとしても日本人はつねに冷静に対処する(もちろん反日運動家?からはそういった日本の態度自体も気に食わないのでしょうが)というのがある面、先進国、大人の国という自負心でもあったわけです。ところが最近のもうレイシズムと言わざるをえない状況のデモを見たりするとあっけにとられるしかないのです。
韓国では親日発言の高齢者を殴り殺すという事件が起き、さらにそれを擁護するようなネット上の論調も数多くあったりして、とにかく感情的に冷静さに欠ける行動というのが目につきます。今日のYahooニュースでは下記のような記事が載っています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130919-00000053-chosun-kr
とにかく最近のアジア三国の状況を見ると領土問題、歴史問題で感情的な行動が激しくなっています。このことは社会情勢自体がより個人に対してストレスの多い病的人格を生み出す要因をつくっているということがあげられると思います。日中韓に共通して言えることは少子高齢化が急速に進んでいて、人間関係の力が著しく低下しているということがあげられると考えます。縦型の上下関係は崩れていき、すでに年長者がえらく、年長者を大切にするという考え方はもうなくなってます。日本ではずいぶん前にそういった上下関係はかなり崩壊し、家族から会社組織までよりフラット化した関係になっています。
韓国も昔の映画と最近の映画やドラマでは大きく変わってきています。昔の映画やドラマでは大人や親の言うことが絶対で子どもや若者は間違っていても従うという社会でした。今は違います。最近のドラマの共通点は親たちの問題が子どもの代に露見して子どもたちの人生が翻弄されるというシチュエーションです。あの有名な冬のソナタも純愛と言いながら、親の世代は純愛じゃなかったよねというお話です。
今は年長者だからといって年下に命令したり強要するような態度の人は、逆に反感を買ってたいへんな目にあいます。何を言いたいかというと権力構造の上下のヒエラルキーがキツイ社会は抑圧された社会なので、徐々にそれらが爆発してしまう状況になっているということを感じます。権力や固定された思想で抑圧している社会は目に見えないフラストレーションがあふれているということなのです。韓国で高齢者を殴り殺した人はもちろん許されるべきではありません。ただそういう親日的言動に対してあまりに過激な行動に出てしまった原因は抑圧された社会やあまりに過激な反日に対するすり込みがなされている教育にもあります。
日本では反韓教育も、反中教育もしません。すなわち歴史教育に感情を持ち込まないのです。また教師が感情的にそういった意識で教育することもありません。いかに感情を入れず、歴史の史実を伝えるかが重要であり、間違っていれば上書きされていくというだけです。感情と言えばむしろ日教組の影響で日本政府に対しての反発を持つような教育のほうが知らぬ間になされていたかもしれません。他国に対して憎悪を抱かせるような教育は絶対しません。
韓国は戦後ずいぶんと民主化がなされてきました。でもまだ民主主義と言い切れないのは、社会の風潮として反対意見や異論が述べれないということがあります。日本では日本人が韓国や中国の立場を擁護する見解を述べても殺されることはありません。政治家が中国でリップサービスをしても、多少のバッシングを受けるくらいで日本にちゃんと帰国して暮らせるのです。歌手のチョ・ヨンナムさんや大学教授オ・ソナさんのこともやはり韓国はきびしいと思わざるをえません。
韓国は半島でつねに他国からの侵略に対峙しなければいけない都合上、また北朝鮮と対峙している関係上思想的な統一が不可欠であったという国家の哀しい事情があります。過去の韓国の歴史をみてもアカ狩りでかなりの人びとが犠牲になっています。でも今、反日感情を子どもたちにどんどん教育しすり込んで何かメリットがあるのでしょうか?反日運動やその意識の高揚がメリットがあるのは二点です。それは
・政権に対する不満や支持率低下に対する国民のガス抜き
・歴史問題の謝罪を通じた賠償金
です。でもよく考えるとあまりおいしいものではありません。たしかにアメリカも戦争をすると支持率が上がります。でも今回のイランへの武力行使にはアメリカ国民は懐疑的です。イギリスは参加しないことを議会で決定しました。アメリカ国民もイラク進攻の際、大量秘密兵器は無かったとか、過去のことから学習しているのです。もう政府に振り回されないよという民主主義国家としての行動をしているわけです。韓国も政府はつねに反日を利用しガス抜きをしているのですが、そういったことは良識ある韓国国民はわかっています。でも幼少時からすり込まれた反日精神はなかなか脱却できない人も多いのです。
経済援助も歴史問題にかけてやるよりは素直に日本への支援を要望したほうが日本国民は歓迎します。まあ韓国ではそういうカタチで支援を受けるということは韓国世論の反対を考えて仕方なくそういう手法しか使えないのかもしれません。北風政策では人の心は開きません。もうほとんどの日本人の心の中には、何回でも謝るけど、結局お金欲しんでしょという認識になってしまっています。もう謝罪要求は金銭要求であるとほとんどの日本人は認識しています。
反日運動は必ずしも韓国や中国の全国民の意識の反映とは考えられません。実際韓国では高齢者の方がたがとても親日の場合が多いのです。私はあの時代はご苦労されたでしょうというと、全く違う答えが返ってくるので恐縮してしまうのです。むしろ植民地時代を体験していない若い人びとの中にとてつもない反日意識を持っている場合を数多く見てきました。これは私としてはとても不思議なことでした。たしかに五情の中で唯一‘怨み’の情だけが時間薬が効かず、時間の経過とともに大きくなるのです。まさに世代が変わると多少消えるのかと思ったら、逆に世代交代とともに怨みや被害者意識は大きくなっているのです。
日本はアメリカに対して過剰な被害者意識は持ちません。というよりそういう教育自体受けていないのです。過剰な被害者意識も加害者意識も、ともに個人の人格に良い影響は与えませんし、ひいては国の発展にもマイナスです。韓国のドラマを見ていていつも思うのは親の問題が子どもに影響を及ぼすのです。でも私は結構ドライなので、親は親、子は子と考えればいいじゃないかと思ったりします。親は先に行く世代、子はこれから歩む世代。親は過去の因習にとらわれ身動きがとれないのです。親に今更価値観を変えろというのは酷です。親は子の幸せを願っています。親離れをすることが結果的に親孝行です。それで子は幸せになれるのですから。親は理解できなくていいのです。
日本の場合は欧米の個人主義や核家族化の影響で、親はもう子どもに親の考えを押し付けなくなりました。韓国はまだまだ家族主義というアジア特有の良きにつけ悪しきにつけそういった考え方が根強いのでそのパラダイムの呪縛ゆえにたいへん苦労するかもしれません。いずれにせよ抑圧が強い国から抑圧が少ない国に来れば、いろんな価値観と接し、もう一度自分や自身の人生を見つめなおす機会が得られます。日本に長年暮らして韓国に帰った知人が、日韓の領土問題になったとき、「日本には日本の言い分がある」とだけ言ったとき、たいへんなことになったそうです。
