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2013年3月3日日曜日

集団行動の危うさ①

最近の少年犯罪などと見るととても短絡的な犯罪が多いと感じます。まったく計画性がなく、単純な動機で犯罪に及んでいるケースが多いのです。金が欲しいから人を殺したとか、誰でもいいから殺したかったとか、自己中心的、身勝手で無責任極まりない事件が起こるたびにいろいろと考えさせられます。いわゆる一種の‘ノリ’でやってしまっているケースがあると思うのです。そして悪党と言われるだけに悪は徒党を組みやすいこともあります。犯罪を犯すのに一人での単独犯も多いが、複数で集団による犯罪も多いのです。

いじめや体罰もある面、集団心理が陥りやすい問題も含めての集団の問題行動と言えなくもないわけです。当事者だけの問題として片づけてしまったら、なんら問題解決はできず、ずっと同じことの繰り返しになります。なぜなら、いじめも体罰もそれを容認する沈黙の大衆やそれに対して何も言えない当事者に関係ある人びとの問題があるからです。

実は少年犯罪もあまりに残虐な犯罪が衝撃的に報道されたりすることで、近年あまりに増えているような錯覚に陥りますが、実は別に増えているわけではないとのことです。むしろ高齢化社会になって年長者の犯罪が増えてきていることは付け加えておきたいと思います。ただ若年層の犯罪と要素が違うのは、ある面加齢により、理性が利かなくなりあまり深く考えず、感情のまま行動した結果、犯罪に及んでしまったというケースが多いように思えます。要するに大人げない年長者が増えていることはどこの企業や組織でも感じることがあるかと思います。

http://kogoroy.tripod.com/hanzai-h19.html

歳を重ねるにはオシャレに品よくしたいものです。

ちょっと脱線しましたが、今回取り上げたい問題は、集団行動の問題点です。なぜ人は集団になると間違いを犯してしまうのか。企業に勤めている方々はよく体験したという方も多いかと思います。たとえば、会議で、ワンマンな経営者や声がいちばん大きい上司や社員の主張が全部通ってしまうという理不尽な現場です。会議に参加している99%の人びとがそれはおかしいと思っているのにです。さらに言うならば、とんでもない方向性を打ち出そうとしている経営者や上司の太鼓持ちの部下や社員でさえ、おかしいと思いながら、「素晴らしい~!」などとやっているわけです。

まだおかしいと感じている状況ならば、まだ救われます。ところがそれがだんだん麻痺してくると、ものごとを客観視できなくなり、集団のもっとも権力のある人にすべて従い、それを正しいと思い込んでしまうという現象が起きます。ストックホルム症候群というのを聞いたことがあるかもしれません。銀行強盗に入った犯人に人質が従い、最終的には恋心を抱き、結婚までしてしまったという話です。またパトリシア・ハースト事件では誘拐された大富豪の孫娘が犯人グループの仲間に入って活動していたという衝撃的な話があります。

洗脳という問題があるのですが、日本では洗脳されやすい民族性をある面、育まれてきたということもあります。

長いものには巻かれろ、出る杭は打たれる、郷に入りては郷に従え、……。

もともと和の文化を善しとしてきた日本では集団になると集団を取りまとめている人の意向に沿うように全体が行動するという風土があります。その空気を乱す者はとても嫌がられますし、ひどい場合には、空気が読めない、協調性がない、……などと異端者扱いされ、レッテルを貼られ、ひどい場合には村八分状態に置かれてしまいます。しかしその場合、必ずしもその集団の管理者や集団自体の方向性や考えが正しいとは言えません。

個人と違って集団になると、どうしても集団、あるいは集団の管理者やトップが持つ考え方に従おうという意識ができあがります。そうすることで秩序が形成され、心地よい集団がつくりだす一見美しいと感じるまでの流れができあがっていくのです。そこに水を差すことは集団全体が許さないのです。私の長女は知的障害で養護学校に通っていますが、そこでは障碍者が多いので、入学式や卒業式で、騒いでいる生徒がいても父兄たちもなんら気に留めません。なぜならそういう学校であるという共通前提のもとに集まっているからです。でも健常児だけが通う学校で、誰かが奇声を発しているとしたら、間違いなく全員がびっくりしてその子を抑えるでしょう。

