昨今、学校は児童、生徒の保護者のモンスター化に手を焼いているようです。給食費の未納にはじまり、卒業アルバムに自分のこどもがあまり写っていないとクレームをつけ、成績が悪いと教師のせいにして、とまああげたらきりがないほどとんでもないことを言ってくる親たちが増殖しているようです。成績が悪いのは遺伝です。あなたはそんなにできたんですかと訊くわけにもいかず、明らかにこの親にしてこの子ありと言える状況が多いのだと思います。
私が小中学校の頃は親が学校の教育に口を出すことは恥ずかしいというイメージでした。できるだけ授業参観も含め、親には学校に来てほしくないくらいに思っていましたが、どうやら最近はそうではないようです。もちろんPTAという組織があり、学校行事に親たちが昔よりたくさん駆り出される状況ができあがっているので、親たちのパワーもずいぶん強くなっているのかもしれません。すでに先生という言葉に威厳や尊敬の念という意味合いは消えてしまっていると思わざるをえません。私もこどもの学校に行ってみると、親たちと先生は友だち感覚でおしゃべりしているなんてのを垣間見たりします。今や先生という言葉は呼び名でしかありません。
このことは何を表しているのでしょうか。企業に遅れて、教育の現場にも大きなパラダイムシフトのときを迎えているのだということです。すなわち組織の在り方を変革する、そしてそのためには教職員の内省による自己変革がベースになければならない時代になってきているのではないかと痛感するのです。
一般企業では収益をあげなければならないという現実的な問題がつねにあります。収益が上がらない場合、徹底してその原因を見つけ出していかなくてはなりません。そうしたところ、結局マーケティング(市場のニーズを知る)から商品開発のアイディア(イノベーション)を出し、さらにそれを促進させるには組織風土改革まで行わなければならないという状況に至ります。背に腹は替えられない現実問題があるわけです。
日本では戦前の軍国主義の時代から民主化が実現されて、どんどん社会はフラット化してきました。今はテレビでもお笑い芸人が主流のバラエティ番組がゴールデンタイムは席巻しています。お笑いのポイントは非現実的アプローチであり、現実社会をアイロニーで笑い飛ばすところにあります。すなわち権力をもっている年長者にタメ口を平然と言ってかます。常識とは大きなギャップがある行動(本音ではみんなそうしたいこと)をすることで笑いを誘うのです。それは視聴者からすると解消には最高なのです。
団塊の世代は激しい競争社会を生きて上下関係もしっかりわきまえて、企業組織のヒエラルキーを空気を読みながら周囲とバランスをとって駆け上がって行った人びとです。それに追従したのがその次のシラケ世代です。団塊の世代がいるせいでシラケ世代は重要なポストはなかなかもらえず半ばあきらめの心境、惰性で上の世代に従ってきた感じがあります。その次の50代前半から40代に人びとは新人類世代と呼ばれ、より上の世代の出世競争に辟易とし、独自路線をとることやポストよりも仕事の中身で勝負するタイプが増えてきました。
新人類世代は会社にそれほどコミットせず、企業横断的なスキルを持ち、待遇がいいところがあれば平気で転職を考えます。この会社に骨をうずめてなんて考えはほとんどありません。でもそういった考え方のほうが会社が生き残れるのです。上の世代はその会社愛ゆえに会社をダメにしたという事実もあります。まさにホントに会社のことを思うならば、会社人間になって組織の中に埋没するのではなく、ある面冷めた目で会社全体を客観視したり、俯瞰するというパラドクシカルな経営や組織の運営が必要となってきます。これはこどもに執着しすぎるとこどもをスポイルして自立を遅らせてしまうということにも似ています。
こういった新人類世代がマスメディアを動かしているので、視聴者ごころをよくとらえた番組づくりができていると言っても過言ではないと思います。バラエティが好きかどうか、もちろん賛否両論ありますが、やはりお茶の間を笑いの渦に巻き込んでしまう手法はすごいのです。特別面白そうなところは繰り返し見せたり、面白いトークには必ずテロップをつけて、これでもかこれでもかと視聴者の本音の部分にぐいぐい入ってきます。おそらくこういったセンスある手法があって視聴者もスポンサーも取り込むことができているのだと思います。
また新人類世代は上司や上役に対してただ単に年上というだけでのリスペクトはありません。また権威や権力には団塊、シラケ世代のやり取りを見て嫌悪感もあるので、地位よりは仕事ができるかどうか才能がある人に対するリスペクトは当然あります。したがって上司だからというものさしでなく、この人と組めば、あるいはこの人のもとで働くならば自分を生かせるという観点から従うということはあります。新人類世代以降の世代はさらに会社にも地位にもコミットしないので、仕事そのものに愛着があれば続ける人びとです。
企業ではそういう観点で経営者や管理職の人びとは地位があるからなどと甘えていては部下はだれもついてこない状況に至っています。そういった現実を早期に受け止め、考え方のフレームを改めた経営者や上司がたくさんいる企業が生き残っているのです。すなわち既存の管理手法から大きくパラダイムシフトを行えた企業が強いのです。モノをつくれば売れた時代は殿様商売ができたかもしれませんが、モノが市場にあふれて飽和状態になっている今では、マーケティングの手法でより顧客満足を推進しなければならない状況になりました。さらに核心部分に踏み込めば、イノベーション(技術革新や商品開発、そのアイディアなど)を起こすためにはフラットな職場環境による従業員満足まで必要となってくるという話です。
こういった考え方は昨今の教育現場にも必要とされ始めているのではないかということを痛感します。教職員の組織は互いを先生と呼び合い、親しき仲にも礼儀ありという日本的文化が残っている感じでいいイメージはあるのですが、逆に遠慮があり、一般企業ほど人間関係を深めるということは容易ではない感じを受けます。毎回問題が起きて初めて、教頭や校長が当事者の教師にブリーフィングを行うという現状が記者会見などを通じて見受けられます。やはりヒエラルキー組織であることでより部下の状況把握が厳しいというのが実情ではと思います。でさらに把握できないのが先生と生徒の関係です。それで毎回、いじめられているとは知らなかったという担任教師のコメントが出てくるのです。
教育の現場も一般企業と同じでそろそろ保護者へのアプローチを変えなければならない時期にきていると思います。企業は努力しなければ経営が危ぶまれます。でも学校、特に公立の学校はそういった努力をそんなにしなくてもある程度は生徒数は目途がたち、保証されています。すでに私立の学校は保護者を半ば顧客という観点でとらえる考え方に大きくシフトしています。私立大学などは生き残りをかけて大学の先生は高校に赴き営業活動を行っています。教育環境の充実は顧客である学生満足であるわけです。そして学費を出す親たちにそれをアピールするわけです。
実はモンスターペアレントの発生はその親自身の問題だけでなく、学校組織の運営自体にも少なからず問題があると考えられます。社会全体の思考が大きく変わってきている中、企業はどんどん変わって生き残ってきましたが、そのことは教育界にも昔のままでは対応できないよという一石をモンスターペアレントという存在が投じているのかもしれません。実はモンスター化した親たちに変われといっても難しいのですが、それに対応する学校側が変わることはある面可能です。それによって大きく状況を変えていくことができると思います。
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