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2013年3月28日木曜日

経営者、上司の姿勢

先日、ワールドカップ予選のヨルダン戦での敗北に対してザッケローニ監督が選手やサポーターにとった行動が記事になっていました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130328-00000020-spnannex-socc

試合の敗北が自分にあったと認め、謝罪したということです、もちろんサポーターたちはそうではないと否定しさらに「ニッポン」コールで盛り上がったという話です。WBCのときも内川選手のダブルスチールの失敗に対しても山本監督が采配ミスを認め、すぐに彼を擁護してほしかったというのがあります。最近、残念な上司にあげられるひとつが、指示があいまいだということがあるようです。なんでも自立型で状況に任せて選手に一任するというのも、それこそ状況によっては違う場合もあると思います。

話がちょっとそれてしまいましたが、ザック監督のとった行動に組織のトップや上位者のあるべき姿をみせてもらった気がします。彼は日本人の性格をよく見抜いての行動なのか、あるいは彼の経歴上あまり権威やパワーで統率するという手法を用いないのかもしれませんが、いずれにせよ選手もサポーターも彼の言動によりモチベーションは上がったのではないかと思いました。

ダメになる会社は結構、独裁的で経営者や上層部の力が強く、その指示通りに行動した結果、収益ダウンどころか負債を負ってしまったり、ひどい場合は背任行為じゃないのと言えるような状況になっていることが多々あります。私の知っている会社でも経営者が誰が見ても売れないという商品を膨大な数量仕入れ、結局売れずに在庫を抱えることになって、社員はその問題を訴えても全くその経営者は悪びれず、むしろ売る力がないと社員を責めていたりします。社員たちは仕入れる段階でその商品はもう旬を過ぎて無理だと訴えたのですが、経営者の独断で決めてしまうので、それを止めることはできなかったというのです。おまけにその経営者の側近もなにも言えない状況になっているので社員は手をこまねいて見ているしかないという状況でした。

経営者や上司が指示や行動が間違っていたという意思表示は問題に対してみんなで解決していこうという雰囲気を作り出します。経営者や上司という組織の上位者たちは、自ら謝罪しても組織の成員は絶対にそれを激しく追及することはしません。むしろ、自分の非を認めたその姿勢に感動し温かく迎えるのです。勇気をもって自分の非を認める、それこそがいさぎよい侍魂なのかもしれません。日本人は自分の非を認めたり、あるいは落ち込んでいる人をさらに追い込むようなことはしません。弱い者いじめをするのは相当屈折した人生を生きて、自分勝手で自己中なやくざな人たちだけです。

平素から社員や組織の成員に、フラットにつきあい、ちゃんと自分の非を認めるような経営者や上司はみんなから受け入れられ、信頼もありますから問題が起こった時には、誰かを犯人に仕立て上げて追及するといった方向ではなく、みんなで考えて問題に対処するという状況になります。でも普段独裁的な手法をとり、さまざまな方針を打ち出して、うまくいかないとき社員のせいや環境のせいにして自分の非を認めない経営者や上司は裏では社員たちに相当の陰口をたたかれ、そういう状況をなんとなく空気で感じているので、ますますそういった独裁経営者や上司は意固地になって部下にツッコまれないようにさらに頑固な人間になっていくのです。

もしそういう状況ではないかとこのブログを読んで感じる経営者や上司の立場の人がおられれば、そろそろ部下へのアプローチを変えていままでの硬直した上司部下関係の雪解けを図ってみるというのを提案します。独裁が強ければ強いほど、効果は大きいのです。ただそれで満足してはいけません。社員や部下たちはその後の経営者、上司の言動をチェックしているのです。ホントにこの人は反省したのだろうか、変わったのだろうか、一時的に気分屋な性格でたまたまそのときだけでなかったのかといろいろ考えます。

あるいはあまりにひどい独裁をしてきた経営者や上司の場合は急にやさしくアプローチしてもすでにパラドックスが生じ、やさしい言動の背後に何か意図があって騙されてはいけないぞという姿勢に社員や部下はなっているかもしれません。

またカリスマ経営者とか言われている人もかなり危うい内容もあるということを認識すべきです。周囲からカリスマと言われればその経営者は自分はカリスマだとすり込まれているのと同じなので、いつの間にか失敗はできない、ありえないというふうに自分を追い込んでいくのです。したがって失敗しているように見えても絶対非を認めないという意識になってしまいます。いつの間にかカリスマは教祖と化し、とんでもない行動までも正当化するフレームをつくりあげ、社員や部下たちに有無を言わせない圧力での管理をし始めるのです。私は自分の非を認めない組織のトップとそれを容認している組織の成員で構成されている組織はもうすでにカルト教団のようなものだと考えています。もう社会の監視が届かない密室の新興宗教のような組織であると思えてしかたありません。

とにかく、経営者や上司という立場にいる方で、このブログを見てくださっている方がいらっしゃれば、考えていただきたい問題です。組織の上位者で60歳くらいまでの方はよく自分を客観的に見て、自分のマネジメント方法を見直すことをしていただきたいのものです。これがさらに高齢でそういう立場に立っている人は注意しなければならないのは、すでに脳の前頭前野が退化することでもう理性が利かない状況になっている場合があるということです。いまだに企業では高齢で怒鳴り散らす経営者や役員など、聞いた話では結構いるようです。70を越えたおじいさんになんであんなに若い役員や取り巻きが何も言えないんだろうと外から見るととても不思議なのですが、今の高齢の人の中にはますます元気で頑固で人の言うことは聞かないという人も増えているのです。もちろん個人差はありますので一概には言えませんが、ここでご紹介したのは一例ですが、実際にある組織です。

日本では老いては子に従いなんて言葉がありますが、引き際の美学ということも考える価値があります。私は決して高齢者を非難しているわけではありません。ただ老いによるさまざまな機能低下も経営の現場では大きくマイナスに振れる可能性もあるということを認識することは重要だと言っているのです。歳をとって丸くなるのではなくさらに先鋭化するという話もあります。若いころ、とがっていたのと性質が違うのです。歳をとってとがっているのは、理性が利かないわがままなとがり方になっている場合が往々にしてあるので、注意すべきです。20代、30代でとがっていたのが、経験で丸くなるのですが、丸かったのがさらに40代、50代でさまざまな人間関係のしがらみを経験しながら、権力も持つようになると、60代、70代ではとんでもないわがまま自己中老人と化してしまう危険性を秘めていることをよく認識すべきです。

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