はじめに、日本人として東京のオリンピック・パラリンピック招致決定をうれしく思います。そして安倍首相、猪瀬都知事はじめ関係者の方々への労をねぎらいたいと思います。
最初、日本は他の二国に比べ、自国での五輪招致に対する支持率がとても低く、実際のところ私もそんなに意識はありませんでした。でもそれは国民の多くがおそらく3.11の復興もままならない状態で自国の復興がまず最初ではないかという意識があったからではないかと思います。
でも実際、五輪招致に名乗りを上げたのは、3.11以前ですし、さまざまな苦難があったとはいえ、五輪招致にかぎつけた日本の意地というか底力はたいしたものだと思います。何をやるにも賛否両論あるものです。どんなにいいことだと思ってもそう思わない人もいます。100%一致する政策もなければ、100%好かれる人格の人もいません。ただ、私としては五輪招致に関する活動はどうも東北の人びとの気持ちを置いて行っているようで、いまひとつ納得できないものもあったのですが、最終的には安倍首相や猪瀬都知事の東北の人びとへの配慮の言葉があったことで救われる気持ちになり、今回の五輪招致をいっしょに祝いたいという気持ちに変わりました。
ということで前置きはこれくらいにして、今回の五輪招致の活動のために組織された人びとのチームワークの素晴らしさには敬服しました。もちろんプレゼンの素晴らしさはともかく、それぞれがそれぞれの立場で役割をうまく果たした結果であったと思います。そこにはプレゼン能力や折衝能力といったスキルもさることながら、それのベースとなった目に見えない日本人の文化や価値観があったことは間違いないと思います。そしてそれらをうまく引き出し、アドバイスした五輪招致デザイナーの存在は大きいでしょう。
今回のこのチームはまさに五輪招致というビジョンをもとに寄せ集められた個性派集団です。しかしそのチームワークの素晴らしさはさまざまなメディアを通じて伝わってきました。それはよっぽどうがった見方をしないかぎり、国民の多くがそう感じたのではないかと思います。会社組織のような集団ではない、やはりスポーツらしい全員が一丸となって取り組むという姿勢が随所にみられました。やはり目標が明確でそれにむかっていかに勝利を勝ち取るかという意識、そしてチームの構成員のすべてのモチベーションにあまり格差が見られない状態なのだと感じました。
会社組織や学校の運動会などでも、リンゲルマン効果(集団になると手抜きが発生する)が見られるというのはありますが、今回のチームではそういう感じを受けません。それは東京招致が決定した瞬間、みんなが抱き合って涙した姿にそう感じました。もちろん、これはあくまで私が感じたことを述べているにすぎないので断定はできませんが……。
会社や学校という集団、組織も寄せ集めです。今回のチームが寄せ集めと言っても会社や学校とは違います。会社や学校のビジョンは全体目標以上に個人の幸せにも主眼が置かれています。そしてその二者は必ずしも一致はしていないのです。会社や学校の方針に従わない社員や学生も存在します。でも少なくともこの度のチームにはそういう人はいないはずです。それは日本人というアイデンティティをベースにしているという点も大きいと思います。そこに五輪招致という共通のビジョンを掲げてひとつになれるという集団凝集性がたいへん高い組織です。
普通、集団凝集性が高く、ものすごい一体感をもって動くような組織というと権威主義的である面ビジョンも明確で、組織のトップの独裁色も強いイメージがあります。特に反社会的団体やカルト教団のような組織はとくにそういう傾向が強いと思われます。でも集団凝集性が強いのにそのように権威的にもならなければ、独裁者の存在もいないという状況でそれぞれが役割を果たし、結果も出したというケースです。
これは私はスポーツのチームにみるチームワークは本質的に会社の組織構造とは違うのだということを感じるのです。すなわちひとつの結果を出すために役割分担で形成された組織で、そこに権威的な要素はほとんど見られません。それぞれの役割に対する敬意は払いながらもうまく連係プレーを行い、そこに主従関係という人間関係は皆無と言えます。またビジョンだけで一つになれるかというと、やはりそこには日本人という共通のアイデンティティと日本という国がもつパラダイムが根底にあることは否めません。
いずれにせよ、組織としてのあり方としてかなり理想的なカタチを見ることができたということは今後の組織づくりに参考になる要素がたくさんあったと思います。
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