グローバル化とは多様な価値観を受け入れる、せめて受け止めることから始まります。ダイバーシティという考え方もそうです。韓国ももうそろそろ二回目の民主主義(一回目は軍事政権からの脱却)に飛躍するときを迎えているのではないかと思います。感情に任せた行動による社会で起こっているさまざまな事件はその過渡期に来ている気がします。韓国国民がそれを深刻にとらえ、もっともっと客観的視点に立ってものごとを分析、吟味してほしいものです。韓国はもともと優秀な力のある民族です。それが国自体がもつ制度的埋め込み(制度は文化も含めます)から個の意見が抑圧されて来ました。これを解くのはなかなか困難なことです。
現代グループ創始者の鄭周永(チョン・ジュヨン)氏が生前、「韓国に共産党があってもいい」という発言をし波紋を拡げたことがありました。ここまで成熟した韓国はもういろんな価値観が入っても国が揺るぐことはありません。もう一歩本来的な民主主義が浸透すれば日本の嫌韓感情も溶けて行きます。レイシズム運動も消えていくでしょう。おとなしい日本もあまり追いつめるとそういうことが増えていきます。それでもそういったことは辞めようと日本は日本なりに努力しています。韓国もそういった声が少しずつでも増えていくことを期待したいものです。
http://antiracism.jp/march_for_freedom
最近は日本でも海外でしかお目にかかれないような過激なデモが見られるようになってきました。そのあまりに過激な汚い罵りは、とても日本人とは思えない、もしかしたら日本人ではない人たちが日本人の皮をまとってやっているのではないかと疑いたくなるようなものです。そういったことがコリアタウンと言われる地域で行われています。
同じ日本人として恥ずかしい限りですが、その方法は反日運動で見受けられるような手法と似通ってきています。海外でどんなに反日的な活動があったとしても日本人はつねに冷静に対処する(もちろん反日運動家?からはそういった日本の態度自体も気に食わないのでしょうが)というのがある面、先進国、大人の国という自負心でもあったわけです。ところが最近のもうレイシズムと言わざるをえない状況のデモを見たりするとあっけにとられるしかないのです。
韓国では親日発言の高齢者を殴り殺すという事件が起き、さらにそれを擁護するようなネット上の論調も数多くあったりして、とにかく感情的に冷静さに欠ける行動というのが目につきます。今日のYahooニュースでは下記のような記事が載っています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130919-00000053-chosun-kr
とにかく最近のアジア三国の状況を見ると領土問題、歴史問題で感情的な行動が激しくなっています。このことは社会情勢自体がより個人に対してストレスの多い病的人格を生み出す要因をつくっているということがあげられると思います。日中韓に共通して言えることは少子高齢化が急速に進んでいて、人間関係の力が著しく低下しているということがあげられると考えます。縦型の上下関係は崩れていき、すでに年長者がえらく、年長者を大切にするという考え方はもうなくなってます。日本ではずいぶん前にそういった上下関係はかなり崩壊し、家族から会社組織までよりフラット化した関係になっています。
韓国も昔の映画と最近の映画やドラマでは大きく変わってきています。昔の映画やドラマでは大人や親の言うことが絶対で子どもや若者は間違っていても従うという社会でした。今は違います。最近のドラマの共通点は親たちの問題が子どもの代に露見して子どもたちの人生が翻弄されるというシチュエーションです。あの有名な冬のソナタも純愛と言いながら、親の世代は純愛じゃなかったよねというお話です。
今は年長者だからといって年下に命令したり強要するような態度の人は、逆に反感を買ってたいへんな目にあいます。何を言いたいかというと権力構造の上下のヒエラルキーがキツイ社会は抑圧された社会なので、徐々にそれらが爆発してしまう状況になっているということを感じます。権力や固定された思想で抑圧している社会は目に見えないフラストレーションがあふれているということなのです。韓国で高齢者を殴り殺した人はもちろん許されるべきではありません。ただそういう親日的言動に対してあまりに過激な行動に出てしまった原因は抑圧された社会やあまりに過激な反日に対するすり込みがなされている教育にもあります。
日本では反韓教育も、反中教育もしません。すなわち歴史教育に感情を持ち込まないのです。また教師が感情的にそういった意識で教育することもありません。いかに感情を入れず、歴史の史実を伝えるかが重要であり、間違っていれば上書きされていくというだけです。感情と言えばむしろ日教組の影響で日本政府に対しての反発を持つような教育のほうが知らぬ間になされていたかもしれません。他国に対して憎悪を抱かせるような教育は絶対しません。
韓国は戦後ずいぶんと民主化がなされてきました。でもまだ民主主義と言い切れないのは、社会の風潮として反対意見や異論が述べれないということがあります。日本では日本人が韓国や中国の立場を擁護する見解を述べても殺されることはありません。政治家が中国でリップサービスをしても、多少のバッシングを受けるくらいで日本にちゃんと帰国して暮らせるのです。歌手のチョ・ヨンナムさんや大学教授オ・ソナさんのこともやはり韓国はきびしいと思わざるをえません。
韓国は半島でつねに他国からの侵略に対峙しなければいけない都合上、また北朝鮮と対峙している関係上思想的な統一が不可欠であったという国家の哀しい事情があります。過去の韓国の歴史をみてもアカ狩りでかなりの人びとが犠牲になっています。でも今、反日感情を子どもたちにどんどん教育しすり込んで何かメリットがあるのでしょうか?反日運動やその意識の高揚がメリットがあるのは二点です。それは
・政権に対する不満や支持率低下に対する国民のガス抜き
・歴史問題の謝罪を通じた賠償金
です。でもよく考えるとあまりおいしいものではありません。たしかにアメリカも戦争をすると支持率が上がります。でも今回のイランへの武力行使にはアメリカ国民は懐疑的です。イギリスは参加しないことを議会で決定しました。アメリカ国民もイラク進攻の際、大量秘密兵器は無かったとか、過去のことから学習しているのです。もう政府に振り回されないよという民主主義国家としての行動をしているわけです。韓国も政府はつねに反日を利用しガス抜きをしているのですが、そういったことは良識ある韓国国民はわかっています。でも幼少時からすり込まれた反日精神はなかなか脱却できない人も多いのです。
経済援助も歴史問題にかけてやるよりは素直に日本への支援を要望したほうが日本国民は歓迎します。まあ韓国ではそういうカタチで支援を受けるということは韓国世論の反対を考えて仕方なくそういう手法しか使えないのかもしれません。北風政策では人の心は開きません。もうほとんどの日本人の心の中には、何回でも謝るけど、結局お金欲しんでしょという認識になってしまっています。もう謝罪要求は金銭要求であるとほとんどの日本人は認識しています。
反日運動は必ずしも韓国や中国の全国民の意識の反映とは考えられません。実際韓国では高齢者の方がたがとても親日の場合が多いのです。私はあの時代はご苦労されたでしょうというと、全く違う答えが返ってくるので恐縮してしまうのです。むしろ植民地時代を体験していない若い人びとの中にとてつもない反日意識を持っている場合を数多く見てきました。これは私としてはとても不思議なことでした。たしかに五情の中で唯一‘怨み’の情だけが時間薬が効かず、時間の経過とともに大きくなるのです。まさに世代が変わると多少消えるのかと思ったら、逆に世代交代とともに怨みや被害者意識は大きくなっているのです。
