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2014年12月24日水曜日

ストレスフリーを目指す生き方

食品添加物、環境ホルモン、PM2.5、放射能、薬害…と現代人を取り巻く環境は明らかに不自然な人工的なものであふれています。

本来人間のからだが摂取してはいけないもの、自然界にないとされるものがどんどん蓄積されてさまざまなからだの悩みや疾病を引き起こしていることは紛れもない事実であると言えます。それに加えて人間関係や人間が作り出す制度的な制約により、精神的なストレスもどんどん増える傾向にあります。前者に対する対処はここではお話ししませんが、少なくとも後者の与える影響に関しては少しでも軽減して健康づくりに役立てていただきたいと思うわけです。

PSIブログにおいてはストレスを回避する方法として二点お話ししました。それは自分に対してと自分を取り巻く環境に対してのとらえ方です。

①あきらめる(他者はじぶんとは違うという前提)

②どう思われてもいい(自分軸を立てて周りに左右されない思考)

の二点ですが、これはなかなか実践するのは難しい面があります。人間は「人」という字を見てみればわかるように互いに支え合って(関係性を持ちながら)生きているのが実情だからです。

無理だよと最初からあきらめる方はこの二つの考え方の奥深さを知っていただくとなるほどと実感いただけるのではと思います。実はこの二つのことがらは再三にわたって私がお話ししてまいりました「空気を読む」ということができてこそこの二点が生きてくるのです。ただ空気を読み過ぎてこれはできないという方は自分中心に空気を読み過ぎるといういうことになっているはずです。

例えば守りに走ったり、保身に走る人は自分が可愛いあまりこれができなくなります。割り切りが足りない、客観的に自分を見れない。自分の置かれた立場が理解できていないという自分本位の意識が強すぎると結果としてこれはできなくなります。わかりやすく例をあげてご説明しますと、警察が犯人を追う映画で主人公のパートナーの一人はもう数か月で定年退職を控えています。この期間事件も起きず無難に仕事を終えて終わりたいのですが、そういうときに限って(本人にしたらそう感じる)とんでもない事件に巻き込まれるのです。結果的にもうそういう宿命だと思ってやりきると事件は解決という話なのです。

みなさんも少なからずそういった体験をされているのではないでしょうか?泣きっ面に蜂という状況もそうですし、すべてがうまくいって悠長に構えていたら、寸前に問題がいろいろ明らかになってたいへんだったとか…。とにかくそういう時こそ、いつもと変わらない意識でいればなんとかうまく乗り切れるものです。やはりこういったことは圧倒的に場数を踏んでいる人のほうが強いということは言えると思います。

私の場合は半ばそういったことがあまりに多く、それでこの二点に集約されると結論を出してつねにこの二点を肝に銘じながら対処していると言えます。

空気を読み過ぎて、緊張してどうしたらいいかわからなくなるとかパニくるといった状況になるのは空気を自分本位に読み過ぎているだけだと言えるわけです。例えば会社の会議で会議が反対意見も何も出ないが明らかに誰から見ても変な方向に行っている状況というのがあります。よく集団浅慮(グループシンク)という状態です。その時いわゆる空気を読み過ぎて(自分本位で守りに入る)という人はそのまま流れに流されてしまう人です。でも空気を察して全体の状況を俯瞰したり第三者の視点で見ることができれば、その空気感を壊すことこそ、ホントの意味で空気を読んで行動するということだと言えます。すなわち空気を読むのはどの視点で空気を読むかによって大きく行動が異なってくるということになります。

守りに入るあまり空気に飲み込まれる(長いものに巻かれる)人と全体の(自分を含めた)空気を全体の目的意識という観点から見て読むのかによって全然行動が変わってきます。より個人的な立場を重視した前者と全体やみんなの目的を意識した後者では最初は後者は理解されないかもしれませんが、結果的には信頼を得ることにつながります。

聖書でイエスキリストの「生きんとするものは死に、死なんとするものは生きる」という言葉にも通じるかもしれません。なるべく自分を客観視し、俯瞰し、自分の人生は自分が主人公であるという以上に自分が監督や脚本家、演出家の立場に立つとするならば、もっと楽しくゆとりをもって行動できるかもしれません。

俳優の高倉健さんは「不器用ですから」と言いながら自分を演出していたような気がします。ホントに不器用なのではなく不器用という謙虚な立場を表明することで独特の個性を周りが受容できるように演出したと感じるのは私だけでしょうか?もしそうだとするならば不器用どころか、計算された演出力というのをかんじてしまいます。

さまざまな健康上の悩みがある現代社会、その要因の一つがストレスであると言われています。少なくとも自分で何とかできる手っ取り早い方法としてストレスだけでも軽減できるならばどれほどいいでしょうか。このブログを読んでいただいてもしこれは使えるなと思っていただければ、ぜひ実践してみてください。私は極力ストレス要因は寄せ付けないようにしています。このまま放置しておくとストレス要因となるものは徹底して無くすよう行動しています。またそれは当然のようにあることなのでそのプロセスがゲームのように楽しみながら対処しています。

楽しむことができるようなものであるならば、それは生活に刺激を与え、細胞を活性化させるようなものでもあったりするわけです。とにかくあげればきりがないほど病気を引き起こすような原因にあふれている現代社会、ストレスくらいは自分で管理できる生活を心がけたいものですね。

2014年4月7日月曜日

マルチタスクな人生のすすめ

最近の若者を見ているとどうもひとつのことに集中はするが、いろいろなことを複合的に行うことはなかなか難しいように見受けられます。もちろん人にもよるが、その傾向は社会の随所にみられるのではないかと思います。

例えば食事ひとつ例に出すと、ごはんを主食としておかずを順繰りに食べるというのではなく、一種類のおかずを食べきって次のおかずに行くという流れです。極端な場合、ごはんだけ食べたり、味噌汁は最後に飲み干すといった具合にいろいろな味を複合的に味わうのではなくて、ひとつの味が終わって、次の味というような食べ方なのです。

こういった食べ方をさせないためには、カレーライスやなべ物などすでにごちゃ混ぜに入っている食事がいいかもしれません。韓国料理のビビンパ(ビビダ【混ぜる】+パプ【ごはん】)は食材の陰陽の要素をすべて混ぜることで調和させて食べるにはちょうどいいかもしれません。

私もこういったことを自分の子どもに見つけて、おやっと思ったのですが、他の人に聞いても結構そういった食べ方をしているというのを聞きました。子どもに言わせると味が混ざっておかしくなると言います。ごはんと食べる分には問題ないと思うのですが、そうでもないようです。

