お笑いブームはテレビ業界ではすでに完全に定着し、ゴールデンタイムはドラマ以上に人気を博しています。お笑いがなぜウケるかというとやはり現実に言えない本音を笑いを交えていうことで、市民権を得ているのだと思います。すなわち普段言えない上司や権力者に対する無礼講を笑いというオブラートに包みながら行っていると言えるかもしれません。映画でもドラマでもお笑いでさえ、権力者はすべて悪で権力も富もない庶民が善です。世界的にも圧倒的に後者がメジョリティで前者がマイノリティです。世界も企業もあらゆる組織は働き蜂と女王蜂の構図のように一部の権力者によって握られているといっても過言ではありません。それでも日本は世界の中で格差が少ないほうでかなりフラットな社会と言えるのではと思います。
お笑いの本質は、世の中の秩序と逆のケースを見せることもあるのかもしれません。また自虐ネタはまともに見える人ほど効果的です。外見はしっかりしたアナウンサーや芸能人で稼ぎもいいのに私生活はたいへんな恐妻家でかなりたいへんな状況に置かれているということになれば、とても面白いのです。今までの羨望のまなざしから同情のまなざしが向けられ、親近感も好感度もアップしたりします。お笑い芸人は変に思われたり、ブスやブ男に見られるとそれをウリにして結構おいしいわけです。とにかくお笑いという分野はとても奥が深く、なおかつ簡単に定義するのも困難なものではないかと思います。
最近はそういった観点で自虐ネタは視聴者の人気を得る手っ取り早いアイテムです。恐妻家で妻に奴隷のように支配される夫というのは結構面白い話ではありますが、度が過ぎるとあまりいいイメージはもたれなくなります。挙句の果ては恐妻家とレッテルを貼られ、ふがいない男として見られ続けるというリスクもあります。恐妻家になるには妻という第三者の存在があります。妻も芸能人の妻だからと割り切れるならいいのですが、毎回ネタにされてとんでもない鬼嫁というレッテルを貼られるのはあまりいい気はしないでしょう。
昔その手の自虐ネタを連発していた上司がして、結局は部下全員に三下り半をつきつけられるという結果になってしまいました。よく考えると家庭で妻ひとりに手をこまねいている人が部下を管理できるはずがありません。やはりできる上司は会社だけでなく、プライベートも充実しているものです。家庭での不満がたまっていると会社でいい仕事もできるはずはないと考えてしまうのはごく普通のとらえ方だと思います。ということで自虐ネタというのは使い方を間違えたり、度が過ぎるとマイナスに働くこともあるのだということを認識しておくのがいいかと思います。
したがって自虐ネタでもマイナスに働かないように使うのはどうしたらいいのかと考えてみました。それはやはり相手に対して、優越感をあたえ、自分に対しては同情を引き出す、それも自然に、ウザくとられないような方法がいいのではということなのです。昔はよく愚妻とか愚息といった言葉がありましたが、結局自分を含めた家族を引き下げることで相手や相手の家族や境遇を善しとさせてあげるということがありました。日本人の美徳とするところの謙虚、謙遜という観点で相手を持ち上げ気分よくしてあげるというのがコツです。もちろんこれは性格のいい人にするというのが前提で、性格が悪い人はそのまま傲慢になってしまう場合があるので要注意です。
自虐ネタを言ったときに、すかさずそんなことありませんよとフォローするような人にはとても有効かと思います。そういう人には自分をさらけ出して、特にその人よりレベルの低いところをさらけ出して笑いを誘うというのがコミュニケーションの潤滑油としては最高にいいのではないかと思います。学歴が低くかったり、こどもの出来が悪かったりすれば、逆に最高の武器をもっているとでも思えばいいのです。そのことを卑下せず、自虐的にさらっとオシャレに言えたらセンスがいいと思われます。相手が目上の人であったらなおさらグーッと親近感をもってくれて、可愛がってもらえます。
人間は自分よりレベルの高い人とつきあうのは苦手で、自分よりレベルが低いほうがつきあいやすいのです。美人はひいてしまうけど、ブスは気がラクです。イケメンの前では緊張しますが、ブサイクな男には気軽に話せます。
ただ人を選んでください。権威主義的人格の人には効果は逆に出ます。必要以上に傲慢にしてしまい、自分を支配しようとどんどんつけいって来ます。要注意です。フラット感覚のあまり格式ばらないいい人には最適です。微笑ましく思って向こうから友だちリクエストがくるはずです。自虐ネタの有効活用、それはだれも傷つく人がいなくて自分の境遇を話すということです。そして心情面ではけっして卑下したり、劣等感を持たずサラッと笑い話にできるということです。劣等感やホントに不幸だと深刻に思いながら相手に話すと、相手は人生相談を受けるカタチになるので要注意です。
かけがえのない人生、大切な人に伝えましょう!トラックバックも大歓迎。しあわせの輪をひろげていきましょう!
2013年9月4日水曜日
健康管理は自己管理の第一歩
欧米では健康管理ができない人は自己管理ができない人として、まして会社の管理者としてもふさわしくないという風潮もあるとか。健康管理には精神管理と、肉体管理があるわけですが、もちろん前者ができないと当然後者に影響を及ぼすということは明確です。そういう面ではストレスをなるべく受けないようにするという、その考え方や行動はとても重要であると思います。その件に関しては過去ログでいろいろと記してあるので、ご関心がある方は読んでみてください。
ストレスはない、あるいはストレス耐性は高いと思い込んでいても、実際は結構ストレスがたまっていたりします。それは自分では認識できないような場合も多いと思うのです。私はかなり自分が嫌なこと、やりたくないことははっきりとやらないタイプではあるのですが、実際は環境的にストレスは知らないうちにたまっていたりするのを感じます。あまり正確に測れるものではないのですが、気楽にやってみたストレスチェックでストレスは88%でした。もっと気楽にやりましょうとアドバイスが……。気楽に適当にと推進している当の本人がこんな結果ではお話になりません。
ストレスの影響や食生活等の不摂生からか、最近は尿路結石に、緑内障の疑いといろいろと検査で病院、会社、出張となんだか充実してきた最近の生活……。とにかく健康だけは過信せず、健康診断や何か問題があったら、やはり躊躇せず専門家にゆだねる気持ちも重要です。自然療法で治癒させるんだと手遅れになったケースも何件か知っているだけに無理をしないことも大切かなと思うわけです。ちなみに緑内障は最近眼圧が高くなくても起こるということがわかってきているようです。幸いなことに私はたまたま素晴らしい眼科医に出会えたのでよかったのかなと思います。
医師との関係もなんでもぶっちゃけで言えて、はっきりとまた指摘してくれる関係が築けるといいのかなと思います。病気になるといういことは、えっ、なんで私がとショックなこともありますが、それが発見できて、自分のからだに対して少しでもわかることが増えるということは決して悪いことではありません。病気は生活を見直すきっかけを与えてくれますし、そのときの気持ちを忘れずに生活するということはとても大切なことです。人間は誰しもどうしてもラクなほうに行ってしまいがちです。歯磨きを一生懸命するのも虫歯を治療したあとの数か月まで、不摂生な食事を改めて、自然な食事を心がけるのも病気で寝込んだあと数か月程度。とにかく人間って喉元過ぎればって感じでそのときの苦しみや痛みを忘れてしまうのです。
元の生活に戻っていることを認識して、罪悪感を感じつつも、なかなかからだにいいことは始められなければ、続けることもなかなかできないものです。罪を犯した人が留置場で規則正しい生活と食生活で健康になって、からだが健康になることで、心も正されるということで更生するのに環境はとても大切だと思います。ただ出所してまたもとの不健全な生活に戻ると結局再犯してしまうのかもしれません。ということでホントに経済的にもゆとりがあれば、自分が完全に健康になれる環境に自分を置いて管理してもらいたい気にもなります。
人間は努力することはなかなかできません。勉強も社会的な成長も環境に大きく左右されます。それなりの進学校に行けば、落ちこぼれて脱落しない限り、それなりの学校に入学できるでしょう。周りが成長志向だと自分も成長できます。アメリカに行ってしまえば英語はペラペラになれます。とにかく健康も環境がとても大切です。ヘビースモーカーはヘビースモーカーで集まり、アル中の人はアル中仲間ができます。