日本はアメリカに対して過剰な被害者意識は持ちません。というよりそういう教育自体受けていないのです。過剰な被害者意識も加害者意識も、ともに個人の人格に良い影響は与えませんし、ひいては国の発展にもマイナスです。韓国のドラマを見ていていつも思うのは親の問題が子どもに影響を及ぼすのです。でも私は結構ドライなので、親は親、子は子と考えればいいじゃないかと思ったりします。親は先に行く世代、子はこれから歩む世代。親は過去の因習にとらわれ身動きがとれないのです。親に今更価値観を変えろというのは酷です。親は子の幸せを願っています。親離れをすることが結果的に親孝行です。それで子は幸せになれるのですから。親は理解できなくていいのです。
日本の場合は欧米の個人主義や核家族化の影響で、親はもう子どもに親の考えを押し付けなくなりました。韓国はまだまだ家族主義というアジア特有の良きにつけ悪しきにつけそういった考え方が根強いのでそのパラダイムの呪縛ゆえにたいへん苦労するかもしれません。いずれにせよ抑圧が強い国から抑圧が少ない国に来れば、いろんな価値観と接し、もう一度自分や自身の人生を見つめなおす機会が得られます。日本に長年暮らして韓国に帰った知人が、日韓の領土問題になったとき、「日本には日本の言い分がある」とだけ言ったとき、たいへんなことになったそうです。
グローバル化とは多様な価値観を受け入れる、せめて受け止めることから始まります。ダイバーシティという考え方もそうです。韓国ももうそろそろ二回目の民主主義(一回目は軍事政権からの脱却)に飛躍するときを迎えているのではないかと思います。感情に任せた行動による社会で起こっているさまざまな事件はその過渡期に来ている気がします。韓国国民がそれを深刻にとらえ、もっともっと客観的視点に立ってものごとを分析、吟味してほしいものです。韓国はもともと優秀な力のある民族です。それが国自体がもつ制度的埋め込み(制度は文化も含めます)から個の意見が抑圧されて来ました。これを解くのはなかなか困難なことです。
現代グループ創始者の鄭周永(チョン・ジュヨン)氏が生前、「韓国に共産党があってもいい」という発言をし波紋を拡げたことがありました。ここまで成熟した韓国はもういろんな価値観が入っても国が揺るぐことはありません。もう一歩本来的な民主主義が浸透すれば日本の嫌韓感情も溶けて行きます。レイシズム運動も消えていくでしょう。おとなしい日本もあまり追いつめるとそういうことが増えていきます。それでもそういったことは辞めようと日本は日本なりに努力しています。韓国もそういった声が少しずつでも増えていくことを期待したいものです。
ラベル:
学習,
教育,
自分軸(PSI的フレームワーク),
政治
2013年9月18日水曜日
日中韓はなかよくなれるのか?①
日中韓、このアジアでもっとも重要で困難で、ひとくくりにできないこの三国の問題に関してはずっと避けてきた議題です。このブログはコラム式に書いていて、読むのもたいへんだけど、コメント書くのも書きづらいので、いまだにどなたのコメントもいただいておりません。管理人が削除したコメントもありません。
かなり主観的な観点が含まれているように思われるでしょうし、実際八方美人的な論調でないことは間違いありません。それでも読者の方がたが、とりあえず読んでいただいてもコメントまではされないのは、そこまで感情的にヒートアップするような議題をあまりとりあげていないということもあるかもしれません。
今回日中韓というテーマはある面たいへんリスキーなものであるとは思います。でもやはりこの件は避けて通れないものであると思います。PSI的見解をいつか出さないといけないとは思いつつもリスキーなテーマであることから、なかなか踏み切れない部分はありました。なぜならこのブログは中国の人も韓国の人も読んでいただいているからです。私自身中国・韓国の友人がいますし、決して嫌韓でも、嫌中でもないということは断っておきたいと思います。逆に下手な主張をするとネトウヨと呼ばれる人びとの反感を買う可能性もありますが、基本的に私は日本人ですから日本人のごく一般的な価値観をもっていることは否定できません。したがって彼らの気持ちも十分理解できますし、同調したい気にもなります。とりあえずそういったリスクはさておいて、今後少しづつ小出しに見解を述べていきたいと思います。
まず最初に日中韓はなかよくなれるのか?
というテーマに対しての結論をいきなり申しますとそれは可能だということです。というよりすでにそういう関係を築いている人は多いのです。その方法という考え方は極めてシンプルです。それは
男と女(最近は中間の方もおられますが)、人間というレベルまで抽象度をあげてつきあえば可能である。
ということなのです。芸術や文化は国境を越えますが、男女関係も国境を越えやすいのです。そして人間としての関係性はまったく問題がありません。ただその際、どう考えても平行線にしかならない課題はとりあえず棚上げしておくということです。これは個人レベルのつきあいでは可能です。棚上げというと、とても無責任なようですが、実は棚上げせざるえないことがらというのは私たちの人間としての生物学的な価値とはまったく関係がありません。すなわちたまたま生まれた国の立場や主張を押し付けられて、さらに言うとすり込まれているにすぎないのです。
国家的、社会的レベルにおける都合をお仕着せられているのが人間であるということです。そういったことも含めてアイデンティティというものが形成されているのですが、国の領土もこれは歴史の流れの中で人間が勝手に決めたものであって、もし神様がおられるとしたら、まったく関係の無いものであると思います。もちろん直接聞いたわけではないので断定はできません。
国とか社会、さまざまな組織にはそれぞれ人間一個人が巻き込まれるパラダイムを擁しています。その存続のために必要な考え方や都合に合わせての主張は各国、各社会、各組織において違います。そしてそこに異論をとなえると危険であることは周知のとおりです。リスクを負って異論を唱えたり変えようとするのは変革であったり、さらに過激になると革命になったりしますが、それはなかなかたいへんなことです。
日中韓の間に横たわる問題も組織変革みたいなレベルでとらえれる問題ではありません。おそらく今私たちが生きているうちに解決できるなどとは到底考えられないことばかりです。でも私たちは今を生きています。個人レベルにおいてはなかよく暮らしたいし、つきあいたいわけです。だから棚上げというか、生物としての人間とは直接関係の無い社会的な影響から変容している部分は置いといてつきあいましょうということなのです。
もちろん国が違うわけですから、やはり領土問題をはじめ、さまざまな歴史問題など食い違う部分においては大いに議論することはいいことです。むしろどんどんするべきだとも思います。日本人はとくにその部分においてはなかなか下手なのです。本音と建前でつねに和の文化の中で暮らしてきたので、欧米の大学や企業で平気で行われているディベートが上手ではないのです。では中国、韓国の人が得意かというとそうでもありません。感情論に陥りがちになって議論ができなくなる可能性があるのです。
この三国がディベートを成功させるにはスキルとセルフコントロールが必要です。それは内省やセルフコーゼーションというなんでも相手が問題だと批判するのでなく自己批判できる器も必要です。