また私の学生時代は、受験勉強と恋愛は別物でした。もちろん、片方に偏りすぎるともう一方はおろそかになる、あるいはうまくバランスよくやっていたものです。さらには二人で勉強したりして(ほとんど口実ではあるのですが)仲良くやっていたものです。ところが最近の学生はひとつのことが完結しないと次の(他の)ことができないという傾向にあるように感じます。恋愛しない若者に訊くと、めんどくさいとか同性と遊んでいるほうが楽しいなんていう答えも返ってきます。確かに男女の関係というのは簡単ではないし、リスクもあることは間違いないわけです。でも人間は互いに異性を求めていくという本能的な部分は人間の三大欲にもあるように誰しも備わっているはずです。それをより合理的、効率的側面からだけ考えていくならば、恋愛や結婚というものは時間の無駄と考える人も出てくるかもしれません。

もうすでに若者という観点で取り上げた時点でジェネレーションギャップがあるのだとは思いますが、ちょっとここらへんで一休みして、おじさんといっしょに非効率的で非合理的な人生の側面というものも考えてみるのはどうでしょうか?実際、エネルギッシュで元気のいい人というのは仕事もプライベートも充実しているというイメージがありますし、みなさんの周りの人びとはどうでしょうか?食べる力、恋する(異性を食べる?)力、寝る(睡眠をむさぼる)力、これらはある面非効率なことがらかもしれませんが、人生においては必要不可欠なことがらであると思います。実はこの三点を私たちの先祖があきらめずやってきてくれたおかげで今の私たちがいるわけです。

健康でない人はこの三点がめんどくさいのです。あるいはすべてにおいてバランスを欠いた行動になっているはずです。少食であまり食べられない、あるいは間食みたいな食事しかできない。逆に過食で間食は別腹状態で肥満になってしまったとか。また健康でないと寝るのもぐっすり熟睡というのができません。当然そういった生活がきちんとできれば、恋愛に対しても意欲的になります。当然、現代社会は結婚も出産もそういった選択をしないということも一つの考え方であると思いますし、それは尊重されてしかるべきとは思います。ただこの欲望はある面人間関係のベースにあると言っても過言ではないと私は考えています。異性とのつきあいが得意な人は当然同性や年齢差を越えた人間関係も上手です。もちろん育った環境等によって対象として苦手意識のある人はいるでしょう。でもそういったことを克服する活力も持ち合わせていると思います。

ちょっと恋愛の話に偏りましたが、今回のテーマは“マルチタスクな人生のすすめ”です。マルチタスクというのはパソコンなどで複数のタスク(仕事、プロセス)を同時に立ち上げておいて切り替えながら実行していくことを言います。したがって人生もひとつのことだけを行うのではなく、いろんなことに人生を費やすことによってより充実して楽しい人生が送れますよという提案です。もちろん私はこれだけでいいという方に無理やりいろんなことをしましょうと促すつもりはありませんが・・・。

会社組織に不満があっていつもそういう意識で日々を過ごしている人は、まさにマルチタスクな人生にしていくことでそういった意識からの脱却を図ることができます。すなわち、会社での仕事は自分の人生の一部であって、あるいは一要素であって自分の人生の支柱は別にあるということが明確に分かれば精神的にとても楽になります。また会社人間、ひいては社畜となってしまうリスクから抜け出せることができるのです。私たちは社会の制度の中で生きているので、そこから抜け出すということは困難ですが、自分がコミットしたいことを複数持つということは可能です。ある人は仕事以外に家庭であったり、子どもであったりするわけです。ただ過剰にそこに依存するような状況になると家族をスポイルしてしまう可能性もあります。特に仕事で満足できない部分をそちらで穴埋めしようとするならば間違いなく問題がおきるはずです。仕事に対しての不満は仕事で解消することが大切です。仕事は家庭に持ち込まないなどという人がいますが、仕事や会社でのさまざまな出来事に不満がある人はその内容を仕事の分野で解消できなければ、家庭にその意識(思念)を持ちこんでしまいそれは家族に伝わってしまいます。

会社組織内で解消あるいは実現できる内容であれば、そこで頑張ればいいわけですし、そこでは実現は困難ということになれば、組織外でつくりあげていけばいいわけです。すなわち複数のタスクを楽しくこなせばいいのです。さらに会社での業務をこなしながらも自分の好きなタスク達成にその時間や思考を費やすということもできるのです。もちろん若くて元気のいい人なら仕事、恋愛、趣味などさまざまなタスクを楽しめばいいと思います。会社組織や上司、同僚、部下などへの不満がつねにあって、人生が楽しくないという人は、それだけに依存状態にあるひとです。タスクが多い人は嫌なことがあってもさほどダメージはないのです。なぜなら楽しいことがそれ以上に多かったりすれば嫌なことが意識に占める割合が少ないからです。

いつも忙しいと言っている人は実は忙しくない人です。嫌なことばかりやらされている(実際は自分で選んでやっているわけですが)人はやっていることが好きではないので時間も長く、自分の大切な時間を占有されているようで自分の時間がない、すなわち忙しいと感じるわけです。ホントに忙しい人はタスクがたくさんある人ですが、そういう人は楽しいことをたくさんしているので、忙しいという認識はなく、充実していると感じているはずです。

自分軸を確立していくためには、自分がどうなのかということを常にチェックすることをおススメしています。タスク自体が自分の意思、すなわちやりたくてやっていることなのか、やりたくなくて嫌々やらされているとおもっているのかで大きく違ってきます。結果もそうでしょうが、なによりやっている時間は自分の貴重な人生の時間であって、それらが後者の意識だとものすごくもったいないのです。少なくとも自分にとってメリットがあるタスクの遂行の仕方を考えるのがいいかと思います。たとえば、ある会議が全く無意味だと思うようなものであったとするならば、私は会議の参加者を調べて人脈づくりに活用します。会議の内容自体はどうでもいいわけです。そこに参加している彼(彼女)がどういった考えなのか、プレゼンのスキルは持ち合わせているのかとか・・・。まあこれは一例ですが、会社の業務という一側面だけで動いていてはとてももったいないのです。仕事(嫌な仕事であっても)を通じてなにか得ることができるものはないか探せば、仕事はすでに複数のタスクが実行されているということなのです。取引先に可愛い彼女がいて、うまくしとめたなんていう話を聞きますが、それも複数のタスクを同時にこなしていたということに他なりません。その人は彼女にあえるのが楽しくて仕事自体はモノにならなくても楽しく通っていたことでしょう。

会社人間、社畜からの脱却は物理的な要素以上に精神的なとらえ方が大きいのです。会社に生活の糧を依存しているという状況ではそれは無理と言われるかもしれませんが、逆に会社があることでもっと楽しいタスクも見つけられると意識転換すれば、見えてこなかったことがらも見えてきて楽しいタスクが増えていくのではないでしょうか?そうなれば人生さらに充実して楽しい時間をすごせるに違いありません。まず自分がやりたいこと、したいことを書き出してそのために自分の置かれた環境をどう利用するか、活用するか考えてみましょう。きっといままで嫌だと思っていたことがらまでも大きな利用価値のあるものに変わるかもしれませんよ。案外見ているのに見えてなかったものというのはたくさんあると思います。それこそセレンディピティ(掘り出し物)と言える価値を見出すことができれば人生、大逆転も夢ではありません。そのためにはいろんなことに関心をもって、中途半端でもいいのです。とにかくいろんなことをやって見なければ探すこともできません。理性などという小奇麗な言葉に惑わされず、本性のおもむくままに行動してみることも人生においてはとても意義深いものであると思います。