まず自分でなりたい自分というのを考えて、そうなりたいと思ったら、そうなれる環境に自分を置くことがとても重要です。環境的な与件を一切無視して一人、こういうふうになりたいと思ってもなかなか実現できません。努力するなら、そのもの自体を努力する以上に努力しやすい環境づくりを努力してすることが最も近道であると思います。もちろん病院や薬に対して賛否両論あることは事実です。やたら検査してくださいと粘り強く患者に向き合うのを、病院側の商売、営業と考えるか、素直になってありがたいと思うかもとらえ方で大きく違ってきます。
とにかく一歩踏み出せない場合、何かをきっかけに自分が変われる環境に身を置いてみることはたいへん意義ある選択であると思います。安住の地にずっととどまっていることが自分にとって必ずしもいいことであるのかどうかはシビアに見つめなおす必要もあるようです。いずれにせよ、健康においても何においてもそれを実現するのにもっとも近い方法を考え抜いてそれを勇気をもって踏み出すことを考えたいものです。なぜならその安住の地は自分を完全にスポイルする環境であるかもしれないからです。
ストレスはない、あるいはストレス耐性は高いと思い込んでいても、実際は結構ストレスがたまっていたりします。それは自分では認識できないような場合も多いと思うのです。私はかなり自分が嫌なこと、やりたくないことははっきりとやらないタイプではあるのですが、実際は環境的にストレスは知らないうちにたまっていたりするのを感じます。あまり正確に測れるものではないのですが、気楽にやってみたストレスチェックでストレスは88%でした。もっと気楽にやりましょうとアドバイスが……。気楽に適当にと推進している当の本人がこんな結果ではお話になりません。
ストレスの影響や食生活等の不摂生からか、最近は尿路結石に、緑内障の疑いといろいろと検査で病院、会社、出張となんだか充実してきた最近の生活……。とにかく健康だけは過信せず、健康診断や何か問題があったら、やはり躊躇せず専門家にゆだねる気持ちも重要です。自然療法で治癒させるんだと手遅れになったケースも何件か知っているだけに無理をしないことも大切かなと思うわけです。ちなみに緑内障は最近眼圧が高くなくても起こるということがわかってきているようです。幸いなことに私はたまたま素晴らしい眼科医に出会えたのでよかったのかなと思います。
医師との関係もなんでもぶっちゃけで言えて、はっきりとまた指摘してくれる関係が築けるといいのかなと思います。病気になるといういことは、えっ、なんで私がとショックなこともありますが、それが発見できて、自分のからだに対して少しでもわかることが増えるということは決して悪いことではありません。病気は生活を見直すきっかけを与えてくれますし、そのときの気持ちを忘れずに生活するということはとても大切なことです。人間は誰しもどうしてもラクなほうに行ってしまいがちです。歯磨きを一生懸命するのも虫歯を治療したあとの数か月まで、不摂生な食事を改めて、自然な食事を心がけるのも病気で寝込んだあと数か月程度。とにかく人間って喉元過ぎればって感じでそのときの苦しみや痛みを忘れてしまうのです。
元の生活に戻っていることを認識して、罪悪感を感じつつも、なかなかからだにいいことは始められなければ、続けることもなかなかできないものです。罪を犯した人が留置場で規則正しい生活と食生活で健康になって、からだが健康になることで、心も正されるということで更生するのに環境はとても大切だと思います。ただ出所してまたもとの不健全な生活に戻ると結局再犯してしまうのかもしれません。ということでホントに経済的にもゆとりがあれば、自分が完全に健康になれる環境に自分を置いて管理してもらいたい気にもなります。
人間は努力することはなかなかできません。勉強も社会的な成長も環境に大きく左右されます。それなりの進学校に行けば、落ちこぼれて脱落しない限り、それなりの学校に入学できるでしょう。周りが成長志向だと自分も成長できます。アメリカに行ってしまえば英語はペラペラになれます。とにかく健康も環境がとても大切です。ヘビースモーカーはヘビースモーカーで集まり、アル中の人はアル中仲間ができます。
まず自分でなりたい自分というのを考えて、そうなりたいと思ったら、そうなれる環境に自分を置くことがとても重要です。環境的な与件を一切無視して一人、こういうふうになりたいと思ってもなかなか実現できません。努力するなら、そのもの自体を努力する以上に努力しやすい環境づくりを努力してすることが最も近道であると思います。もちろん病院や薬に対して賛否両論あることは事実です。やたら検査してくださいと粘り強く患者に向き合うのを、病院側の商売、営業と考えるか、素直になってありがたいと思うかもとらえ方で大きく違ってきます。
とにかく一歩踏み出せない場合、何かをきっかけに自分が変われる環境に身を置いてみることはたいへん意義ある選択であると思います。安住の地にずっととどまっていることが自分にとって必ずしもいいことであるのかどうかはシビアに見つめなおす必要もあるようです。いずれにせよ、健康においても何においてもそれを実現するのにもっとも近い方法を考え抜いてそれを勇気をもって踏み出すことを考えたいものです。なぜならその安住の地は自分を完全にスポイルする環境であるかもしれないからです。
2013年8月28日水曜日
ブラック企業と半沢直樹人気
最近TBSで放映されている「日曜劇場半沢直樹」が大人気です。私も周囲の話題ネタに取り込まれて、見る羽目になったのですが、これがかなり面白い。視聴者別の調査によると会社の部長以上の管理職よりも課長以下の一般社員や派遣社員、アルバイトの人たちにはかなりの人気のようです。この人気は配役の会社での立場や、より上位者の不正をどんどんあばき、正義を実現していくという痛快なテンポのいい流れにあると思います。また主人公の堺雅人氏の演技力でさらに人気が出ているのでしょう。
昨今、話題になったブラック企業、経営トップや経営陣の社員を道具や機械にしかみなさない勤務体系などさまざまな問題が取りざたされた後にこのドラマ、ちょうどタイミングも合っていたのかもしれません。1970年代の労使紛争ももう忘れかけられたころ、ブラック企業、半沢直樹とまたまた経営陣VS一般社員のような構図がクローズアップされ、問題を投げかけてくれているのはとても社会的に意義深いことだと思います。
ただ半沢直樹の原作者は半沢のまねはしないほうがいいと言われるくらい、ブームが過熱化しているようです。確かにそういったメディアの影響はとても大きいのでそういう警鐘を鳴らすことも重要だと思います。でもほとんどの人びとはドラマはファンタジーであり、現実とは全く違うことは理解していますし、ドラマを通じた現実逃避でストレス解消をしているということはわかっていると思います。私なんかはドラマを見ながらも、あとで実際の社会に照らし合わせると、どうなのかなど考えてしまうのです。
おそらく上司にあんな目つきで上司の問題を指摘するとまずケンカになることは間違いありません。でもドラマに出てくる上司は実際、半沢直樹の指摘をとりあえず大人になってちゃんと聞いているのです。もちろん聞かなければドラマが成立しませんし、わざとしどろもどろになるという悪役を演じてくれることでさらに正義がクローズアップします。
まあ実際の社会では勧善懲悪の人なんていないわけで、正義VS不義、善VS悪といった構図ではないことは明らかです。また比較的このPSIブログは権威主義的人格には否定的見解をとっていますので、どちらかというと経営者や上司には厳しい意見をずっと言ってきたわけです。半沢直樹のような理想に近いような人格の社員はいないわけで、上司や権力者には強く、部下や同僚に対してはそれなりに信頼をえるような行動ができる人はあまり見たことがありません。
基本的に下記のような人格の人びとがかなり企業や組織では見受けられます。
①上にペコペコ、下にガミガミといった権威主義的人格
②上にペコペコ、下には顔色伺いの八方美人タイプ
③上にも強いが、下にも高圧的で空気を読まないわがままタイプ
①のタイプは最近では減ってきましたが、一部の独裁的経営者のいる企業などでは結構いたりします。今は上にどんなに取り入ったところで、部下から信頼されない人は昇進も難しいからです。また②のタイプは一見いい人なのですが、とても無責任なタイプです。なぜなら自分の役割を果たしていないからです。最初はいい人に見えますが、そのうち周囲から見くびられ、信頼はなくなります。こういう人は一緒に戦うという戦友にはできない人です。③は組織内ではもう浮いてしまいます。最初は上司にもたてつくのでおっ久々に骨があるのかなと思ってみていると、上だけでなく、自分が気に入らないすべてに反抗的な人というのがあります。結果的に自己中心的であるので上司にも部下や同僚にも悪い意味で、一線置かれてしまいます。