韓国人の努力目標は、感情的にならず、威圧的になったり、強迫じみた言い回しをすることをさけることです。これは交渉術としては有効な場合がありますが、交渉して自分の要求を相手に飲ませるのが目的ではないということです。負けるが勝ちという言葉がありますが、無理やり追い込めて勝つと後で分が悪くなり、結局人間関係で劣位に転じる可能性が大です。
日本人は本音と建前が人間関係の潤滑油みたいなところが強く、言いにくいことは極力オブラートに包んで表現してしまうということが多いのです。で、結果的に相手にちゃんと伝わっていないということが多く。また甘えの構造からなんで理解してないのと相手を責めるところがあるのです。空気を読んでとか、行間を読んで理解してというのは日本でしか通用しません。最近は世代的に空気が読めなくなっているので、空気を呼んで相手の意図を察して行動できる人は減っています。とにかくはっきりと意見を述べるということが重要です。議論のとき言いたいことを我慢してあとでこそこそ言うのは日本人の悪いところです。
日本人は喧嘩もできない人が多く、裏ではいろいろ言っているのに本人の前ではいい顔で通るというのがあります。そういう人は似非平和主義と私は言っていますが、たまには感情的になったり喧嘩したりするのも人間的でいいのではと思います。日本の犯罪はそういった面でとても陰湿なものが多い気がします。
中国人は過激な反日運動ばかりがメディアに露出されているので、とんでもない過激で感情的だと思われがちですが、それは一部の人です。実際はかなり冷静な人も多いのです。何しろ4000年の歴史がありますし、忍耐強いところもあるのです。ただ自己主張は強いので、相手の事情をよく理解するというスキルは必要な気がします。また計算づくで考えるのでなく、本音で自分をさらけ出すことも必要かと思います。日本人とまたちがって奥深い部分があります。
それぞれ個々のマイナス部分を自覚した人びとが集まって冷静に議論すればとても面白いと思います。もちろん育った環境や遺伝的要素も違いますが、いまあげたような内容を抑えて話し合うというのはとても大変なことです。しゃべり方もすぐ民族性がすぐでてしまいます。それは仕方のないことです。ただ知的にはそういったマイナス部分を念頭に置いておくというのは大切です。受容できる部分は自分にとってプラスになるわけで、どうしても譲れない部分を譲る必要もないのです。平行線になっていいのです。
かなり主観的な観点が含まれているように思われるでしょうし、実際八方美人的な論調でないことは間違いありません。それでも読者の方がたが、とりあえず読んでいただいてもコメントまではされないのは、そこまで感情的にヒートアップするような議題をあまりとりあげていないということもあるかもしれません。
今回日中韓というテーマはある面たいへんリスキーなものであるとは思います。でもやはりこの件は避けて通れないものであると思います。PSI的見解をいつか出さないといけないとは思いつつもリスキーなテーマであることから、なかなか踏み切れない部分はありました。なぜならこのブログは中国の人も韓国の人も読んでいただいているからです。私自身中国・韓国の友人がいますし、決して嫌韓でも、嫌中でもないということは断っておきたいと思います。逆に下手な主張をするとネトウヨと呼ばれる人びとの反感を買う可能性もありますが、基本的に私は日本人ですから日本人のごく一般的な価値観をもっていることは否定できません。したがって彼らの気持ちも十分理解できますし、同調したい気にもなります。とりあえずそういったリスクはさておいて、今後少しづつ小出しに見解を述べていきたいと思います。
まず最初に日中韓はなかよくなれるのか?
というテーマに対しての結論をいきなり申しますとそれは可能だということです。というよりすでにそういう関係を築いている人は多いのです。その方法という考え方は極めてシンプルです。それは
男と女(最近は中間の方もおられますが)、人間というレベルまで抽象度をあげてつきあえば可能である。
ということなのです。芸術や文化は国境を越えますが、男女関係も国境を越えやすいのです。そして人間としての関係性はまったく問題がありません。ただその際、どう考えても平行線にしかならない課題はとりあえず棚上げしておくということです。これは個人レベルのつきあいでは可能です。棚上げというと、とても無責任なようですが、実は棚上げせざるえないことがらというのは私たちの人間としての生物学的な価値とはまったく関係がありません。すなわちたまたま生まれた国の立場や主張を押し付けられて、さらに言うとすり込まれているにすぎないのです。
国家的、社会的レベルにおける都合をお仕着せられているのが人間であるということです。そういったことも含めてアイデンティティというものが形成されているのですが、国の領土もこれは歴史の流れの中で人間が勝手に決めたものであって、もし神様がおられるとしたら、まったく関係の無いものであると思います。もちろん直接聞いたわけではないので断定はできません。
国とか社会、さまざまな組織にはそれぞれ人間一個人が巻き込まれるパラダイムを擁しています。その存続のために必要な考え方や都合に合わせての主張は各国、各社会、各組織において違います。そしてそこに異論をとなえると危険であることは周知のとおりです。リスクを負って異論を唱えたり変えようとするのは変革であったり、さらに過激になると革命になったりしますが、それはなかなかたいへんなことです。
日中韓の間に横たわる問題も組織変革みたいなレベルでとらえれる問題ではありません。おそらく今私たちが生きているうちに解決できるなどとは到底考えられないことばかりです。でも私たちは今を生きています。個人レベルにおいてはなかよく暮らしたいし、つきあいたいわけです。だから棚上げというか、生物としての人間とは直接関係の無い社会的な影響から変容している部分は置いといてつきあいましょうということなのです。
もちろん国が違うわけですから、やはり領土問題をはじめ、さまざまな歴史問題など食い違う部分においては大いに議論することはいいことです。むしろどんどんするべきだとも思います。日本人はとくにその部分においてはなかなか下手なのです。本音と建前でつねに和の文化の中で暮らしてきたので、欧米の大学や企業で平気で行われているディベートが上手ではないのです。では中国、韓国の人が得意かというとそうでもありません。感情論に陥りがちになって議論ができなくなる可能性があるのです。
この三国がディベートを成功させるにはスキルとセルフコントロールが必要です。それは内省やセルフコーゼーションというなんでも相手が問題だと批判するのでなく自己批判できる器も必要です。
韓国人の努力目標は、感情的にならず、威圧的になったり、強迫じみた言い回しをすることをさけることです。これは交渉術としては有効な場合がありますが、交渉して自分の要求を相手に飲ませるのが目的ではないということです。負けるが勝ちという言葉がありますが、無理やり追い込めて勝つと後で分が悪くなり、結局人間関係で劣位に転じる可能性が大です。