2013年11月11日月曜日

上手な年齢の重ね方①

最近は高齢社会ということで、世間話もメディアで取り上げられる話題も老後や介護の話が多くなってきました。それは若い世代にも大いに言えることです。なぜなら介護という問題は決して本人だけの話ではないからです。20代前半で結婚していた時代から、30代、40代で結婚ということになれば、当然その子どもたちは30代くらいからすでに親の介護という問題に直面する可能性も大きいのです。年をとるということは避けて通れないことですし、老いということに対する考え方、パラダイムを大きく変えていかなければならない時期に来ているのかもしれないと思います。

年齢を重ねて、体力的にも、さまざまな肉体的な限界などを感じるようになると、老いということを実感するようになりますし、若いころがよかったということをやたら口にするようになります。また若い頃に比べてとても歳月の流れが速いように感じます。10代20代はそれなりに長く感じていたのに、30過ぎてから40代はあっという間という感じになります。そして50代は40代が、60代は50代がというふうにもう10年若かったらと考えるようになってしまいます。

なぜ年齢を重ねるほど、時の流れが速く感じるのでしょうか?時間の流れは誰にとっても同じはずです。でもなぜか自分の人生においても違って感じるのは私だけでしょうか?年齢をとるほど時間の流れが速く感じるのは若い時に比べてからだの代謝機能が低下しているためだという話を聞いたことがあります。若いころはちょっと怪我をしてもすぐ治ってましたが、年齢をとるとなかなか治るのに時間がかかるものです。なぜ代謝機能が低下すると時間の流れを速く感じるのでしょうか?わかりやすく説明しますと細胞の生まれ変わりが若いころに比べて遅いから、相対的に時間は速く感じられるということなのです。つまり、細胞の生まれ変わりが若いころは1日に100回生まれ変わっていたのに、今は1日10回しか生まれ変わってないとするならば、相対的に若いころより時間が10倍速く感じてしまうという話です。ご理解いただけたでしょうか。

したがってアンチエイジング(という認識をし始めた時点で老いが始まっているかもしれませんが)にもっとも最適な方法は、代謝機能を高めるということが重要だとおわかりいただけたでしょうか?代謝機能が高いということは、細胞の生まれ変わりが活発であったり、全身の細胞が生き生きと活動している状態であると言えます。もちろん血圧も標準で脈も正常、からだも冷えてなくて温かいし、お通じもちゃんとあるという健康な状態です。ただ人間の老いというのは自然なものです。無理して50代なのに20代の肉体を取り戻したいとか欲を出すのは少々無理があります。瞬間風速的にそれに該当するようなパワーが出たとしても、若い時のようにその状態がある程度維持し続けられるものではありません。

アンチエイジングというより、老いの勾配をなだらかにするという健康法を取り入れたほうがずっとからだにも心にも負担なく続けられるのではないでしょうか。一念発起して、急に無理な運動を始めるとか、ダイエットしなきゃと食事制限をいきなりするというのはリスクがあると思います。まずは自分の性格や弱みをよく理解した上で、長続きすることを少しずつ始めるのがいいかと思います。ここではその健康法をお伝えすることが目的ではないので皆さんがよく考えて行っていただくようにお願いします。

老いというのは、今までできていたことができなくなったり、体力的にもずいぶんと落ちてきますから、とてもさびしい気持ちになったりします。でもそれは決して悪いことではありません。からだはもちろん心でさえ、使いすぎると休養が必要ですし、ある程度消耗すると、補充も利かなくなってきます。老いは次世代をより大きくするために必ず必要なのです。高齢でありながら若い人以上にパワフルだったら、若い人びとの芽を摘んでしまうことにもなりかねません。なぜならば時代の流れとともに価値観も大きく変わっていくからです。その大きな変化にはより若い世代のほうが柔軟に適応できるのだということは歴史が証明している通りです。年齢を重ねるということは次世代へバトンを渡して温かく見守る時期に入っていくということでもあるのです。

アンチエイジングというのが誰もが目標としなければならないものであるかのように、健康産業界はこぞって宣伝しますが、実際は老いに抵抗することよりも上手に老いて行くということがとても重要だと思います。20代くらいまではあまり若くいたいという意識はないと思いますが、30代をすぎて40、50代に移行すると若かったころを懐かしく感じてしまうのです。

「もう10年若かったらなあ~。」
「今あの年齢だったらもっとこうだったの・・・。」

とついつい思ってしまうことが多くなるのです。でもよく考えてください。今から10年経ったらおそらく今の時期を懐かしがっているに違いありません。ですから取り戻すことのできない若いころを思うのではなく、将来のことを考えて、今がいちばん輝いているときだと思えばいいのです。30代なら40代を、40代なら50代、50代なら60代を・・・というふうにです。そう考えると今自分の置かれている立場がものすごく可能性がありもっともっとできる年齢なのだということに気づくはずです。では80代、90代の人はもう10年後を考えられないかもしれません。いえ考えられます。人生たくさんがんばってゆっくりおやすみしている自分を考えてください。ですから、いま最高に輝いているのだからもうちょっと頑張ろうと思えばいいのです。そうすればゆっくりやすませてもらえるのです。

死は決して忌み嫌われるようなものではありません。ギリシアの哲人ソクラテスが死は睡眠のようなものでとても甘美なものであると以前にもお話ししました。私はよく講演会で、聴衆の方がたに質問をしました。寝るのが好きな人って聞くと、いつもほとんどの方がそうですとお答えになります。不眠症の方は寝れなくて苦しいのです。誰しも寝ることを嫌いな人はいないはずです。むしろ起きるのは一苦労という方はたくさんおられます。目覚ましをかけても、もう少し寝かせてと寝坊した経験があるのは私だけではないはずです。

したがって、死とちゃんと向き合うということは、今をちゃんと生きるということにつながってきます。ちゃんとからだと心が生き生きと過ごせてこそ、人生を有意義で最高のものにすることになり、最高の死も迎えることができるということだと思います。

若い人には若い人の魅力がありますし、年長者には年長者なりの魅力があふれています。要はそれを比較するのではなく、今の自分を最高に輝かせるということ、すなわちまず今の自分を受け入れて、今の自分のポテンシャル(潜在能力)を最大限引き出し、楽しく生きるということがたいせつであると思うのです。

2013年9月4日水曜日

健康管理は自己管理の第一歩

欧米では健康管理ができない人は自己管理ができない人として、まして会社の管理者としてもふさわしくないという風潮もあるとか。健康管理には精神管理と、肉体管理があるわけですが、もちろん前者ができないと当然後者に影響を及ぼすということは明確です。そういう面ではストレスをなるべく受けないようにするという、その考え方や行動はとても重要であると思います。その件に関しては過去ログでいろいろと記してあるので、ご関心がある方は読んでみてください。