このブログで組織の上位者を目の敵のように批判的にコケおろしてきたのは、上位者は責任があるという名目で一般社員より給料も待遇もいいということと、その立場にふさわしい責任をとる上位者が実際少ないということを痛感してきたからです。ドラマ半沢直樹の中で「部下の手柄は上司のもの、上司の失敗は部下の責任」という言葉が出てきているのもそういう世相を表しているからなのです。組織の責任をとらない上位者は権力を持っているので批判されるくらいでないとバランスが保てません。もちろんまともな役職者も世の中にはたくさんいます。でも経営者や役員の給料はいちばん最後というまともな企業もたくさんあるでしょう。そういう人びとはちゃんとこのブログの意図をよく理解されているのだと思います。
ドラマ半沢直樹で管理職や上司の立場にある人びとは、このドラマの影響に戦々恐々としている人もいるかもしれませんし、逆にそれをいいことだと思っている人もいることでしょう。ただ実際、最近は悪戯な権力者がクローズアップされ、ブラック企業という観点で経営陣の問題がやたら批判される中で、逆に若い世代の特に③タイプの社員に手をこまねいている会社も多いようです。勝手に欠勤したり、遅刻しても悪びれず、なお気に入らないことには平気で反発し、すべて自分が正しいという人もいます。周囲はそれに対して何も言えず、ひどい場合は上司も何も言えず野放し状態ということも起こっています。
とくに若い世代は離職率も高く、我慢という観点は一切ありません。もちろん空気を読む人はどんどん若くなるほど減っています。それはなぜかというと少子化やゆとり教育により人間関係の訓練がなされていないことで間合いや距離感もわからなくなってきていますし、もちろん空気も読めません。また競争社会でなくなったことで、意欲の低下やストレス耐性が極度に低い人びとが増えています。そういう状況の中で逆に放任主義で育てられたり、不遇な家庭環境で育つととてつもなく強い性格やわがままな人格になることで③のような人になってしまったりするのです。一方であまりやる気がない忍耐力がない人が増えている一方でやる気がありすぎて、モチベーションというよりテンションが高すぎるような人もいたりします。そういう人は自分の思うようにならないとすぐに拒否したり、結果的には長続きしないということになります。
団塊や団塊Jrの世代など人間関係も豊かで競争もそれなりにあった社会から、今はのんびりとしたいことだけできるような世代になっていますので、当然忍耐力もなければストレス耐性もない人が増え続けています。中国では一人っ子政策の影響で、軍部の統制がとりにくいなどといった記事も最近目にしました。とにかく今後の企業の課題はそういった若い世代をどう動かし、企業収益を上げていくかということが大きな課題になりそうです。空気も読めなければ、はっきり言ったことしかできないからといって、人間的対応を止めて、機械やロボットみたいにこき使えばいいという経営者や管理職はもちろん企業にいてはいけないと思います。
昨今、話題になったブラック企業、経営トップや経営陣の社員を道具や機械にしかみなさない勤務体系などさまざまな問題が取りざたされた後にこのドラマ、ちょうどタイミングも合っていたのかもしれません。1970年代の労使紛争ももう忘れかけられたころ、ブラック企業、半沢直樹とまたまた経営陣VS一般社員のような構図がクローズアップされ、問題を投げかけてくれているのはとても社会的に意義深いことだと思います。
ただ半沢直樹の原作者は半沢のまねはしないほうがいいと言われるくらい、ブームが過熱化しているようです。確かにそういったメディアの影響はとても大きいのでそういう警鐘を鳴らすことも重要だと思います。でもほとんどの人びとはドラマはファンタジーであり、現実とは全く違うことは理解していますし、ドラマを通じた現実逃避でストレス解消をしているということはわかっていると思います。私なんかはドラマを見ながらも、あとで実際の社会に照らし合わせると、どうなのかなど考えてしまうのです。
おそらく上司にあんな目つきで上司の問題を指摘するとまずケンカになることは間違いありません。でもドラマに出てくる上司は実際、半沢直樹の指摘をとりあえず大人になってちゃんと聞いているのです。もちろん聞かなければドラマが成立しませんし、わざとしどろもどろになるという悪役を演じてくれることでさらに正義がクローズアップします。
まあ実際の社会では勧善懲悪の人なんていないわけで、正義VS不義、善VS悪といった構図ではないことは明らかです。また比較的このPSIブログは権威主義的人格には否定的見解をとっていますので、どちらかというと経営者や上司には厳しい意見をずっと言ってきたわけです。半沢直樹のような理想に近いような人格の社員はいないわけで、上司や権力者には強く、部下や同僚に対してはそれなりに信頼をえるような行動ができる人はあまり見たことがありません。
基本的に下記のような人格の人びとがかなり企業や組織では見受けられます。
①上にペコペコ、下にガミガミといった権威主義的人格
②上にペコペコ、下には顔色伺いの八方美人タイプ
③上にも強いが、下にも高圧的で空気を読まないわがままタイプ
①のタイプは最近では減ってきましたが、一部の独裁的経営者のいる企業などでは結構いたりします。今は上にどんなに取り入ったところで、部下から信頼されない人は昇進も難しいからです。また②のタイプは一見いい人なのですが、とても無責任なタイプです。なぜなら自分の役割を果たしていないからです。最初はいい人に見えますが、そのうち周囲から見くびられ、信頼はなくなります。こういう人は一緒に戦うという戦友にはできない人です。③は組織内ではもう浮いてしまいます。最初は上司にもたてつくのでおっ久々に骨があるのかなと思ってみていると、上だけでなく、自分が気に入らないすべてに反抗的な人というのがあります。結果的に自己中心的であるので上司にも部下や同僚にも悪い意味で、一線置かれてしまいます。
このブログで組織の上位者を目の敵のように批判的にコケおろしてきたのは、上位者は責任があるという名目で一般社員より給料も待遇もいいということと、その立場にふさわしい責任をとる上位者が実際少ないということを痛感してきたからです。ドラマ半沢直樹の中で「部下の手柄は上司のもの、上司の失敗は部下の責任」という言葉が出てきているのもそういう世相を表しているからなのです。組織の責任をとらない上位者は権力を持っているので批判されるくらいでないとバランスが保てません。もちろんまともな役職者も世の中にはたくさんいます。でも経営者や役員の給料はいちばん最後というまともな企業もたくさんあるでしょう。そういう人びとはちゃんとこのブログの意図をよく理解されているのだと思います。
ドラマ半沢直樹で管理職や上司の立場にある人びとは、このドラマの影響に戦々恐々としている人もいるかもしれませんし、逆にそれをいいことだと思っている人もいることでしょう。ただ実際、最近は悪戯な権力者がクローズアップされ、ブラック企業という観点で経営陣の問題がやたら批判される中で、逆に若い世代の特に③タイプの社員に手をこまねいている会社も多いようです。勝手に欠勤したり、遅刻しても悪びれず、なお気に入らないことには平気で反発し、すべて自分が正しいという人もいます。周囲はそれに対して何も言えず、ひどい場合は上司も何も言えず野放し状態ということも起こっています。
とくに若い世代は離職率も高く、我慢という観点は一切ありません。もちろん空気を読む人はどんどん若くなるほど減っています。それはなぜかというと少子化やゆとり教育により人間関係の訓練がなされていないことで間合いや距離感もわからなくなってきていますし、もちろん空気も読めません。また競争社会でなくなったことで、意欲の低下やストレス耐性が極度に低い人びとが増えています。そういう状況の中で逆に放任主義で育てられたり、不遇な家庭環境で育つととてつもなく強い性格やわがままな人格になることで③のような人になってしまったりするのです。一方であまりやる気がない忍耐力がない人が増えている一方でやる気がありすぎて、モチベーションというよりテンションが高すぎるような人もいたりします。そういう人は自分の思うようにならないとすぐに拒否したり、結果的には長続きしないということになります。