日本人は本音と建前が人間関係の潤滑油みたいなところが強く、言いにくいことは極力オブラートに包んで表現してしまうということが多いのです。で、結果的に相手にちゃんと伝わっていないということが多く。また甘えの構造からなんで理解してないのと相手を責めるところがあるのです。空気を読んでとか、行間を読んで理解してというのは日本でしか通用しません。最近は世代的に空気が読めなくなっているので、空気を呼んで相手の意図を察して行動できる人は減っています。とにかくはっきりと意見を述べるということが重要です。議論のとき言いたいことを我慢してあとでこそこそ言うのは日本人の悪いところです。
日本人は喧嘩もできない人が多く、裏ではいろいろ言っているのに本人の前ではいい顔で通るというのがあります。そういう人は似非平和主義と私は言っていますが、たまには感情的になったり喧嘩したりするのも人間的でいいのではと思います。日本の犯罪はそういった面でとても陰湿なものが多い気がします。
中国人は過激な反日運動ばかりがメディアに露出されているので、とんでもない過激で感情的だと思われがちですが、それは一部の人です。実際はかなり冷静な人も多いのです。何しろ4000年の歴史がありますし、忍耐強いところもあるのです。ただ自己主張は強いので、相手の事情をよく理解するというスキルは必要な気がします。また計算づくで考えるのでなく、本音で自分をさらけ出すことも必要かと思います。日本人とまたちがって奥深い部分があります。
それぞれ個々のマイナス部分を自覚した人びとが集まって冷静に議論すればとても面白いと思います。もちろん育った環境や遺伝的要素も違いますが、いまあげたような内容を抑えて話し合うというのはとても大変なことです。しゃべり方もすぐ民族性がすぐでてしまいます。それは仕方のないことです。ただ知的にはそういったマイナス部分を念頭に置いておくというのは大切です。受容できる部分は自分にとってプラスになるわけで、どうしても譲れない部分を譲る必要もないのです。平行線になっていいのです。
ラベル:
学習,
教育,
自分軸(PSI的フレームワーク),
政治
2013年7月23日火曜日
参院選(7.21)に思うこと
先日行われた参議院選挙の結果はみなさんがほぼ予想されたとおりの結果になったのではないでしょうか。安倍総理が衆参のねじれを正すと言いまくったとおり、自公で過半数を上回り、それが実現されました。今回の選挙も、マスコミの大きな後押しが自公政権に大きな追い風になったことは否めません。
昨年の政権交代依頼、アベノミクスがどんどん勢いづいているその理由の一つに輸出を中心とした大企業(スポンサー)をバックにしたマスコミの力が大きいことと、民主党への不満の反動も大きな要因としてあげられると思います。もちろん安倍政権に対する期待もあるでしょうが、あまりにダメだった民主党とのコントラスト効果で自民党安倍政権が実際以上の評価を得ているのではないかと思ってしまいます。
また共産党の躍進は、これは単にホントの意味での野党がなくなったことで、票が集中しているのだと思います。それで共産党に投票する人たちは別に好きじゃないけど入れるところがないのでといったコメントをしていたりします。野党の本流であった日本社会党はすでに消えてしまっていますし、与党の渦の中に消滅したと見たほうがいいと思います。
日本もアメリカのような二大政党になればいいという人がいますが、私もある程度そういうカタチになったほうが国民としてはわかりやすいと思います。ところが現状を見ると自民党(公明党は統制された他の論理をもつ集団なので除外しますが)や他の政党を見ると保守とリベラルがごっちゃに入っているのです。アメリカみたいに共和党と民主党というカテゴリーわけができないのです。したがって国民は思想や政策だけで選ぶことが困難で、どうしても属人的な判断に大きく依存してしまうのです。
維新の会やみんなの党、その他もろもろの少数政党も似たり寄ったりなのです。ホントはスッキリと保守、リベラルと二大政党のように色分けできれば、さらにわかりやすいと思います。例えばですが、原発推進、憲法9条改正、大企業中心、消費税導入と原発反対、憲法9条維持、中小企業支援、福祉推進となんか色分けできればもっとわかりやすいかもしれません。もちろんひとくくりにできないことは現実問題としてありますが。
昨年から自民党が再び政権を握って、大胆な政策でどんどん強い日本になっていくことを国民は期待しているのだろうと思います。ただ懸念事項として、私が憂慮しているのは、自公政権自体に一枚岩になって対抗できる野党が存在していないということです。今は自公政権の軍事も含めたアベノミクスというアクセルに対してブレーキの役割ができるのは同じ政権内の公明党ということになっているのが実際のところです。今の政治のおもしろい?ところはそれぞれの政党内が保守とリベラルがごっちゃになっているという点で、そうでない党は公明党と共産党です。なぜこの二党はそうならないかというと宗教であり、イデオロギーの党だからです。唯心論と唯物論という両極端の党でありながら絶対的な思想をベースに作られているところがあり、他の党に比べ、党員間の矛盾や葛藤は少ないと考えられます。
少々話がずれましたが、イケイケドンドンの安倍政権で今後憂慮すべき点は、大企業中心の政策はある面更なる格差を生み、決して国民全体としてしあわせになれるのかどうかという点ではたいへん疑問を持たざるをえません。もちろん反対に福祉国家を目指すことが善だとは思えません。すでに福祉国家で素晴らしい国とされてきた北欧の国々のさまざまな問題(働かない若者や移民の問題、他)が起こってきているからです。すべてにおいてバランスが大切です。
さらに憲法9条、96条の改正により、自衛隊が軍隊へ移行するという流れで、表向きは独立国家に軍隊があって当然という観点での耳触りのいい話です。でも実際日本は独立国家と言えるのでしょうか、いまだにアメリカや周辺国の顔色をつねにうかがいながら、政治をしているわけです。靖国参拝も周辺国にいろいろ言われて、なにか弁明じみたことを言っているわけですが、はっきりと内政干渉であると言える政治家がどれほどいるでしょうか。一宗教法人に公人として参拝するというのが問題であって、別に周辺国への説明は必要ないはずです。ならば靖国神社を国営化するとか別途に国立墓地のようなところをつくるとかいろいろ違った議論が出てもいいのではと思います。
周辺国が過去の歴史問題を持ち出すのはいまだに政治的、外交的カードとして有効であると認識しているからです。政治的側面から国民全体がそう信じ込んで日本を非難する人もいますが、実際、国際的な視野を持ち、学習した人は国家のすり込みというものをよく理解していて、本音は日中韓でそれほど大きな価値観の違いはありません(もちろん幼いころからすり込まれたものは簡単には抜けませんが)。とにかくそういった点でまず外交手腕を発揮して、周辺国を納得させるくらいの力をもち、その上で自衛隊を軍隊にと議論すべきであると思います。
ただよく認識しておかなければならないのは戦後、徴兵制が無かったことが日本経済に大きな効果をもたらしたということです。徴兵がある国は、企業が最も人材育成をしたい20代に軍隊に行かなければならないのです。また日本人は和を重んじる民族で集団凝集性もたいへん高いと私は考えています。したがって、戦前の軍国主義の時代に戻ってしまうという危険性は否めません。ここまで民主主義が根付いて、民度も高い日本がそうはならないと思う人も多いでしょう。おとなしくて、几帳面、真面目、いい人、そして原則から逸脱したことがきらいという人がカルトに陥りやすいのです。日本人にうつが多いのもそういった性格が影響しています。