ストレスはない、あるいはストレス耐性は高いと思い込んでいても、実際は結構ストレスがたまっていたりします。それは自分では認識できないような場合も多いと思うのです。私はかなり自分が嫌なこと、やりたくないことははっきりとやらないタイプではあるのですが、実際は環境的にストレスは知らないうちにたまっていたりするのを感じます。あまり正確に測れるものではないのですが、気楽にやってみたストレスチェックでストレスは88%でした。もっと気楽にやりましょうとアドバイスが……。気楽に適当にと推進している当の本人がこんな結果ではお話になりません。

ストレスの影響や食生活等の不摂生からか、最近は尿路結石に、緑内障の疑いといろいろと検査で病院、会社、出張となんだか充実してきた最近の生活……。とにかく健康だけは過信せず、健康診断や何か問題があったら、やはり躊躇せず専門家にゆだねる気持ちも重要です。自然療法で治癒させるんだと手遅れになったケースも何件か知っているだけに無理をしないことも大切かなと思うわけです。ちなみに緑内障は最近眼圧が高くなくても起こるということがわかってきているようです。幸いなことに私はたまたま素晴らしい眼科医に出会えたのでよかったのかなと思います。

医師との関係もなんでもぶっちゃけで言えて、はっきりとまた指摘してくれる関係が築けるといいのかなと思います。病気になるといういことは、えっ、なんで私がとショックなこともありますが、それが発見できて、自分のからだに対して少しでもわかることが増えるということは決して悪いことではありません。病気は生活を見直すきっかけを与えてくれますし、そのときの気持ちを忘れずに生活するということはとても大切なことです。人間は誰しもどうしてもラクなほうに行ってしまいがちです。歯磨きを一生懸命するのも虫歯を治療したあとの数か月まで、不摂生な食事を改めて、自然な食事を心がけるのも病気で寝込んだあと数か月程度。とにかく人間って喉元過ぎればって感じでそのときの苦しみや痛みを忘れてしまうのです。

元の生活に戻っていることを認識して、罪悪感を感じつつも、なかなかからだにいいことは始められなければ、続けることもなかなかできないものです。罪を犯した人が留置場で規則正しい生活と食生活で健康になって、からだが健康になることで、心も正されるということで更生するのに環境はとても大切だと思います。ただ出所してまたもとの不健全な生活に戻ると結局再犯してしまうのかもしれません。ということでホントに経済的にもゆとりがあれば、自分が完全に健康になれる環境に自分を置いて管理してもらいたい気にもなります。

人間は努力することはなかなかできません。勉強も社会的な成長も環境に大きく左右されます。それなりの進学校に行けば、落ちこぼれて脱落しない限り、それなりの学校に入学できるでしょう。周りが成長志向だと自分も成長できます。アメリカに行ってしまえば英語はペラペラになれます。とにかく健康も環境がとても大切です。ヘビースモーカーはヘビースモーカーで集まり、アル中の人はアル中仲間ができます。

まず自分でなりたい自分というのを考えて、そうなりたいと思ったら、そうなれる環境に自分を置くことがとても重要です。環境的な与件を一切無視して一人、こういうふうになりたいと思ってもなかなか実現できません。努力するなら、そのもの自体を努力する以上に努力しやすい環境づくりを努力してすることが最も近道であると思います。もちろん病院や薬に対して賛否両論あることは事実です。やたら検査してくださいと粘り強く患者に向き合うのを、病院側の商売、営業と考えるか、素直になってありがたいと思うかもとらえ方で大きく違ってきます。

とにかく一歩踏み出せない場合、何かをきっかけに自分が変われる環境に身を置いてみることはたいへん意義ある選択であると思います。安住の地にずっととどまっていることが自分にとって必ずしもいいことであるのかどうかはシビアに見つめなおす必要もあるようです。いずれにせよ、健康においても何においてもそれを実現するのにもっとも近い方法を考え抜いてそれを勇気をもって踏み出すことを考えたいものです。なぜならその安住の地は自分を完全にスポイルする環境であるかもしれないからです。

2013年8月22日木曜日

組織風土と病気の関係

ある会社の元社長が癌になって余命3ヶ月と宣告されたという話を最近聞きました。大腸癌で手術はとりあえず成功したようですが、すでに肺にも転移しているとのことでなかなか状況はきびしいのではと思います。

その会社は現在はないのですが、20名くらいの小規模の会社でその当時、社員がどんどん癌になり亡くなっていくということで業界では知られていました。癌になった人は6人、そのうち2人が亡くなっています。亡くなられた2人はとてもいい人で、ひとりは私と同い年で胃がんでした。 

ついに元社長がそういう病気になったということは不幸なことではあるのですが、なにか因縁めいたものを感じざるをえません。なぜその会社はあんなに癌になる人が多かったのでしょうか。私は当時からその会社の組織風土に問題があるとずっと見ていました。その当時、私の講演を聞かれた元社長が講演終了後、私にあなたの講演は何が言いたいのかわからないと言ったことがとても印象に残っていて、いまだに鮮明に覚えています。その社長もあまり定性的な感覚はなく、とても頭の固いイメージで、役員連中にはペコペコで下には結構ガミガミのタイプでした。もちろん私はその会社の社員ではないので被害を受けたことはありませんが、こういう組織風土というのが理解できない人もいるのだと実感したわけです。
 
そして元社長の会社は権威主義的人格の人が多く、権威には絶対服従でそうとう抑圧された精神構造の人が多かったですし、とにかく真面目で完璧主義、カマトトっぽい人も多く、下ネタにはまったく反応できないし、冗談も通じないアソビのない人びとが多かった組織であったのです。まあ類は類を呼ぶというのが実際に表れたような人びとの集まりでした。
 
権威主義的で抑圧された組織風土の中の社員は目に見えないストレスで充満し、その結果癌という病気になりやすいのではないかと思います。組織風土と病気に相関について研究すればそれはとても面白い研究になるのではと思いますが、何分ネガティヴな研究になるので、企業自体がそういったデータを出さない可能性が高いと思います。

ちなみにブラック企業と言われている企業の社員たちはどうなんでしょう?うつになる人は一般的にかなりの数に上るようですし、それに付随して自殺者などはなかなか自殺の原因を企業やその経営者の責任にすることがなかなか困難な状況ではないかと思います。でも今後勤務内容と同時に組織風土なども含めて人材管理の中には精神面の管理が不可欠であると思います。 

いずれにせよ、一つの組織を率いている経営者は組織の長として、どんどん社員が倒れていくのを何ら問題に思わず、平気でいるというのは全く理解できないことです。どこに問題があるのか、自分で勝手に判断するのでなく、第三者である専門家に相談すべきです。病気や精神疾患を個人の問題として決めつけないで、企業として経営者として、上司として対処すべきであると言いたいわけです。 