団塊や団塊Jrの世代など人間関係も豊かで競争もそれなりにあった社会から、今はのんびりとしたいことだけできるような世代になっていますので、当然忍耐力もなければストレス耐性もない人が増え続けています。中国では一人っ子政策の影響で、軍部の統制がとりにくいなどといった記事も最近目にしました。とにかく今後の企業の課題はそういった若い世代をどう動かし、企業収益を上げていくかということが大きな課題になりそうです。空気も読めなければ、はっきり言ったことしかできないからといって、人間的対応を止めて、機械やロボットみたいにこき使えばいいという経営者や管理職はもちろん企業にいてはいけないと思います。
2013年8月22日木曜日
組織風土と病気の関係
ある会社の元社長が癌になって余命3ヶ月と宣告されたという話を最近聞きました。大腸癌で手術はとりあえず成功したようですが、すでに肺にも転移しているとのことでなかなか状況はきびしいのではと思います。
その会社は現在はないのですが、20名くらいの小規模の会社でその当時、社員がどんどん癌になり亡くなっていくということで業界では知られていました。癌になった人は6人、そのうち2人が亡くなっています。亡くなられた2人はとてもいい人で、ひとりは私と同い年で胃がんでした。
ついに元社長がそういう病気になったということは不幸なことではあるのですが、なにか因縁めいたものを感じざるをえません。なぜその会社はあんなに癌になる人が多かったのでしょうか。私は当時からその会社の組織風土に問題があるとずっと見ていました。その当時、私の講演を聞かれた元社長が講演終了後、私にあなたの講演は何が言いたいのかわからないと言ったことがとても印象に残っていて、いまだに鮮明に覚えています。その社長もあまり定性的な感覚はなく、とても頭の固いイメージで、役員連中にはペコペコで下には結構ガミガミのタイプでした。もちろん私はその会社の社員ではないので被害を受けたことはありませんが、こういう組織風土というのが理解できない人もいるのだと実感したわけです。
そして元社長の会社は権威主義的人格の人が多く、権威には絶対服従でそうとう抑圧された精神構造の人が多かったですし、とにかく真面目で完璧主義、カマトトっぽい人も多く、下ネタにはまったく反応できないし、冗談も通じないアソビのない人びとが多かった組織であったのです。まあ類は類を呼ぶというのが実際に表れたような人びとの集まりでした。
権威主義的で抑圧された組織風土の中の社員は目に見えないストレスで充満し、その結果癌という病気になりやすいのではないかと思います。組織風土と病気に相関について研究すればそれはとても面白い研究になるのではと思いますが、何分ネガティヴな研究になるので、企業自体がそういったデータを出さない可能性が高いと思います。
ちなみにブラック企業と言われている企業の社員たちはどうなんでしょう?うつになる人は一般的にかなりの数に上るようですし、それに付随して自殺者などはなかなか自殺の原因を企業やその経営者の責任にすることがなかなか困難な状況ではないかと思います。でも今後勤務内容と同時に組織風土なども含めて人材管理の中には精神面の管理が不可欠であると思います。
いずれにせよ、一つの組織を率いている経営者は組織の長として、どんどん社員が倒れていくのを何ら問題に思わず、平気でいるというのは全く理解できないことです。どこに問題があるのか、自分で勝手に判断するのでなく、第三者である専門家に相談すべきです。病気や精神疾患を個人の問題として決めつけないで、企業として経営者として、上司として対処すべきであると言いたいわけです。
少なくとも社内のストレス環境など問題があるのではないかと考えてみるべきです。経営者は自分の会社の社員は自分のこども、家族同様に考えるべきだと思いますが、雇われ経営者でオーナーシップがとれない会社であったり、経営者自身がサイコパスのような人格になってしまっているという観点では社員の病気などは、他人事に過ぎないという人が多いのです。
その元社長も癌になったことをただ病気として治そうというのでなく、その意味合いを痛感してほしい気がします。もし病気が神様が与えるものだとするならば、なにか悟るべきことがらがあるはずです。それを考えないとしたら、癌になった意味が生かされません。
ただもともと悟れないような人だからその会社の雇われ社長としていたのかもしれません。悟れるような人であれば、社員があまりに倒れていくならばどこに問題があるのかと真剣に考え、組織風土(人間関係も含め)や勤務状況を変えていったことでしょう。
まここらへんにしておきます。あまり解釈しすぎるとオカルトっぽくなるので。
いずれにせよ、経営者や人の上に立つ人は人を追い込んだりいじめるのはやるべきではないと思います。フロイトやユングによると人間は受け入れがたいことがらは自分の無意識に閉じ込めて抑圧された状態にして普段の意識には出てこないようです。ただそれが表れるのは催眠術をかけたときで、覚醒されると一切それらは覚えていないということのようです。社員に催眠術を施しその無意識に抑圧されたことがらを引き出してみると上位者に対する怨みつらみが出てくるかもしれません。よくわら人形なんてありますが、あまりに多くの人に怨まれるとその意識が具体的に対象物に顕在化するのではと思ったりします。祈りの力なんてのもそういうことかも知れません。思い続ければ必ず実現するといったことも同じような精神世界の内容が現実世界に顕在化するといった内容なのかも知れません。
経営者であるということ、組織のトップに立つということは、ある面組織の成員の命も預かっている、その家族までも責任をもたなければならないのだということを肝に銘じ、逆に不幸な状態がどんどん起きるようなことがあるならば、早期に問題発見、問題抽出をして問題解決に取り組むべきです。人を預かる立場である重大性を認識できず、気楽に考えていると間接的な殺人を犯しているかもしれないということをしってもらいたいものです。そういう認識すらできない人は経営者や組織のトップに立つべきではないと思うのです。
2013年7月23日火曜日
参院選(7.21)に思うこと
先日行われた参議院選挙の結果はみなさんがほぼ予想されたとおりの結果になったのではないでしょうか。安倍総理が衆参のねじれを正すと言いまくったとおり、自公で過半数を上回り、それが実現されました。今回の選挙も、マスコミの大きな後押しが自公政権に大きな追い風になったことは否めません。
昨年の政権交代依頼、アベノミクスがどんどん勢いづいているその理由の一つに輸出を中心とした大企業(スポンサー)をバックにしたマスコミの力が大きいことと、民主党への不満の反動も大きな要因としてあげられると思います。もちろん安倍政権に対する期待もあるでしょうが、あまりにダメだった民主党とのコントラスト効果で自民党安倍政権が実際以上の評価を得ているのではないかと思ってしまいます。
また共産党の躍進は、これは単にホントの意味での野党がなくなったことで、票が集中しているのだと思います。それで共産党に投票する人たちは別に好きじゃないけど入れるところがないのでといったコメントをしていたりします。野党の本流であった日本社会党はすでに消えてしまっていますし、与党の渦の中に消滅したと見たほうがいいと思います。
日本もアメリカのような二大政党になればいいという人がいますが、私もある程度そういうカタチになったほうが国民としてはわかりやすいと思います。ところが現状を見ると自民党(公明党は統制された他の論理をもつ集団なので除外しますが)や他の政党を見ると保守とリベラルがごっちゃに入っているのです。アメリカみたいに共和党と民主党というカテゴリーわけができないのです。したがって国民は思想や政策だけで選ぶことが困難で、どうしても属人的な判断に大きく依存してしまうのです。
維新の会やみんなの党、その他もろもろの少数政党も似たり寄ったりなのです。ホントはスッキリと保守、リベラルと二大政党のように色分けできれば、さらにわかりやすいと思います。例えばですが、原発推進、憲法9条改正、大企業中心、消費税導入と原発反対、憲法9条維持、中小企業支援、福祉推進となんか色分けできればもっとわかりやすいかもしれません。もちろんひとくくりにできないことは現実問題としてありますが。