しょっちゅう喧嘩したり、ぶつかったりしている人は、子供みたいで、またそういう国民は民度は低いかもしれませんが、カルトチックになりにくい傾向にあります。日本は間違いなく自衛隊から軍隊に移行すれば、徴兵制が敷かれ、有事の際には、召集令状という流れになってくるでしょう。そして国民総動員というカタチで反対意見を言うものは村八分にされ排除される可能性も否めません。そういう状況にどんどん変化したとき、現在アベノミクスをさらに後押ししているマスコミは正論を述べる立場に立てるのかということも気になります。
なぜこんなに心配するかというと、こんなに民主主義が広がり平和な日本であるのに、社会の裏ではいまだにカルト教団やブラック企業での人権蹂躙が平気で行われているという事実があるからです。実は無理な要求で追い込まれて自殺する人が後を絶たないのですが、実際そういった組織や組織のトップの責任を立証できないがために改善されていないのが実状です。今回その代表を勤めていた人が自民党の比例で当選を果たしました。あれだけ批判があって公認取り下げの訴えがあったにも関わらず、押し通して国会議員にしてしまった自民党の非民主主義的な手法に憂慮せざるをえません。
とにかく人間は間違います。かならずブレーキの役割をする機関や人が絶対に必要なのです。そしてブレーキはアクセルにコミットしていません。あくまでコミットしているのは危険という認識とストップさせるという概念だけです。自民党が暴走しないことを祈るのみです。
昨年の政権交代依頼、アベノミクスがどんどん勢いづいているその理由の一つに輸出を中心とした大企業(スポンサー)をバックにしたマスコミの力が大きいことと、民主党への不満の反動も大きな要因としてあげられると思います。もちろん安倍政権に対する期待もあるでしょうが、あまりにダメだった民主党とのコントラスト効果で自民党安倍政権が実際以上の評価を得ているのではないかと思ってしまいます。
また共産党の躍進は、これは単にホントの意味での野党がなくなったことで、票が集中しているのだと思います。それで共産党に投票する人たちは別に好きじゃないけど入れるところがないのでといったコメントをしていたりします。野党の本流であった日本社会党はすでに消えてしまっていますし、与党の渦の中に消滅したと見たほうがいいと思います。
日本もアメリカのような二大政党になればいいという人がいますが、私もある程度そういうカタチになったほうが国民としてはわかりやすいと思います。ところが現状を見ると自民党(公明党は統制された他の論理をもつ集団なので除外しますが)や他の政党を見ると保守とリベラルがごっちゃに入っているのです。アメリカみたいに共和党と民主党というカテゴリーわけができないのです。したがって国民は思想や政策だけで選ぶことが困難で、どうしても属人的な判断に大きく依存してしまうのです。
維新の会やみんなの党、その他もろもろの少数政党も似たり寄ったりなのです。ホントはスッキリと保守、リベラルと二大政党のように色分けできれば、さらにわかりやすいと思います。例えばですが、原発推進、憲法9条改正、大企業中心、消費税導入と原発反対、憲法9条維持、中小企業支援、福祉推進となんか色分けできればもっとわかりやすいかもしれません。もちろんひとくくりにできないことは現実問題としてありますが。
昨年から自民党が再び政権を握って、大胆な政策でどんどん強い日本になっていくことを国民は期待しているのだろうと思います。ただ懸念事項として、私が憂慮しているのは、自公政権自体に一枚岩になって対抗できる野党が存在していないということです。今は自公政権の軍事も含めたアベノミクスというアクセルに対してブレーキの役割ができるのは同じ政権内の公明党ということになっているのが実際のところです。今の政治のおもしろい?ところはそれぞれの政党内が保守とリベラルがごっちゃになっているという点で、そうでない党は公明党と共産党です。なぜこの二党はそうならないかというと宗教であり、イデオロギーの党だからです。唯心論と唯物論という両極端の党でありながら絶対的な思想をベースに作られているところがあり、他の党に比べ、党員間の矛盾や葛藤は少ないと考えられます。
少々話がずれましたが、イケイケドンドンの安倍政権で今後憂慮すべき点は、大企業中心の政策はある面更なる格差を生み、決して国民全体としてしあわせになれるのかどうかという点ではたいへん疑問を持たざるをえません。もちろん反対に福祉国家を目指すことが善だとは思えません。すでに福祉国家で素晴らしい国とされてきた北欧の国々のさまざまな問題(働かない若者や移民の問題、他)が起こってきているからです。すべてにおいてバランスが大切です。
さらに憲法9条、96条の改正により、自衛隊が軍隊へ移行するという流れで、表向きは独立国家に軍隊があって当然という観点での耳触りのいい話です。でも実際日本は独立国家と言えるのでしょうか、いまだにアメリカや周辺国の顔色をつねにうかがいながら、政治をしているわけです。靖国参拝も周辺国にいろいろ言われて、なにか弁明じみたことを言っているわけですが、はっきりと内政干渉であると言える政治家がどれほどいるでしょうか。一宗教法人に公人として参拝するというのが問題であって、別に周辺国への説明は必要ないはずです。ならば靖国神社を国営化するとか別途に国立墓地のようなところをつくるとかいろいろ違った議論が出てもいいのではと思います。
周辺国が過去の歴史問題を持ち出すのはいまだに政治的、外交的カードとして有効であると認識しているからです。政治的側面から国民全体がそう信じ込んで日本を非難する人もいますが、実際、国際的な視野を持ち、学習した人は国家のすり込みというものをよく理解していて、本音は日中韓でそれほど大きな価値観の違いはありません(もちろん幼いころからすり込まれたものは簡単には抜けませんが)。とにかくそういった点でまず外交手腕を発揮して、周辺国を納得させるくらいの力をもち、その上で自衛隊を軍隊にと議論すべきであると思います。
ただよく認識しておかなければならないのは戦後、徴兵制が無かったことが日本経済に大きな効果をもたらしたということです。徴兵がある国は、企業が最も人材育成をしたい20代に軍隊に行かなければならないのです。また日本人は和を重んじる民族で集団凝集性もたいへん高いと私は考えています。したがって、戦前の軍国主義の時代に戻ってしまうという危険性は否めません。ここまで民主主義が根付いて、民度も高い日本がそうはならないと思う人も多いでしょう。おとなしくて、几帳面、真面目、いい人、そして原則から逸脱したことがきらいという人がカルトに陥りやすいのです。日本人にうつが多いのもそういった性格が影響しています。
しょっちゅう喧嘩したり、ぶつかったりしている人は、子供みたいで、またそういう国民は民度は低いかもしれませんが、カルトチックになりにくい傾向にあります。日本は間違いなく自衛隊から軍隊に移行すれば、徴兵制が敷かれ、有事の際には、召集令状という流れになってくるでしょう。そして国民総動員というカタチで反対意見を言うものは村八分にされ排除される可能性も否めません。そういう状況にどんどん変化したとき、現在アベノミクスをさらに後押ししているマスコミは正論を述べる立場に立てるのかということも気になります。