少なくとも社内のストレス環境など問題があるのではないかと考えてみるべきです。経営者は自分の会社の社員は自分のこども、家族同様に考えるべきだと思いますが、雇われ経営者でオーナーシップがとれない会社であったり、経営者自身がサイコパスのような人格になってしまっているという観点では社員の病気などは、他人事に過ぎないという人が多いのです。

その元社長も癌になったことをただ病気として治そうというのでなく、その意味合いを痛感してほしい気がします。もし病気が神様が与えるものだとするならば、なにか悟るべきことがらがあるはずです。それを考えないとしたら、癌になった意味が生かされません。
 
ただもともと悟れないような人だからその会社の雇われ社長としていたのかもしれません。悟れるような人であれば、社員があまりに倒れていくならばどこに問題があるのかと真剣に考え、組織風土(人間関係も含め)や勤務状況を変えていったことでしょう。 

まここらへんにしておきます。あまり解釈しすぎるとオカルトっぽくなるので。

いずれにせよ、経営者や人の上に立つ人は人を追い込んだりいじめるのはやるべきではないと思います。フロイトやユングによると人間は受け入れがたいことがらは自分の無意識に閉じ込めて抑圧された状態にして普段の意識には出てこないようです。ただそれが表れるのは催眠術をかけたときで、覚醒されると一切それらは覚えていないということのようです。社員に催眠術を施しその無意識に抑圧されたことがらを引き出してみると上位者に対する怨みつらみが出てくるかもしれません。よくわら人形なんてありますが、あまりに多くの人に怨まれるとその意識が具体的に対象物に顕在化するのではと思ったりします。祈りの力なんてのもそういうことかも知れません。思い続ければ必ず実現するといったことも同じような精神世界の内容が現実世界に顕在化するといった内容なのかも知れません。
 
経営者であるということ、組織のトップに立つということは、ある面組織の成員の命も預かっている、その家族までも責任をもたなければならないのだということを肝に銘じ、逆に不幸な状態がどんどん起きるようなことがあるならば、早期に問題発見、問題抽出をして問題解決に取り組むべきです。人を預かる立場である重大性を認識できず、気楽に考えていると間接的な殺人を犯しているかもしれないということをしってもらいたいものです。そういう認識すらできない人は経営者や組織のトップに立つべきではないと思うのです。

2013年7月6日土曜日

負のエネルギーをうまく活用する方法

人生、生きていく中でさまざまな体験をします。もちろん喜怒哀楽、さまざまな心情を感じていくわけですが、なかなか怒りや怨みの情だけはなかなかコントロールが難しいものです。「金持ち喧嘩せず」というのは色んな意味合いがあるでしょうが、基本的にいい人生を送っているなと感じる方々は比較的穏やかでジェントルな方が多いような気がします。

PSIでは金持ちになること、成功することを別に奨励はしていませんが、人生豊かに楽しく有意義な過ごし方ができると幸せをたくさん感じることができると思います。そのためにはやはり感情のコントロールというのはとても重要で、それができなければ成功することはもちろんのこと、人生を謳歌することはとても困難であると思います。うまくいっている経営者の中には、あまり神経質でいつもイライラして殺気立っているような人は見たことがありません。もしそういう人が経営者であったらその企業はブラック企業に選定されているかもしれません。

できる人というのは熱い志を持ちながらも、感情はコントロールし、自分の目標に対してつねに前向きで努力しつづけることができる人だと思います。優良企業の経営者の人びとを見てみると、比較的人当たりもよく穏やかでありながら、胸に秘めた燃える思いというものがひしひしと伝わってきます。そして経営においてもっとも効率的なアプローチをすることができる人です。それは業務もそうですし、組織を形成している社員に対してもそうです。優秀な経営者というのは会社の誰よりも学んでいる人で、新しいことにもっとも好奇心があって誰よりも意欲的である人だと思います。そして社員に対して最高のパフォーマンスが上がるようにうまくアプローチできる人です。間違えても自分が正しいと怒鳴ったり、大人気なく社員や部下と喧嘩したりということはまずありません。

反対にできる社員や部下というのも上司に対してうまく動かすコツをわきまえている人です。もちろん情熱的に訴えてぶつかったりすることもあるかもしれません。でもある程度のところで上司のレベルを見抜いてどう対処するかという対応策が頭の中にあって行動できることが重要です。もちろんダメ上司でどう考えてもその上司の下で働くメリットがないことが明確ならば、転職や独立、起業といったことも考えることができるのができる人です。感情的に行動し、扱いにくい部下だと上司や経営者からレッテルを貼られてしまうのは自分にとってまったくメリットはありません。

経営者や上司は組織という観点ではやはり権威ある立場なのです。自分ひとりがどんなに訴えたところで、社内のだれも自分と同調する人がいなかったならば、出る杭ではなく、ただのわがまま坊主に映るだけです。部下や社員の立場でより上位者に訴えそれを聞き入れてもらうためには、まず自分の同僚以下、そして上位者の中でも自分を後押ししてくれる社内的人脈ができていなければならないわけです。たとえば上司にある提案をするとき、上司がより理解できるかたちで話をすることも重要ですし、その時点で上司以外は全員が自分の意見とコンセンサスを得ているという暗黙の了解もあれば最高です。

社内である程度、模範的な言動ができ、なおかつつねに学習していて周囲がついてくるぐらいの人間力を発揮しながら、より上位者のレベルも理解した上で意見ができなければ、社内で浮いてしまう可能性もあります。逆に経営者や上司の立場にある人は何でも自分の思うようにいっていると思って社員が納得しないことも要求し続けていると間違いなく裸の王様になることは間違いなしです。部下がやたら自分のことをほめて、自分に対する意見や新しいアイディアなどの提案がなくなっているとすれば、もう完全に上司、経営者としては部下や社員は見限っているということであると認識すべきです。すなわち、ジジ殺し、褒め殺しの状態まで言ってて、最悪のときには裏切られてしまうケースです。部下がやたら自分にとって心地いいことしか言わない状況になっている時点で早く気づくことが重要です。

とにかく感情をコントロールできない人は絶対に大成しません。それは社会的地位という以前に人間として、人格的にも幼いレベルにとどまっていると考えてよいでしょう。ものすごいワンマンで独裁者の経営者で存在できている会社があれば、それはすでに超権威主義を許容しているカルトチックな組織になっているはずです。ブラック企業に上げられている企業にもそういった組織の企業があるかもしれません。会社には社是や社訓が掲げてある程度ならいいのですが、創立者の写真などが掲げてある会社はひとつの宗教になっています。

話がそれましたが、とにかく感情をコントロールできる人格、言動を養っていかなければなりません。感情的な人は見方を変えれば情熱的でやる気のある人です。ある面会社でいつもネガティヴ発言で、「どうせ~」とか「やっぱり~」から始まったり、「でも」「そうは言っても」といった逆接の言葉が多い人は、すでに学習性無力感から意欲さえ失っていたりします。そういう人はもう何をやるにも意欲が足りなかったりつねに言い訳ばかりが口に出るようになっています。感情的な人は感情のコントロールさえできればまだ可能性があります。