昨年から自民党が再び政権を握って、大胆な政策でどんどん強い日本になっていくことを国民は期待しているのだろうと思います。ただ懸念事項として、私が憂慮しているのは、自公政権自体に一枚岩になって対抗できる野党が存在していないということです。今は自公政権の軍事も含めたアベノミクスというアクセルに対してブレーキの役割ができるのは同じ政権内の公明党ということになっているのが実際のところです。今の政治のおもしろい?ところはそれぞれの政党内が保守とリベラルがごっちゃになっているという点で、そうでない党は公明党と共産党です。なぜこの二党はそうならないかというと宗教であり、イデオロギーの党だからです。唯心論と唯物論という両極端の党でありながら絶対的な思想をベースに作られているところがあり、他の党に比べ、党員間の矛盾や葛藤は少ないと考えられます。
少々話がずれましたが、イケイケドンドンの安倍政権で今後憂慮すべき点は、大企業中心の政策はある面更なる格差を生み、決して国民全体としてしあわせになれるのかどうかという点ではたいへん疑問を持たざるをえません。もちろん反対に福祉国家を目指すことが善だとは思えません。すでに福祉国家で素晴らしい国とされてきた北欧の国々のさまざまな問題(働かない若者や移民の問題、他)が起こってきているからです。すべてにおいてバランスが大切です。
さらに憲法9条、96条の改正により、自衛隊が軍隊へ移行するという流れで、表向きは独立国家に軍隊があって当然という観点での耳触りのいい話です。でも実際日本は独立国家と言えるのでしょうか、いまだにアメリカや周辺国の顔色をつねにうかがいながら、政治をしているわけです。靖国参拝も周辺国にいろいろ言われて、なにか弁明じみたことを言っているわけですが、はっきりと内政干渉であると言える政治家がどれほどいるでしょうか。一宗教法人に公人として参拝するというのが問題であって、別に周辺国への説明は必要ないはずです。ならば靖国神社を国営化するとか別途に国立墓地のようなところをつくるとかいろいろ違った議論が出てもいいのではと思います。
周辺国が過去の歴史問題を持ち出すのはいまだに政治的、外交的カードとして有効であると認識しているからです。政治的側面から国民全体がそう信じ込んで日本を非難する人もいますが、実際、国際的な視野を持ち、学習した人は国家のすり込みというものをよく理解していて、本音は日中韓でそれほど大きな価値観の違いはありません(もちろん幼いころからすり込まれたものは簡単には抜けませんが)。とにかくそういった点でまず外交手腕を発揮して、周辺国を納得させるくらいの力をもち、その上で自衛隊を軍隊にと議論すべきであると思います。
ただよく認識しておかなければならないのは戦後、徴兵制が無かったことが日本経済に大きな効果をもたらしたということです。徴兵がある国は、企業が最も人材育成をしたい20代に軍隊に行かなければならないのです。また日本人は和を重んじる民族で集団凝集性もたいへん高いと私は考えています。したがって、戦前の軍国主義の時代に戻ってしまうという危険性は否めません。ここまで民主主義が根付いて、民度も高い日本がそうはならないと思う人も多いでしょう。おとなしくて、几帳面、真面目、いい人、そして原則から逸脱したことがきらいという人がカルトに陥りやすいのです。日本人にうつが多いのもそういった性格が影響しています。
しょっちゅう喧嘩したり、ぶつかったりしている人は、子供みたいで、またそういう国民は民度は低いかもしれませんが、カルトチックになりにくい傾向にあります。日本は間違いなく自衛隊から軍隊に移行すれば、徴兵制が敷かれ、有事の際には、召集令状という流れになってくるでしょう。そして国民総動員というカタチで反対意見を言うものは村八分にされ排除される可能性も否めません。そういう状況にどんどん変化したとき、現在アベノミクスをさらに後押ししているマスコミは正論を述べる立場に立てるのかということも気になります。
なぜこんなに心配するかというと、こんなに民主主義が広がり平和な日本であるのに、社会の裏ではいまだにカルト教団やブラック企業での人権蹂躙が平気で行われているという事実があるからです。実は無理な要求で追い込まれて自殺する人が後を絶たないのですが、実際そういった組織や組織のトップの責任を立証できないがために改善されていないのが実状です。今回その代表を勤めていた人が自民党の比例で当選を果たしました。あれだけ批判があって公認取り下げの訴えがあったにも関わらず、押し通して国会議員にしてしまった自民党の非民主主義的な手法に憂慮せざるをえません。
とにかく人間は間違います。かならずブレーキの役割をする機関や人が絶対に必要なのです。そしてブレーキはアクセルにコミットしていません。あくまでコミットしているのは危険という認識とストップさせるという概念だけです。自民党が暴走しないことを祈るのみです。
昨年の政権交代依頼、アベノミクスがどんどん勢いづいているその理由の一つに輸出を中心とした大企業(スポンサー)をバックにしたマスコミの力が大きいことと、民主党への不満の反動も大きな要因としてあげられると思います。もちろん安倍政権に対する期待もあるでしょうが、あまりにダメだった民主党とのコントラスト効果で自民党安倍政権が実際以上の評価を得ているのではないかと思ってしまいます。
また共産党の躍進は、これは単にホントの意味での野党がなくなったことで、票が集中しているのだと思います。それで共産党に投票する人たちは別に好きじゃないけど入れるところがないのでといったコメントをしていたりします。野党の本流であった日本社会党はすでに消えてしまっていますし、与党の渦の中に消滅したと見たほうがいいと思います。
日本もアメリカのような二大政党になればいいという人がいますが、私もある程度そういうカタチになったほうが国民としてはわかりやすいと思います。ところが現状を見ると自民党(公明党は統制された他の論理をもつ集団なので除外しますが)や他の政党を見ると保守とリベラルがごっちゃに入っているのです。アメリカみたいに共和党と民主党というカテゴリーわけができないのです。したがって国民は思想や政策だけで選ぶことが困難で、どうしても属人的な判断に大きく依存してしまうのです。
維新の会やみんなの党、その他もろもろの少数政党も似たり寄ったりなのです。ホントはスッキリと保守、リベラルと二大政党のように色分けできれば、さらにわかりやすいと思います。例えばですが、原発推進、憲法9条改正、大企業中心、消費税導入と原発反対、憲法9条維持、中小企業支援、福祉推進となんか色分けできればもっとわかりやすいかもしれません。もちろんひとくくりにできないことは現実問題としてありますが。
昨年から自民党が再び政権を握って、大胆な政策でどんどん強い日本になっていくことを国民は期待しているのだろうと思います。ただ懸念事項として、私が憂慮しているのは、自公政権自体に一枚岩になって対抗できる野党が存在していないということです。今は自公政権の軍事も含めたアベノミクスというアクセルに対してブレーキの役割ができるのは同じ政権内の公明党ということになっているのが実際のところです。今の政治のおもしろい?ところはそれぞれの政党内が保守とリベラルがごっちゃになっているという点で、そうでない党は公明党と共産党です。なぜこの二党はそうならないかというと宗教であり、イデオロギーの党だからです。唯心論と唯物論という両極端の党でありながら絶対的な思想をベースに作られているところがあり、他の党に比べ、党員間の矛盾や葛藤は少ないと考えられます。
少々話がずれましたが、イケイケドンドンの安倍政権で今後憂慮すべき点は、大企業中心の政策はある面更なる格差を生み、決して国民全体としてしあわせになれるのかどうかという点ではたいへん疑問を持たざるをえません。もちろん反対に福祉国家を目指すことが善だとは思えません。すでに福祉国家で素晴らしい国とされてきた北欧の国々のさまざまな問題(働かない若者や移民の問題、他)が起こってきているからです。すべてにおいてバランスが大切です。
さらに憲法9条、96条の改正により、自衛隊が軍隊へ移行するという流れで、表向きは独立国家に軍隊があって当然という観点での耳触りのいい話です。でも実際日本は独立国家と言えるのでしょうか、いまだにアメリカや周辺国の顔色をつねにうかがいながら、政治をしているわけです。靖国参拝も周辺国にいろいろ言われて、なにか弁明じみたことを言っているわけですが、はっきりと内政干渉であると言える政治家がどれほどいるでしょうか。一宗教法人に公人として参拝するというのが問題であって、別に周辺国への説明は必要ないはずです。ならば靖国神社を国営化するとか別途に国立墓地のようなところをつくるとかいろいろ違った議論が出てもいいのではと思います。
