日中韓、このアジアでもっとも重要で困難で、ひとくくりにできないこの三国の問題に関してはずっと避けてきた議題です。このブログはコラム式に書いていて、読むのもたいへんだけど、コメント書くのも書きづらいので、いまだにどなたのコメントもいただいておりません。管理人が削除したコメントもありません。
かなり主観的な観点が含まれているように思われるでしょうし、実際八方美人的な論調でないことは間違いありません。それでも読者の方がたが、とりあえず読んでいただいてもコメントまではされないのは、そこまで感情的にヒートアップするような議題をあまりとりあげていないということもあるかもしれません。
今回日中韓というテーマはある面たいへんリスキーなものであるとは思います。でもやはりこの件は避けて通れないものであると思います。PSI的見解をいつか出さないといけないとは思いつつもリスキーなテーマであることから、なかなか踏み切れない部分はありました。なぜならこのブログは中国の人も韓国の人も読んでいただいているからです。私自身中国・韓国の友人がいますし、決して嫌韓でも、嫌中でもないということは断っておきたいと思います。逆に下手な主張をするとネトウヨと呼ばれる人びとの反感を買う可能性もありますが、基本的に私は日本人ですから日本人のごく一般的な価値観をもっていることは否定できません。したがって彼らの気持ちも十分理解できますし、同調したい気にもなります。とりあえずそういったリスクはさておいて、今後少しづつ小出しに見解を述べていきたいと思います。
まず最初に日中韓はなかよくなれるのか?
というテーマに対しての結論をいきなり申しますとそれは可能だということです。というよりすでにそういう関係を築いている人は多いのです。その方法という考え方は極めてシンプルです。それは
男と女(最近は中間の方もおられますが)、人間というレベルまで抽象度をあげてつきあえば可能である。
ということなのです。芸術や文化は国境を越えますが、男女関係も国境を越えやすいのです。そして人間としての関係性はまったく問題がありません。ただその際、どう考えても平行線にしかならない課題はとりあえず棚上げしておくということです。これは個人レベルのつきあいでは可能です。棚上げというと、とても無責任なようですが、実は棚上げせざるえないことがらというのは私たちの人間としての生物学的な価値とはまったく関係がありません。すなわちたまたま生まれた国の立場や主張を押し付けられて、さらに言うとすり込まれているにすぎないのです。
国家的、社会的レベルにおける都合をお仕着せられているのが人間であるということです。そういったことも含めてアイデンティティというものが形成されているのですが、国の領土もこれは歴史の流れの中で人間が勝手に決めたものであって、もし神様がおられるとしたら、まったく関係の無いものであると思います。もちろん直接聞いたわけではないので断定はできません。
国とか社会、さまざまな組織にはそれぞれ人間一個人が巻き込まれるパラダイムを擁しています。その存続のために必要な考え方や都合に合わせての主張は各国、各社会、各組織において違います。そしてそこに異論をとなえると危険であることは周知のとおりです。リスクを負って異論を唱えたり変えようとするのは変革であったり、さらに過激になると革命になったりしますが、それはなかなかたいへんなことです。
日中韓の間に横たわる問題も組織変革みたいなレベルでとらえれる問題ではありません。おそらく今私たちが生きているうちに解決できるなどとは到底考えられないことばかりです。でも私たちは今を生きています。個人レベルにおいてはなかよく暮らしたいし、つきあいたいわけです。だから棚上げというか、生物としての人間とは直接関係の無い社会的な影響から変容している部分は置いといてつきあいましょうということなのです。
もちろん国が違うわけですから、やはり領土問題をはじめ、さまざまな歴史問題など食い違う部分においては大いに議論することはいいことです。むしろどんどんするべきだとも思います。日本人はとくにその部分においてはなかなか下手なのです。本音と建前でつねに和の文化の中で暮らしてきたので、欧米の大学や企業で平気で行われているディベートが上手ではないのです。では中国、韓国の人が得意かというとそうでもありません。感情論に陥りがちになって議論ができなくなる可能性があるのです。
この三国がディベートを成功させるにはスキルとセルフコントロールが必要です。それは内省やセルフコーゼーションというなんでも相手が問題だと批判するのでなく自己批判できる器も必要です。
韓国人の努力目標は、感情的にならず、威圧的になったり、強迫じみた言い回しをすることをさけることです。これは交渉術としては有効な場合がありますが、交渉して自分の要求を相手に飲ませるのが目的ではないということです。負けるが勝ちという言葉がありますが、無理やり追い込めて勝つと後で分が悪くなり、結局人間関係で劣位に転じる可能性が大です。
日本人は本音と建前が人間関係の潤滑油みたいなところが強く、言いにくいことは極力オブラートに包んで表現してしまうということが多いのです。で、結果的に相手にちゃんと伝わっていないということが多く。また甘えの構造からなんで理解してないのと相手を責めるところがあるのです。空気を読んでとか、行間を読んで理解してというのは日本でしか通用しません。最近は世代的に空気が読めなくなっているので、空気を呼んで相手の意図を察して行動できる人は減っています。とにかくはっきりと意見を述べるということが重要です。議論のとき言いたいことを我慢してあとでこそこそ言うのは日本人の悪いところです。
日本人は喧嘩もできない人が多く、裏ではいろいろ言っているのに本人の前ではいい顔で通るというのがあります。そういう人は似非平和主義と私は言っていますが、たまには感情的になったり喧嘩したりするのも人間的でいいのではと思います。日本の犯罪はそういった面でとても陰湿なものが多い気がします。
中国人は過激な反日運動ばかりがメディアに露出されているので、とんでもない過激で感情的だと思われがちですが、それは一部の人です。実際はかなり冷静な人も多いのです。何しろ4000年の歴史がありますし、忍耐強いところもあるのです。ただ自己主張は強いので、相手の事情をよく理解するというスキルは必要な気がします。また計算づくで考えるのでなく、本音で自分をさらけ出すことも必要かと思います。日本人とまたちがって奥深い部分があります。
それぞれ個々のマイナス部分を自覚した人びとが集まって冷静に議論すればとても面白いと思います。もちろん育った環境や遺伝的要素も違いますが、いまあげたような内容を抑えて話し合うというのはとても大変なことです。しゃべり方もすぐ民族性がすぐでてしまいます。それは仕方のないことです。ただ知的にはそういったマイナス部分を念頭に置いておくというのは大切です。受容できる部分は自分にとってプラスになるわけで、どうしても譲れない部分を譲る必要もないのです。平行線になっていいのです。
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