会社をはじめ、人間によって形成されるあらゆる組織にはさまざまな人間関係があります。自分と相性が合う人しかいないという組織は稀です。もしそういう人がいるとしたならば相当人間的器の広い方だと思います。むしろ組織の中には許せないとかムカつくとかウザイといった人が必ずいるはずです。でそういった人にその気持ちをいつも持ち続けているのは精神衛生上よくありません。それでそれを解消する方法はそういったことにかかわっていられないくらいの自分の目標を持つということが重要です。そしてそれを達成することが、ストレスの原因になっている人びとを見返すことにもつながれば尚更です。ムカついたり、カッとくる負のパワーを、よし見ておれ、必ず見返してやると自分の目標を達成するための正のエネルギーに全面的に転化させるのです。それが普段の生活の中でスムーズにできるようになれば、人生の時間を無駄に使わないで済むことになるはずです。

自分の人生は会社のため、まして会社のダメな人びとのためにあるわけではないのです。その人たちのレベルの低い人格のゆえに自分の感情や心情、そして貴重な時間や行動までも無駄にする必要はないのです。困った人が助けを求めてきてそれに心情や行動、時間を割くことはとても意義深く、いずれ自分にいいかたちで返ってきます。でも自分が勝手に自分を苦しめる感情を持つことはとてももったいないことなのです。少しでも早く負のエネルギーは正のエネルギーに転化して人生の意義あることに活用していきましょう。私たちの人生は自分の人生を有意義に生きることと社会的に意義ある人生にしていくことが大切ではないかと思うのです。

2013年6月12日水曜日

人間って死んだらどうなるの?②

生の問題同様、死に対する問題は人間にとってはとても大きなテーマです。ただ生とは何か、死とは何かという問題は万人が納得できる答えというものはありません。哲学や宗教の分野で扱われていてもそれらの主義主張、思想、教理というものはひとつの考え方として、あるいは信仰的な観点で依存の対象としてあるだけで、決して一般化できるものではないと考えられます。なぜなら、誰もが納得する結論が出ないからです。

そう考えると、半ば生や死に関して論じることはとてもナンセンスな気持ちにもなってしまうのです。世の中では不確定なことがらには言及せず、今を生きる上で必要な営みを毎日、瞬間瞬間繰り返しているだけで、またそれに集中している以上はそういった人間の本質的な問題を意識しなくていいので、ストレスなく悩むことなく生きていけるのです。でも身内や友人の死に直面したときにはどうしても死という問題に向き合わなければなりません。

実際問題として、人生を生きるということは、人間の本質に対して知りたいという欲求を半ば覆い隠して生きるようなもので、どうしても人生という刹那的な時間をただ楽しく有意義(意義あると決めて)に暮らすということにつきるのかもしれません。若ければ死はまだまだ先の話と考えて生きてもなんら不安も恐怖心も実感としてないかもしれません。でも今実際、高齢で死というものが現実問題としてふりかかってくるとか、若くても悩んで自殺願望があったりする人にとっては先送りできない問題です。

ここで死に対して、不安や恐怖心を抱いている人にちょっとラクになれる話をします。ギリシヤの哲人ソクラテスは死は睡眠のようなものであるとしたら、死とはとても甘美なものであると言っています。みなさんは基本的に健康であるなら毎日睡眠をとっておられることと思います。以前よく健康関連の講演をしたとき、睡眠、寝ることがきらいな人はいますかと質問したところ、ひとりもきらいな人はいませんでした。朝起きるのが苦手で、もうちょっと寝かせてえなんてことがあるくらいです。

それで寝るということがきらいな人はひとりもいないわけですから、もういつでも死を迎える準備はできてますよなんて笑いを誘うネタにしたりしていたわけです。実はそう考えると人間は人生のなかで生死を繰り返しているとも考えられます。朝起きるときは生まれるということですし、夜疲れて寝るときは肉体的活動を休めるということで死を迎えるようなものです。もちろん心臓や副交感神経は動いているわけですが、(これが止まるとホントの死です)意識としては無の境地、すなわち自分という存在がなくなる状態になるわけです。

でも夢を見たりします。では夢というのはなんなんだと言われれば、それは潜在意識がフローしてきたもの、あるいは死後の世界につながっていて霊的な世界に心はつながっているからという人もいます。とりあえずここでは夢の話は置いておきます。ただここで言えることは人間には精神世界といえるもの、すなわち物質という観点では説明がつかないようなイシューがあるのだということです。脳科学の分野とかでさまざま研究はされていますが、やはり脳の機能という観点だけでは説明はできないのだと思います。

人生は生老病死という苦しみがあると仏教では解きます。キリスト教では堕落によって罪人になったがゆえに無知になって真理がわからない、それゆえに人は生死に対しても無知なのだそうです。
それゆえさまざまな宗教が死生観に対しては明確に決めてあり、信者はそれを信じることでそれらの不安をすべてとりのぞくことができているのです。それは死に対する恐怖からの解放であり、人生における苦痛の除去にほかなりません。私もいくつかの宗教の話を聞いて共感し、死生観といいうものがある程度固定されていたことでたいへん精神的にはラクに生きてくることができました。

宗教が麻薬(アヘン)であるという話はあながち間違ってはいないと考えられます。なぜなら死生観を明確にすることで人生の痛みを除去することができるのです。そしてその死生観が正しいかどうかなんていうことは極端な話、どうでもいいのです。なぜなら死んでからわかることなので死んだあと、間違っていたぞなんてクレームを言ってくる人はひとりもいないからです。したがって宗教のどの教理が正しいとか間違っているとか、輪廻があるとかないとか、霊界があるとかないとかすべては論じること自体があまり意味を持たないと思います。なぜならだれも立証できないからです。要は一人ひとりが自分でもっともそうだと思うものを信じて人生においてそれがとても有効な役割をしてくれるのならばそれでいいと思うのです。

ここで断っておきますが、私は決して宗教への入信をおすすめしているわけではありません。もうすでに宗教をお持ちの方はそれで納得されていれば、それはそれでいいのではないでしょうかという話です。ただ宗教もいろいろあるので、テロや反社会的活動がある宗教、すなわちカルトのような宗教は、結果的に自分の含め周囲の人びとを巻き込んでとんでもない人生を棒に振るようになってしまうので注意してほしいところです。社会的に安全な宗教はある面、国の法律や枠組みを大きく逸脱するような思想や活動はありません。また個人の生活が脅かされたり、人がものすごく変わるような洗脳も行われません。カルトの恐ろしいところは死という不確定なものをあまりに明確に描き上げ、それをネタに法外な金銭の要求をしたり、反社会的な活動へと駆り立てていくという危険性をはらんでいます。そして具体的に実現不可能と思われるようなことを具体的にやっていこうという実現主義とでも言ったらいいのか、そういうところに希望を感じて多くの信者を扇動していくのです。そして自分たちがすべて正しくて、世界の中心だくらいにすり込まれて社会一般の通常の価値観とはかけ離れた思考に陥りますので気を付けることが大切です。