周辺国が過去の歴史問題を持ち出すのはいまだに政治的、外交的カードとして有効であると認識しているからです。政治的側面から国民全体がそう信じ込んで日本を非難する人もいますが、実際、国際的な視野を持ち、学習した人は国家のすり込みというものをよく理解していて、本音は日中韓でそれほど大きな価値観の違いはありません(もちろん幼いころからすり込まれたものは簡単には抜けませんが)。とにかくそういった点でまず外交手腕を発揮して、周辺国を納得させるくらいの力をもち、その上で自衛隊を軍隊にと議論すべきであると思います。
ただよく認識しておかなければならないのは戦後、徴兵制が無かったことが日本経済に大きな効果をもたらしたということです。徴兵がある国は、企業が最も人材育成をしたい20代に軍隊に行かなければならないのです。また日本人は和を重んじる民族で集団凝集性もたいへん高いと私は考えています。したがって、戦前の軍国主義の時代に戻ってしまうという危険性は否めません。ここまで民主主義が根付いて、民度も高い日本がそうはならないと思う人も多いでしょう。おとなしくて、几帳面、真面目、いい人、そして原則から逸脱したことがきらいという人がカルトに陥りやすいのです。日本人にうつが多いのもそういった性格が影響しています。
しょっちゅう喧嘩したり、ぶつかったりしている人は、子供みたいで、またそういう国民は民度は低いかもしれませんが、カルトチックになりにくい傾向にあります。日本は間違いなく自衛隊から軍隊に移行すれば、徴兵制が敷かれ、有事の際には、召集令状という流れになってくるでしょう。そして国民総動員というカタチで反対意見を言うものは村八分にされ排除される可能性も否めません。そういう状況にどんどん変化したとき、現在アベノミクスをさらに後押ししているマスコミは正論を述べる立場に立てるのかということも気になります。
なぜこんなに心配するかというと、こんなに民主主義が広がり平和な日本であるのに、社会の裏ではいまだにカルト教団やブラック企業での人権蹂躙が平気で行われているという事実があるからです。実は無理な要求で追い込まれて自殺する人が後を絶たないのですが、実際そういった組織や組織のトップの責任を立証できないがために改善されていないのが実状です。今回その代表を勤めていた人が自民党の比例で当選を果たしました。あれだけ批判があって公認取り下げの訴えがあったにも関わらず、押し通して国会議員にしてしまった自民党の非民主主義的な手法に憂慮せざるをえません。
とにかく人間は間違います。かならずブレーキの役割をする機関や人が絶対に必要なのです。そしてブレーキはアクセルにコミットしていません。あくまでコミットしているのは危険という認識とストップさせるという概念だけです。自民党が暴走しないことを祈るのみです。
2013年7月19日金曜日
認知的不協和に苦しむ経営者
認知的不協和とはアメリカの社会心理学者フェスティンガーが唱えた理論です。人間はつねに自分の思いや認知と行動が矛盾のないようにつねにバランスをとるという性質があります。すなわち自己矛盾が生じている状態にずっととどまっていることは誰しも嫌なのです。ホメオスタシス(恒常性維持機能)という観点もそれに似たものがあります。とにかく人間は変化に対して弱いということもありますし、まして自分が願わない不本意なことを要求され、行動を強いられるときには精神的に大きなストレスを感じるのです。
会社経営の中でも、経営者は認知的不協和を低減しようと努めるのです。ここでご紹介するのは一例です。基本的に社長に抜擢されたら経営権を握って自分の信じたとおり会社経営できるのが筋であるが、世の中には引退しているはずの会長なる存在がいまだに権限を行使していたりするケースがあったりします。また外面的にはわからないがうまく院政を引いて、ことあるごとに社長を呼びつけ、指示をだすような会長という存在がいたりします。そのうち社長は勝手にやって文句言われるくらいなら会長の言うとおりに従ってやっていれば、文句も言われずに済むということで完全に経営権が会長にあり、会長が経営をし、社長はただその業務を遂行するだけの仕事をしているということがあったりします。(ここでは会長―社長という関係で話しますが、みなさんは社長―上司と置きかえてもいいかもしれません)
分かりやすく示しますと以下のような矛盾を抱えて社長が経営しているわけです。
認知A:会長の命令に従う。
認知B:会長の命令に従うと会社が経営破たんする。(会長に従わなければ経営できる)
社長の仕事は当然業績アップをめざし、経営を上向きにするというのが仕事ですから、こういう状況は明らかに本来自分がすべき行動とは矛盾するわけです。そこでこの矛盾を解消するのにどのように行動するかという問題なのです。それは認知Aを変えるか、認知Bを変えるかです。まず認知Aを
認知A':命令に対して拒否し、社長の考えを押し通す。
という認知A'に変えると自分のすべき仕事に対して矛盾が解消されます。ただその場合命令に従わなかったとして社長はクビになるかもしれません。なかなか企業トップが独裁を敷いているところはその権力のゆえにその部下は直立不動の経営しかできないケースが往々としてあるのです。したがって意見を言うとか、反論するなんてことはもう自殺行為に等しかったりします。そういう組織で生き延びていく、出世するにはとにかく上位者にうまく取り入っておべっかは言っても絶対に上司の言うことを否定しないという行動が必然です。
しかし社員からしたら、せっかく社長でいるのだからリーダーシップを発揮して新しいことをいろいろと試したり何とかg黒字にしよう業績を上げようと頑張るのですが、まったく埒があかないという状況にあります。おまけに現場の事情がよくわかっていない会長に振り回されて、社長はトンチンカンな指示命令ばかり下すという状況になってしまっていたりします。そして実際に、経営状態はさらに悪化してどんどん厳しい状況に追い込まれ、給料も減らされ、社員の不満はピークになってしまうのです。
そういう状況にいたっても社長は認知A'の行動に出ることはできないでいます。でも社長としてはなんとか経営はちゃんとしたいという矛盾をかかえてしまうのです。でもクビにはなりたくありませんから、A'の選択はまずありえません。それで会長の命令に従うのです。それで会社の経営破たんをを見越して自分なりに矛盾、すなわち認知的不協和を低減できる理由をさがすのです。
・どうせこの会社はもう潮時だった。
・命令に従ったから経営責任は回避できる。
・社員もあの会長のワンマンさを知っているから理解してくれるだろう。
などなど、でも実際の経営責任者は社長です。経営責任は免れはしません。
こういった場合、どうしたらいいのでしょう。すでに経営破たんを受け入れているような社長は完全に会長に直立不動を強いられる管理下にある状況です。すでに自分の立場を客観視したり、俯瞰しシビアに現実志向で見つめるというレベルは失われていたりします。ひどい場合はアメとムチで完全に洗脳状態、学習性無力感で精神状態が崩壊しているケースもあります。とにかくこういう場合は部下の意見も聞かない状態になっていますし(なぜなら会長の命令以外の意見は受け入れないので)、相談をするという選択肢は皆無です。そういう状況にあることに気づけさえすれば、希望が見えます。ホントはできる(できそうな)部下を集めて、会長への対策会議を行えばいいのです。
それが無理なら、社外のコンサルタントか会長が一目置くような人に相談することが重要です。ただ社外であったり、経営から長く退いていると状況がイマイチ把握できない場合もあります。
とにかく気づきが必要ですし、問題の核心部分が明確に分かる、すなわち問題抽出能力がなければいい方向に展開することは困難です。そうであるがためには歪んだ持論や処世術だけで凝り固まった経営者、上司という企業組織の上位者はつねに学習してほしいものです。
会社経営の中でも、経営者は認知的不協和を低減しようと努めるのです。ここでご紹介するのは一例です。基本的に社長に抜擢されたら経営権を握って自分の信じたとおり会社経営できるのが筋であるが、世の中には引退しているはずの会長なる存在がいまだに権限を行使していたりするケースがあったりします。また外面的にはわからないがうまく院政を引いて、ことあるごとに社長を呼びつけ、指示をだすような会長という存在がいたりします。そのうち社長は勝手にやって文句言われるくらいなら会長の言うとおりに従ってやっていれば、文句も言われずに済むということで完全に経営権が会長にあり、会長が経営をし、社長はただその業務を遂行するだけの仕事をしているということがあったりします。(ここでは会長―社長という関係で話しますが、みなさんは社長―上司と置きかえてもいいかもしれません)