なぜこんなに心配するかというと、こんなに民主主義が広がり平和な日本であるのに、社会の裏ではいまだにカルト教団やブラック企業での人権蹂躙が平気で行われているという事実があるからです。実は無理な要求で追い込まれて自殺する人が後を絶たないのですが、実際そういった組織や組織のトップの責任を立証できないがために改善されていないのが実状です。今回その代表を勤めていた人が自民党の比例で当選を果たしました。あれだけ批判があって公認取り下げの訴えがあったにも関わらず、押し通して国会議員にしてしまった自民党の非民主主義的な手法に憂慮せざるをえません。
とにかく人間は間違います。かならずブレーキの役割をする機関や人が絶対に必要なのです。そしてブレーキはアクセルにコミットしていません。あくまでコミットしているのは危険という認識とストップさせるという概念だけです。自民党が暴走しないことを祈るのみです。
2013年6月25日火曜日
都議選(6.23)に思うこと
今週日曜日に東京都都議選の投票が行われました。結果はおそらくだいたいの人びとが予想したであろう通りの自民、公明の圧倒的勝利ということでした。維新の会は橋下共同代表の問題(失言?本音が出ただけ?)発言から完全に敗北、それに対して躍進したのはみんなの党でした。
みなさんは今回の都議選どう見られていますか?私は明らかに民主党政権から自民党政権に代わってアベノミクスの名のもと、それをあおってきたマスコミの方向性に従った国民の選択であったと思います。そもそも円安誘導でもっとも恩恵に預かっているのは、輸出中心の大企業であり、彼らが躍進することで恩恵を受けるのは、政財界もそうですが、マスコミでもあります。そういった企業がテレビのスポンサーになっているわけですから、当然マスコミとしてはアベノミクスを後押しせざるをえません。そしてそれに同調する人しかコメンテーターとしてテレビなどに露出することはできないわけですから、ますます自民党に追い風になっているわけです。
ここで自民党のこの流れを批判しようというわけではありません。ただ現時点でアベノミクスの恩恵を受けているのは間違いなく輸出企業であり、一部の富裕層であると考えざるをえません。今後どうなるかは国民全体にその恩恵が波及するかどうかということにつきると思います。専門家によっては国民全体がその効果を実感するのは半年後とか一年半後とか言う人がいます。ただ一般国民はマスコミの洗脳的宣伝によって、なんとなく踊らされている面が多いのですが、実際のところ、給料が上がる前に物価がどんどん上がってきていて決して生活がラクになっているとは言えないのが現状です。
ガソリンの価格もさまざまな交通機関の料金においても、また荷物の配送料金なども、デフレのときでさえ、とても高い状況にあったわけです。マスコミによって過去の状況をデフレであるとすり込まれているのですが、実際それはどうなのと言いたい部分もあります。とにかくテレビでは高所得の芸能人ばかりが出て市場の価格がいかに安いかをアピールし、反面高級なものや生活を自慢し、挙句の果ては、一般人の貧乏生活をネタにした番組をつくるというどう考えても世間一般の常識とはかけ離れた観点で番組をつくっているとしか言いようがありません。
私たちは情報リテラシーを高める必要があると思います。明らかに政治に対して大きな影響力を持っているのは国民を洗脳してしまうメディアであることは否めません。そうやって国民の世論というのは形成されているわけですが、何分保守的な日本人の特質はそんなに変わるわけではないというのも私の実感です。そして日本人はファッション、ブームに極端に弱いのです。イメージにすぐ左右されてしまうという国民の弱点があります。
今回の失言とも言われている橋下市長の発言、これを石原共同代表が言っていたらどうでしょう。昔、三国人発言も結局、うやむやになって終わりです。とにかくマスコミもそれ以上ツッコめないオーラを出しているのです。橋下さんの言動には決して賛同はできませんが、同じ発言でも人によっては喉元過ぎればで終わる場合もあります。政治家は自分のキャラをよくわきまえておくことも重要かもしれません。自分の思い込みでなく、自分が周りからどう見られているかということをある程度認識した上で行動することも必要であると思います。
基本的に日本人の現在の思考は保守、右寄りに傾いています。その原因の一つは隣国の領土問題等がさらにそれを加速化しているのです。近隣諸国は自国の利益を優先するという認識が強いあまり、‘急がば回れ’的な思考ができないでいるのです。領土問題や過去の戦争責任を追及すればするほど日本を右傾化させ、結果的に経済関係も冷え込むことで自国の首を絞める構図になっているということなのです。損して得とれという考え方は冷静にものごとを見る能力を養わなければ難しいようです。
今回の都議選での共産党の躍進は単に左翼政党が共産党しかなくなったということに集約されます。決して共産党の理念や共産主義を信じている人などほぼ皆無ではないかと思います。すでに共産主義という思想自体は歴史的に非実現的なものとして証明されたわけですし、おそらく共産党の執行部の方自体がそれは十分認知されていると思います。共産党に投票された方もいれるところがないからというのがかなりの数になるのだろうと思います。すでに社会党系はすでに保守に飲み込まれ、社民党の存在も風前の灯状態です。憲法9条を死守するという党は共産党しかないわけですから、存在意義は十分大きいものと考えられます。
今回みんなの党の躍進も維新の会の票が横に流れただけで本来なら両党でシェアするような状況だったのでしょうが、先の橋下発言でこのような状況になったのではないかと思っています。また本来民主党の票であったはずの票は他の保守政党に分配されたという見方でいいのではと思います。今回の都議選で言えることは明らかに自民党の安倍政権になって日銀政策から円安誘導などはっきりとした内容を打ち出すということがどうやら国民にウケているような気がします。無所属議員が一人しか当選しなかったことなどもその表れのような気がします。
いずれにせよ、東京都は日本の縮図、この度の都議選に表れた都民の意識もやはりマスメディア主導のイメージに大きく左右されたものと感じざるをえないのが感想です。参院選はあまりイメージやマスメディアの発信内容に左右されず、ホントに日本の国益に副う政党、政治家はだれなのか見極めての投票を期待したいものです。
みなさんは今回の都議選どう見られていますか?私は明らかに民主党政権から自民党政権に代わってアベノミクスの名のもと、それをあおってきたマスコミの方向性に従った国民の選択であったと思います。そもそも円安誘導でもっとも恩恵に預かっているのは、輸出中心の大企業であり、彼らが躍進することで恩恵を受けるのは、政財界もそうですが、マスコミでもあります。そういった企業がテレビのスポンサーになっているわけですから、当然マスコミとしてはアベノミクスを後押しせざるをえません。そしてそれに同調する人しかコメンテーターとしてテレビなどに露出することはできないわけですから、ますます自民党に追い風になっているわけです。
ここで自民党のこの流れを批判しようというわけではありません。ただ現時点でアベノミクスの恩恵を受けているのは間違いなく輸出企業であり、一部の富裕層であると考えざるをえません。今後どうなるかは国民全体にその恩恵が波及するかどうかということにつきると思います。専門家によっては国民全体がその効果を実感するのは半年後とか一年半後とか言う人がいます。ただ一般国民はマスコミの洗脳的宣伝によって、なんとなく踊らされている面が多いのですが、実際のところ、給料が上がる前に物価がどんどん上がってきていて決して生活がラクになっているとは言えないのが現状です。