とりあえず、日本は信教の自由が憲法でうたってあり、あらゆる宗教が存在し、心の拠り所として信仰をすることは精神安定上、有益な部分がたくさんあります。ホテルに泊まるとよく聖書や仏教書が置いてあるのも心のケアにそういったものが有効だからでしょう。刑務所でそういった書を手にして更生されるというのもあります。宗教は世界的にはさまざまな国々で紛争の火種となっているのも事実ですが、人類の心の平安を与えてくれているということも事実であると思います。今は私は無宗教な立場ですが、死ぬときはとりあえず実家が檀家になっているお寺のお世話になるか、あるいは最近は公共の墓地は無宗教の人も多いようで、そうなるかはわかりません。私自身は葬式や法事、また宗教というのは生きている人びとに必要なものという認識であるので、それは成り行きに任せたいと思っています。

とりあえず宗教の話はこれくらいにして、ここである程度の結論とまでいかなくても、方向性を出したいのは死というもの、死後の世界というものは一体あるのかないのか、どうとらえればいいのかということです。宗教的な観点でのとらえ方は個人個人に任せて、ここでは科学的に立証できないまでもせめて論理的に納得できるくらいの基準での話にしたいなとは思っています。もちろんそれをどうとらえるかも個人個人の話ですし、最初に漫談風味の話と前提してあるので、あまりムキになってケンカ腰で議論を交わすつもりもありません。おぼろげにそうなのかなあくらいに受け止めてもらえて人生、またがんばる気持ちになれたと言っていただけたらいいかと考えています。次回に尾のレベルを目指したいと思います。



2013年6月1日土曜日

人間って死んだらどうなるの?①

今日はいつもと趣向を変えて漫談テイストな話をしてみたいと思います。いつもPSIブログを愛読してくださっている方々はちょっとビックリされるかもしれません。えっ、いままでさんざん会社経営だの組織だの、教育だの、はたまた真面目に人生観を論じてきたのに、ここに来てオカルトですかなんて愕然とされるかもしれません。あるいはカルトチックなことをやたら批判してきたのにそんな不確定なことを言ってしまったら宗教、あるいは内容によってはカルトじゃないですかと言われるかもしれません。もちろん私は不確定なことは絶対に断言しません。もちろん宗教的な理由から信じておられる方を批判するつもりもありません。

真面目でかつ、ちょっとうんちくのあるような話をしたいと思うのですが、いずれにせよ人間として生まれたからには絶対避けて通れないのが「死」の問題です。そもそもこの死の問題に関しては誰しも普段の中であまり話題にしません。でもみんなが一度はおそらく考えたり、悩んだりしたことはあると思います。私はそもそも小学校低学年のときにおばあちゃんに可愛がられて育ったことも原因かもしれませんが、とても死に対していろいろ悩んだことがあります。2歳のとき、曽祖父が亡くなりそのことも覚えているのですが、やがて可愛がってくれる祖母との別れもいつも考えながら過ごしていました。

もともと死んだあとは無になる、死後の世界などというものは、ハナから信じなかった私は夕暮れ時になるとよくうつ状態に陥り、ひとり夕日を見ながら涙を流していました。なぜかと言うと死によって自分という存在がなくなるというどうにもやりきれない思いと恐怖心からです。でも死んだらどうなるのとは親には一切相談できませんでした。なぜなら答えが出ない質問であることを知っていたからです。祖母はそんな私をみてどうして泣いているのかと声をかけるのですが、絶対にその胸のうちを明かすことはできませんでした。

今回、死をテーマに選んだのは、私の中にいずれ触れなければならないテーマのひとつという考えがいつもあったからです。そしてそのテーマ自体があまりに重いのです。ですからそれは精神的にホントに落ち着いているときでなければ、なかなか書けないものです。でも今日たまたまそういう心境にいたって今キーボードを叩いているわけです。

年間日本では3万人の方々が自殺という人生の終わり方を選択しています。その理由を簡単に経済問題だとか、病気、人間関係だとかいろいろ言われはしますが、ホントの理由は本人しかわかりません。おそらく死をもってしか解決できないという状況に追い込まれたということは言えるのではないかと思います。日本は物質的にはかなり豊かになって、どんなに悲惨な状況になっても生活保護もありますし、なんとか生きていける国です。でも豊かであるがゆえに、物質的な問題ではない精神的な悩みが多くなっています。まさにマズローの欲求5階層説でも指摘されるように、すでに日本人はより内的な、本質的な問題で悩む時代になっています。

普段、死の問題を気にしながら生活している人は熱心に宗教をしている人くらいしかいないでしょう。ところで日本の宗教人口はゆうに2億人を超えているようです。日本の人口の2倍になるというわけです。それは考えれば納得できます。日本人は育った近くの神社の氏子として登録されていて、なお仏教の檀家にもなっていたりするわけです。そして学生時代や成人して、へんな宗教(失礼)に引っかかればひとりが3つも宗教法人に登録されていたりするわけです。宗教もころころ変わったりすれば、もっと多いかもしれません。いちいち脱会でもしない限り除名されることはなかったりしますから。私も学生時代や若いころに誘われて入会してしまった宗教を入れればもしかしたら4~5つくらい宗教をもっていることになっているかもしれません。もちろん今は特定の宗教には属していない状況です。

宗教は実際の信徒数より多い数になっていてあたりまえと考えるべきです。もし信徒数によって固定資産税みたいに税金がかかるようになれば、宗教は実際の信徒数をもっと正確に把握しようとするかもしれません。ただカルトチックな宗教ほど虚勢を張るので実際の信徒数より大きな数の信者が所属しているようになっているはずです。日本には国教というものもありませんから、宗教の数は増えるいっぽうです。でなぜ日本はカルト宗教が増えたりそれに入る人があとを立たないかといえば、やはり国教がないということと普段の生活が宗教意識とほど遠いため、逆に入りやすいのだと思います。ロシアで某カルト教団が大きな基盤をつくったのも共産主義というひとつの思想が崩壊してそのぽっかり空いたところにたまたまその教団の思想が入っていったということを言う人がいます。日本は雑多な宗教がある反面、ホントの意味で宗教をもっている人がいないという状況なのでカルトな思想が入り込みやすいのです。

国教があったり、宗教がベースとなっている国々は、すでに国民全体が共通した死生観というものを共有しています。でも日本人はさまざまです。それはすばらしいことなのですが、宗教がない事によるカルト宗教の餌食になりやすいというリスクも抱えています。だからと言って国教つくれとか言うつもりもないですし、何かここで宗教を立ち上げようというわけでもありません。PSIのコンセプトは不確定なことは断定、言及しないということなので。ただこの問題に関しては絶対避けて通れませんし、そのことを回避しての人生の喜びというのはホントの意味で深みがないと思います。したがっていずれ取り扱わなければならないテーマなのです。

なにか漫談テイストな話にしようと思いつつ、やはり真面目で深刻な話になってしまいますね。とりあえず重いテーマなので今日はこの辺にしておきます。

2013年5月14日火曜日

健康は自分を過信せずに疑心暗鬼でちょうどいい!