分かりやすく示しますと以下のような矛盾を抱えて社長が経営しているわけです。
認知A:会長の命令に従う。
認知B:会長の命令に従うと会社が経営破たんする。(会長に従わなければ経営できる)
社長の仕事は当然業績アップをめざし、経営を上向きにするというのが仕事ですから、こういう状況は明らかに本来自分がすべき行動とは矛盾するわけです。そこでこの矛盾を解消するのにどのように行動するかという問題なのです。それは認知Aを変えるか、認知Bを変えるかです。まず認知Aを
認知A':命令に対して拒否し、社長の考えを押し通す。
という認知A'に変えると自分のすべき仕事に対して矛盾が解消されます。ただその場合命令に従わなかったとして社長はクビになるかもしれません。なかなか企業トップが独裁を敷いているところはその権力のゆえにその部下は直立不動の経営しかできないケースが往々としてあるのです。したがって意見を言うとか、反論するなんてことはもう自殺行為に等しかったりします。そういう組織で生き延びていく、出世するにはとにかく上位者にうまく取り入っておべっかは言っても絶対に上司の言うことを否定しないという行動が必然です。
しかし社員からしたら、せっかく社長でいるのだからリーダーシップを発揮して新しいことをいろいろと試したり何とかg黒字にしよう業績を上げようと頑張るのですが、まったく埒があかないという状況にあります。おまけに現場の事情がよくわかっていない会長に振り回されて、社長はトンチンカンな指示命令ばかり下すという状況になってしまっていたりします。そして実際に、経営状態はさらに悪化してどんどん厳しい状況に追い込まれ、給料も減らされ、社員の不満はピークになってしまうのです。
そういう状況にいたっても社長は認知A'の行動に出ることはできないでいます。でも社長としてはなんとか経営はちゃんとしたいという矛盾をかかえてしまうのです。でもクビにはなりたくありませんから、A'の選択はまずありえません。それで会長の命令に従うのです。それで会社の経営破たんをを見越して自分なりに矛盾、すなわち認知的不協和を低減できる理由をさがすのです。
・どうせこの会社はもう潮時だった。
・命令に従ったから経営責任は回避できる。
・社員もあの会長のワンマンさを知っているから理解してくれるだろう。
などなど、でも実際の経営責任者は社長です。経営責任は免れはしません。
こういった場合、どうしたらいいのでしょう。すでに経営破たんを受け入れているような社長は完全に会長に直立不動を強いられる管理下にある状況です。すでに自分の立場を客観視したり、俯瞰しシビアに現実志向で見つめるというレベルは失われていたりします。ひどい場合はアメとムチで完全に洗脳状態、学習性無力感で精神状態が崩壊しているケースもあります。とにかくこういう場合は部下の意見も聞かない状態になっていますし(なぜなら会長の命令以外の意見は受け入れないので)、相談をするという選択肢は皆無です。そういう状況にあることに気づけさえすれば、希望が見えます。ホントはできる(できそうな)部下を集めて、会長への対策会議を行えばいいのです。
それが無理なら、社外のコンサルタントか会長が一目置くような人に相談することが重要です。ただ社外であったり、経営から長く退いていると状況がイマイチ把握できない場合もあります。
とにかく気づきが必要ですし、問題の核心部分が明確に分かる、すなわち問題抽出能力がなければいい方向に展開することは困難です。そうであるがためには歪んだ持論や処世術だけで凝り固まった経営者、上司という企業組織の上位者はつねに学習してほしいものです。
2013年7月6日土曜日
負のエネルギーをうまく活用する方法
人生、生きていく中でさまざまな体験をします。もちろん喜怒哀楽、さまざまな心情を感じていくわけですが、なかなか怒りや怨みの情だけはなかなかコントロールが難しいものです。「金持ち喧嘩せず」というのは色んな意味合いがあるでしょうが、基本的にいい人生を送っているなと感じる方々は比較的穏やかでジェントルな方が多いような気がします。
PSIでは金持ちになること、成功することを別に奨励はしていませんが、人生豊かに楽しく有意義な過ごし方ができると幸せをたくさん感じることができると思います。そのためにはやはり感情のコントロールというのはとても重要で、それができなければ成功することはもちろんのこと、人生を謳歌することはとても困難であると思います。うまくいっている経営者の中には、あまり神経質でいつもイライラして殺気立っているような人は見たことがありません。もしそういう人が経営者であったらその企業はブラック企業に選定されているかもしれません。
できる人というのは熱い志を持ちながらも、感情はコントロールし、自分の目標に対してつねに前向きで努力しつづけることができる人だと思います。優良企業の経営者の人びとを見てみると、比較的人当たりもよく穏やかでありながら、胸に秘めた燃える思いというものがひしひしと伝わってきます。そして経営においてもっとも効率的なアプローチをすることができる人です。それは業務もそうですし、組織を形成している社員に対してもそうです。優秀な経営者というのは会社の誰よりも学んでいる人で、新しいことにもっとも好奇心があって誰よりも意欲的である人だと思います。そして社員に対して最高のパフォーマンスが上がるようにうまくアプローチできる人です。間違えても自分が正しいと怒鳴ったり、大人気なく社員や部下と喧嘩したりということはまずありません。
反対にできる社員や部下というのも上司に対してうまく動かすコツをわきまえている人です。もちろん情熱的に訴えてぶつかったりすることもあるかもしれません。でもある程度のところで上司のレベルを見抜いてどう対処するかという対応策が頭の中にあって行動できることが重要です。もちろんダメ上司でどう考えてもその上司の下で働くメリットがないことが明確ならば、転職や独立、起業といったことも考えることができるのができる人です。感情的に行動し、扱いにくい部下だと上司や経営者からレッテルを貼られてしまうのは自分にとってまったくメリットはありません。
経営者や上司は組織という観点ではやはり権威ある立場なのです。自分ひとりがどんなに訴えたところで、社内のだれも自分と同調する人がいなかったならば、出る杭ではなく、ただのわがまま坊主に映るだけです。部下や社員の立場でより上位者に訴えそれを聞き入れてもらうためには、まず自分の同僚以下、そして上位者の中でも自分を後押ししてくれる社内的人脈ができていなければならないわけです。たとえば上司にある提案をするとき、上司がより理解できるかたちで話をすることも重要ですし、その時点で上司以外は全員が自分の意見とコンセンサスを得ているという暗黙の了解もあれば最高です。
社内である程度、模範的な言動ができ、なおかつつねに学習していて周囲がついてくるぐらいの人間力を発揮しながら、より上位者のレベルも理解した上で意見ができなければ、社内で浮いてしまう可能性もあります。逆に経営者や上司の立場にある人は何でも自分の思うようにいっていると思って社員が納得しないことも要求し続けていると間違いなく裸の王様になることは間違いなしです。部下がやたら自分のことをほめて、自分に対する意見や新しいアイディアなどの提案がなくなっているとすれば、もう完全に上司、経営者としては部下や社員は見限っているということであると認識すべきです。すなわち、ジジ殺し、褒め殺しの状態まで言ってて、最悪のときには裏切られてしまうケースです。部下がやたら自分にとって心地いいことしか言わない状況になっている時点で早く気づくことが重要です。
とにかく感情をコントロールできない人は絶対に大成しません。それは社会的地位という以前に人間として、人格的にも幼いレベルにとどまっていると考えてよいでしょう。ものすごいワンマンで独裁者の経営者で存在できている会社があれば、それはすでに超権威主義を許容しているカルトチックな組織になっているはずです。ブラック企業に上げられている企業にもそういった組織の企業があるかもしれません。会社には社是や社訓が掲げてある程度ならいいのですが、創立者の写真などが掲げてある会社はひとつの宗教になっています。