ガソリンの価格もさまざまな交通機関の料金においても、また荷物の配送料金なども、デフレのときでさえ、とても高い状況にあったわけです。マスコミによって過去の状況をデフレであるとすり込まれているのですが、実際それはどうなのと言いたい部分もあります。とにかくテレビでは高所得の芸能人ばかりが出て市場の価格がいかに安いかをアピールし、反面高級なものや生活を自慢し、挙句の果ては、一般人の貧乏生活をネタにした番組をつくるというどう考えても世間一般の常識とはかけ離れた観点で番組をつくっているとしか言いようがありません。
私たちは情報リテラシーを高める必要があると思います。明らかに政治に対して大きな影響力を持っているのは国民を洗脳してしまうメディアであることは否めません。そうやって国民の世論というのは形成されているわけですが、何分保守的な日本人の特質はそんなに変わるわけではないというのも私の実感です。そして日本人はファッション、ブームに極端に弱いのです。イメージにすぐ左右されてしまうという国民の弱点があります。
今回の失言とも言われている橋下市長の発言、これを石原共同代表が言っていたらどうでしょう。昔、三国人発言も結局、うやむやになって終わりです。とにかくマスコミもそれ以上ツッコめないオーラを出しているのです。橋下さんの言動には決して賛同はできませんが、同じ発言でも人によっては喉元過ぎればで終わる場合もあります。政治家は自分のキャラをよくわきまえておくことも重要かもしれません。自分の思い込みでなく、自分が周りからどう見られているかということをある程度認識した上で行動することも必要であると思います。
基本的に日本人の現在の思考は保守、右寄りに傾いています。その原因の一つは隣国の領土問題等がさらにそれを加速化しているのです。近隣諸国は自国の利益を優先するという認識が強いあまり、‘急がば回れ’的な思考ができないでいるのです。領土問題や過去の戦争責任を追及すればするほど日本を右傾化させ、結果的に経済関係も冷え込むことで自国の首を絞める構図になっているということなのです。損して得とれという考え方は冷静にものごとを見る能力を養わなければ難しいようです。
今回の都議選での共産党の躍進は単に左翼政党が共産党しかなくなったということに集約されます。決して共産党の理念や共産主義を信じている人などほぼ皆無ではないかと思います。すでに共産主義という思想自体は歴史的に非実現的なものとして証明されたわけですし、おそらく共産党の執行部の方自体がそれは十分認知されていると思います。共産党に投票された方もいれるところがないからというのがかなりの数になるのだろうと思います。すでに社会党系はすでに保守に飲み込まれ、社民党の存在も風前の灯状態です。憲法9条を死守するという党は共産党しかないわけですから、存在意義は十分大きいものと考えられます。
今回みんなの党の躍進も維新の会の票が横に流れただけで本来なら両党でシェアするような状況だったのでしょうが、先の橋下発言でこのような状況になったのではないかと思っています。また本来民主党の票であったはずの票は他の保守政党に分配されたという見方でいいのではと思います。今回の都議選で言えることは明らかに自民党の安倍政権になって日銀政策から円安誘導などはっきりとした内容を打ち出すということがどうやら国民にウケているような気がします。無所属議員が一人しか当選しなかったことなどもその表れのような気がします。
いずれにせよ、東京都は日本の縮図、この度の都議選に表れた都民の意識もやはりマスメディア主導のイメージに大きく左右されたものと感じざるをえないのが感想です。参院選はあまりイメージやマスメディアの発信内容に左右されず、ホントに日本の国益に副う政党、政治家はだれなのか見極めての投票を期待したいものです。
2013年4月10日水曜日
北朝鮮、ミサイル発射?
今日、マスコミをにぎわせているのは北朝鮮がミサイルを発射するのか否かという話です。あまりPSIブログでは政治ネタにはあまりコミットしていないのですが、今日はちょっとだけコメントします。
北朝鮮もオオカミ少年だの、口先ばかりだと言われて、さすがに今回ばかりは金正恩氏も有言実行というカタチでどんどん戦争の方向に突っ走っているのでしょうか。どこかで落としどころをつくってほしいという期待はしているのかもしれませんが、あまりに暴走しているためアメリカも手の施しようがないのかもしれません。
まあそれにしても、親も限界があります。子どもが駄々こねてある程度のところで納得して泣き止んでくれれば受容しますが、あまりにひどいとさすがにもう勝手にしなさいというふうになります。もう北朝鮮に対する周辺国の意識はそのレベルまでいっていると思うのですが……。とにかく今日からの北朝鮮の動きに注目したいところです。
もし戦争になれば、その恩恵を受けるのは誰でしょうか、もちろん大量の武器が使われますので武器製造会社は当然大きなビジネスチャンスになるのでしょう。朝鮮戦争のときの日本の特需のようになるかどうかはわかりませんが。あと唯一恩恵を受けるとしたら、北朝鮮の平壌在住以外の人民です。戦争を契機に解放されるチャンスが巡ってきます。当然難民として大量に韓国や中国になだれ込んでくるでしょう。もちろんそれを経済的に支えるのはアメリカ、中国、日本ということになるのではないでしょうか。韓国は南北統一を表向き訴えてきましたが、実際、本音の部分ではそれを望んでいる人はごく一部です。
韓国ではそういったことを具体的に言及しても別に危なくない、ということは政府も国民全体も本音の部分は必ずしも統一を願っていないということだと思います。ただ北朝鮮の罪のない人びとが解放されることは心から祈らざるをえません。
北朝鮮もオオカミ少年だの、口先ばかりだと言われて、さすがに今回ばかりは金正恩氏も有言実行というカタチでどんどん戦争の方向に突っ走っているのでしょうか。どこかで落としどころをつくってほしいという期待はしているのかもしれませんが、あまりに暴走しているためアメリカも手の施しようがないのかもしれません。
まあそれにしても、親も限界があります。子どもが駄々こねてある程度のところで納得して泣き止んでくれれば受容しますが、あまりにひどいとさすがにもう勝手にしなさいというふうになります。もう北朝鮮に対する周辺国の意識はそのレベルまでいっていると思うのですが……。とにかく今日からの北朝鮮の動きに注目したいところです。
もし戦争になれば、その恩恵を受けるのは誰でしょうか、もちろん大量の武器が使われますので武器製造会社は当然大きなビジネスチャンスになるのでしょう。朝鮮戦争のときの日本の特需のようになるかどうかはわかりませんが。あと唯一恩恵を受けるとしたら、北朝鮮の平壌在住以外の人民です。戦争を契機に解放されるチャンスが巡ってきます。当然難民として大量に韓国や中国になだれ込んでくるでしょう。もちろんそれを経済的に支えるのはアメリカ、中国、日本ということになるのではないでしょうか。韓国は南北統一を表向き訴えてきましたが、実際、本音の部分ではそれを望んでいる人はごく一部です。
韓国ではそういったことを具体的に言及しても別に危なくない、ということは政府も国民全体も本音の部分は必ずしも統一を願っていないということだと思います。ただ北朝鮮の罪のない人びとが解放されることは心から祈らざるをえません。
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