集団の危うさは、一般的な良識や常識、あるいは法律さえも越えてしまうくらいの一体感を持ってしまいます。個人においてそれに気づいて、そこにいる状態でそのことに言及すると間違いなくその集団から排除されます。問題行動が起こっている集団のその場での発言はおろか、告発するというカタチをとっても最終的にはその組織には居れなくなったりします。企業、学校、その他どんな組織にも独特なパラダイムが存在します。それに適合していない考え方は排除されて当然と言えば当然です。

とにかく組織のトップは人格的素養が備わっていない人は絶対立つべきではありませんが、そういう立場に立つと、その人がもつ権力や権威の恩恵に預かろうと必ず太鼓持ちの部下が出てきます。そのとき頭のいい学習する人はいいのですが、そうでない人はまずその罠にはまってしまって、いつの間にか裸の王様に仕立て上げられてしまうのです。いつの間にか大きな勘違いをして傲慢になって自己中心的な経営、組織運営をしだすと、いつの間にか、世間の法律は飛び越えて、自分が法律になってしまうのです。そしてその集団の成員全体も間違っていることに気づきながらも従うようになり、次第に善悪の基準は一般の法律ではなく、組織のトップの、あるいはその組織のトップを影で動かす人間の思いのままに、疑問も持たず従うようになっていくのです。

集団がもつ秩序だった行動に各個人が同胞感というか仲間意識を強烈に抱くようになると、さまざまな集団行動は一つの儀式のようになって、その中でエクスタシーを感じるようになり、その高揚感を味わうとその集団への虜になってしまうのです。ある面、犯罪がなぜ社会的に法律を犯す問題行動であるにも関わらず集団で起こしてしまうのかという原因がそこにあります。犯罪が集団で起こるのは集団が織りなす現実からかけ離れたファンタジーの世界の虜になって、その集団のいちばんの権力者が持っていきたい方向に全体が動くようになっていくのです。

若年者の犯罪や最近では少なくなりましたが、暴走族などといった組織もそういった集団行動ゆえに集団内では行動は正当化され組織の成員は何ら疑問を持つことなくすべてを受け入れるといった現象が起きるのです。そして最近の犯罪はとても短絡的で、自分たちの仲間意識とその高揚感から単に‘ノリ’でやってしまっているという身勝手な内容があります。

ストレス解消には現実逃避がもっとも有効であると言っていますが、PSIはあくまでそれは人に迷惑をかけないということが前提であるのです。人気歌手のライブやサッカーのサポーターたちの一体感のある応援もある面、集団がもつ高揚感、エクスタシーを味わえる最高の場です。ただそれらは誰かに迷惑をかけたり、犯罪行為に手を染めるといったことはまずありません。ただ他国でそういった集団が暴徒化したり、建物を破壊したりする行為に及ぶことがあるのはやはり集団とはそういう危うさがつねにあるからです。日本でも、さまざまなデモに警官が配備されるのもそういった内容も含めて集団行動はつねに危険が伴うからではないかと思います。

集団では個の意見や考え方は抹殺されやすいのです。でも集団という組織はつねに個々人の良識や客観的視点をもって見守っていかなければ、いつ誤った方向に行くかわからないということを重々認識しておくべきです。それができなければ、いつ被害者になるか、加害者になってしまうかという危険性があるということを認識すべきです。企業でのコンプライアンス違反も集団になると善悪の基準はその組織独自のものさしで量られるのです。これがカルト教団などになると集団行動の中に個人の良識は抹殺され、被害者になるか、加害者になるか、とにかく人生を棒にふってしまうことさえあります。殺人や詐欺行為をしたり、集団自殺を引き起こしたりカルトになると集団的パワーを利用してそこに所属している組織の成員は同じ空気を共有しているという仲間意識とともにある種の危うさの美的感覚もあいまってエクスタシーを感じながらとんでもない違法行為に手を染めてしまうのです。

PSIでは独裁者の意のままに動かされており、それに対して盲目的に従がっていて、なおかつ組織内ではパワハラ、モラハラなど理不尽な行為が平気でまかり通っている、そういった組織はカルトと位置づけております。その上、反社会的な行為が行われていたならば、完全にそれは集団の問題を明確に露見しています。今後の企業経営、組織運営の為にはそういった集団を組織論的観点から細部にわたって研究する意義は大きいのではないかと思います。

  

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