話がそれましたが、とにかく感情をコントロールできる人格、言動を養っていかなければなりません。感情的な人は見方を変えれば情熱的でやる気のある人です。ある面会社でいつもネガティヴ発言で、「どうせ~」とか「やっぱり~」から始まったり、「でも」「そうは言っても」といった逆接の言葉が多い人は、すでに学習性無力感から意欲さえ失っていたりします。そういう人はもう何をやるにも意欲が足りなかったりつねに言い訳ばかりが口に出るようになっています。感情的な人は感情のコントロールさえできればまだ可能性があります。
会社をはじめ、人間によって形成されるあらゆる組織にはさまざまな人間関係があります。自分と相性が合う人しかいないという組織は稀です。もしそういう人がいるとしたならば相当人間的器の広い方だと思います。むしろ組織の中には許せないとかムカつくとかウザイといった人が必ずいるはずです。でそういった人にその気持ちをいつも持ち続けているのは精神衛生上よくありません。それでそれを解消する方法はそういったことにかかわっていられないくらいの自分の目標を持つということが重要です。そしてそれを達成することが、ストレスの原因になっている人びとを見返すことにもつながれば尚更です。ムカついたり、カッとくる負のパワーを、よし見ておれ、必ず見返してやると自分の目標を達成するための正のエネルギーに全面的に転化させるのです。それが普段の生活の中でスムーズにできるようになれば、人生の時間を無駄に使わないで済むことになるはずです。
自分の人生は会社のため、まして会社のダメな人びとのためにあるわけではないのです。その人たちのレベルの低い人格のゆえに自分の感情や心情、そして貴重な時間や行動までも無駄にする必要はないのです。困った人が助けを求めてきてそれに心情や行動、時間を割くことはとても意義深く、いずれ自分にいいかたちで返ってきます。でも自分が勝手に自分を苦しめる感情を持つことはとてももったいないことなのです。少しでも早く負のエネルギーは正のエネルギーに転化して人生の意義あることに活用していきましょう。私たちの人生は自分の人生を有意義に生きることと社会的に意義ある人生にしていくことが大切ではないかと思うのです。
PSIでは金持ちになること、成功することを別に奨励はしていませんが、人生豊かに楽しく有意義な過ごし方ができると幸せをたくさん感じることができると思います。そのためにはやはり感情のコントロールというのはとても重要で、それができなければ成功することはもちろんのこと、人生を謳歌することはとても困難であると思います。うまくいっている経営者の中には、あまり神経質でいつもイライラして殺気立っているような人は見たことがありません。もしそういう人が経営者であったらその企業はブラック企業に選定されているかもしれません。
できる人というのは熱い志を持ちながらも、感情はコントロールし、自分の目標に対してつねに前向きで努力しつづけることができる人だと思います。優良企業の経営者の人びとを見てみると、比較的人当たりもよく穏やかでありながら、胸に秘めた燃える思いというものがひしひしと伝わってきます。そして経営においてもっとも効率的なアプローチをすることができる人です。それは業務もそうですし、組織を形成している社員に対してもそうです。優秀な経営者というのは会社の誰よりも学んでいる人で、新しいことにもっとも好奇心があって誰よりも意欲的である人だと思います。そして社員に対して最高のパフォーマンスが上がるようにうまくアプローチできる人です。間違えても自分が正しいと怒鳴ったり、大人気なく社員や部下と喧嘩したりということはまずありません。
反対にできる社員や部下というのも上司に対してうまく動かすコツをわきまえている人です。もちろん情熱的に訴えてぶつかったりすることもあるかもしれません。でもある程度のところで上司のレベルを見抜いてどう対処するかという対応策が頭の中にあって行動できることが重要です。もちろんダメ上司でどう考えてもその上司の下で働くメリットがないことが明確ならば、転職や独立、起業といったことも考えることができるのができる人です。感情的に行動し、扱いにくい部下だと上司や経営者からレッテルを貼られてしまうのは自分にとってまったくメリットはありません。
経営者や上司は組織という観点ではやはり権威ある立場なのです。自分ひとりがどんなに訴えたところで、社内のだれも自分と同調する人がいなかったならば、出る杭ではなく、ただのわがまま坊主に映るだけです。部下や社員の立場でより上位者に訴えそれを聞き入れてもらうためには、まず自分の同僚以下、そして上位者の中でも自分を後押ししてくれる社内的人脈ができていなければならないわけです。たとえば上司にある提案をするとき、上司がより理解できるかたちで話をすることも重要ですし、その時点で上司以外は全員が自分の意見とコンセンサスを得ているという暗黙の了解もあれば最高です。
社内である程度、模範的な言動ができ、なおかつつねに学習していて周囲がついてくるぐらいの人間力を発揮しながら、より上位者のレベルも理解した上で意見ができなければ、社内で浮いてしまう可能性もあります。逆に経営者や上司の立場にある人は何でも自分の思うようにいっていると思って社員が納得しないことも要求し続けていると間違いなく裸の王様になることは間違いなしです。部下がやたら自分のことをほめて、自分に対する意見や新しいアイディアなどの提案がなくなっているとすれば、もう完全に上司、経営者としては部下や社員は見限っているということであると認識すべきです。すなわち、ジジ殺し、褒め殺しの状態まで言ってて、最悪のときには裏切られてしまうケースです。部下がやたら自分にとって心地いいことしか言わない状況になっている時点で早く気づくことが重要です。
とにかく感情をコントロールできない人は絶対に大成しません。それは社会的地位という以前に人間として、人格的にも幼いレベルにとどまっていると考えてよいでしょう。ものすごいワンマンで独裁者の経営者で存在できている会社があれば、それはすでに超権威主義を許容しているカルトチックな組織になっているはずです。ブラック企業に上げられている企業にもそういった組織の企業があるかもしれません。会社には社是や社訓が掲げてある程度ならいいのですが、創立者の写真などが掲げてある会社はひとつの宗教になっています。
話がそれましたが、とにかく感情をコントロールできる人格、言動を養っていかなければなりません。感情的な人は見方を変えれば情熱的でやる気のある人です。ある面会社でいつもネガティヴ発言で、「どうせ~」とか「やっぱり~」から始まったり、「でも」「そうは言っても」といった逆接の言葉が多い人は、すでに学習性無力感から意欲さえ失っていたりします。そういう人はもう何をやるにも意欲が足りなかったりつねに言い訳ばかりが口に出るようになっています。感情的な人は感情のコントロールさえできればまだ可能性があります。
会社をはじめ、人間によって形成されるあらゆる組織にはさまざまな人間関係があります。自分と相性が合う人しかいないという組織は稀です。もしそういう人がいるとしたならば相当人間的器の広い方だと思います。むしろ組織の中には許せないとかムカつくとかウザイといった人が必ずいるはずです。でそういった人にその気持ちをいつも持ち続けているのは精神衛生上よくありません。それでそれを解消する方法はそういったことにかかわっていられないくらいの自分の目標を持つということが重要です。そしてそれを達成することが、ストレスの原因になっている人びとを見返すことにもつながれば尚更です。ムカついたり、カッとくる負のパワーを、よし見ておれ、必ず見返してやると自分の目標を達成するための正のエネルギーに全面的に転化させるのです。それが普段の生活の中でスムーズにできるようになれば、人生の時間を無駄に使わないで済むことになるはずです。
自分の人生は会社のため、まして会社のダメな人びとのためにあるわけではないのです。その人たちのレベルの低い人格のゆえに自分の感情や心情、そして貴重な時間や行動までも無駄にする必要はないのです。困った人が助けを求めてきてそれに心情や行動、時間を割くことはとても意義深く、いずれ自分にいいかたちで返ってきます。でも自分が勝手に自分を苦しめる感情を持つことはとてももったいないことなのです。少しでも早く負のエネルギーは正のエネルギーに転化して人生の意義あることに活用していきましょう。私たちの人生は自分の人生を有意義に生きることと社会的に意義ある人生にしていくことが大切ではないかと思うのです。
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