つい最近、女優の天海祐希さんが軽い心筋梗塞で舞台を降板されました。結構40代50代でもあるいは半ば年齢に関係なくそういった病気になってしまうことを聞きます。現在のそういった病気と言っていいのか、症状はいついかなるときに起きるかわかりません。予想がつくようなものならば、ある程度予防もできるのですが、そういうわけでもないようです。

もちろん目に見えて不摂生をしている人は当然そういったリスクは高いでしょうが、全くそういう予兆もなくとても元気そうに見える人が急にそういう症状になるとホントにビックリしてしまいます。平成8年度から厚労省(当時は厚生省)が成人病とは呼ばずに「生活習慣病」と呼ぶと定めてそういう疾患は全く減る気配がありません。やはり人間って努力することはなかなか難しいのでしょう。どうしてもラクなほうに流されてしまいます。煙草やアルコールといったこともなかなかやめるのはたいへんです。挙句の果てには、どうせ死ぬなら浴びるほど飲んでなんて悪態つく人も出てきます。

昔の病気は結核や肺炎など感染症による病気が多かったのですが、今は人にうつらない病気、すなわち自分が自分の体を管理しきれずに起こってしまう病気なのです。癌が死因のトップですが、心臓疾患、脳疾患と自分が自分で守るしかない病気ばかりです。生活習慣にその病気の原因があるというのですが、具体的には食生活や運動不足、そしてストレスが原因と言われています。この中でいちばん重要なのはやはりストレスであると思います。なぜならからだの問題はそのベースとなる心の部分が大きく影響しているからです。

心が楽しくなければ、運動する気力さえ起こりません。またストレスが多いと食生活も乱れてきます。どうしてもアルコールの量が増えたり、煙草の本数が増えたりします。私は煙草は吸ったことがないのでよく分かりませんが、やはりストレスがあると吸うことで落ち着くようです。ではストレスはどういうときに最も多く感じるのでしょうか。それは忙しくてたいへんなときでしょうか、あるいは逆にやることがないけど時間を過ごさないといけないというときでしょうか。私の経験上から申し上げると間違いなく後者のほうです。実際、多くの年長者の方にお会いするとストレスが多い方は一人暮らしであまり外出しない人です。逆に元気な人は家にじっとしていないで、たくさんの友だちと会ったり趣味を満喫している人です。

会社でも要職についていて寝る間も惜しんで仕事をしていた人がそのポストを外れたり、引退したりすると一気に老け込むという話があります。ラクな仕事は決してラクではなくて精神的に負担を与えたりします。そのことに気づかない自分がいるとしたらそれほど恐ろしいことはありません。いつも心配ばかりする神経症や強迫症のような思考を持つことはもちろんいいわけはありませんが、自分はストレスはまったくないと思い込んでいるのも致命的だなと思うのです。

職場はすべての人が自分と気のあった仲間で居心地がいいということはまずないはずです。やはり自分が気づかないところでさりげなく神経を使っていたりすることが往々にしてあるのです。大丈夫なようでも知らずのうちに神経が過敏になっているようなシチュエーションが会社や職場にはたくさんあります。自分の心と同時に職場環境などもよく俯瞰したり、客観視してなるべくストレスを減らす工夫をすることが重要かと思います。結論から申しますと自分に過信する人はリスクが大きいのです。仕事ができて健康も自信があるという人こそ、今一度自分を見直し、疑心暗鬼なくらいに心とからだをいたわる時間をもったりすることが必要かと思います。

2013年5月7日火曜日

GWも終わっていつもの日常

今日はゴールデンウィークが終わって最初の出勤日という人がほとんどではないでしょうか。今回の長期休暇は皆さんはいかがお過ごしだったでしょうか。どうしても休みが長く続くと普段の生活のリズムを取り戻すのに苦労してしまうというのが実際のところではないでしょうか。

楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまうもので、ファンタジーの世界からいきなり現実へと引き戻される残酷さも感じざるをえません。でも仕事が大好きで、仕事自体が非現実的な楽しみの中にある人は休むという概念すらないかもしれません。誰しもそういう生活は希望するのでしょうが、現実そうは行きません。趣味が仕事になった人も、そこにノルマやプレッシャーがかかるようになるともともと好きだったこともホントに仕事と化して面白みがなくなるなんてこともあります。趣味はずっと続けるためには仕事にしないという方法もありますが、趣味が実益を兼ねればこれほどラッキーなことはありません。

逆に仕事を趣味化できればこれほど面白いことはありません。ただ問題は、仕事が趣味になった人、さらに言えば仕事しか関心がない仕事人間というのは、それはそれで周囲はひいていたりします。会社に実績にしか関心がない上司のもとで働くということを考えてみてください。いっしょに飲みに行ってもいつの間にか仕事の話でひとり熱く語りはじめる、こういう上司や同僚はどうですか。もちろんご意見はさまざまあるでしょうが、私的には面白くない人に見えてしまいます。オンとオフと使い分けれない人、あるいは家庭やプライベートではあまり必要とされていないのかななんて憶測ではありますがそう判断してしまいます。

仕事一辺倒で熱く語る人は語りまくるあまり周囲が見えていないケースが往々としてあります。こういう人はワーカホリックに近い状態だと、とにかく部下や他の同僚の状況は見えていないので彼らから徐々に距離を置かれたりします。今企業でもうつという診断される人びとが増えていますが、特に休み明けの日は要注意です。ブルーマンデイ(月曜病)とかサザエさん症候群、笑点症候群なるものがありますが、普段の日常生活が結構大変なほど休み明けの現実に引き戻される日は拒否したいという気持ちが起こってきます。

特に営業系で上からのノルマや目標が高くプレッシャーの多いような職場は精神的にたいへんかもしれません。できる上司はどういうアプローチがいいのか。休み明けの会社の朝礼ではファンタジーの世界から現実に引き戻す儀式?に匹敵するかもしれませんが、その際、ソフトランディングにするかハードランディングにするかは朝礼を担当する経営者、上司の話ひとつにかかっています。前者の場合はスムーズに業務の遂行につながりますが、後者の場合は消化不良気味なカタチで業務に突入という感じでしょうか。

こういう話をすると、旧い価値観の人びとは、会社は学校じゃないとか、仕事はお遊びじゃないなんて言い出す人も結構いるでしょう。でもその管理手法のおかげで会社は多くの精神疾患の病人を出すに至っています。センスのある人なら、朝礼の場で、あるいは職場の昼休みとかには休みはどうだったかとか聞いて楽しかった思い出話を傾聴するくらいの心のゆとりは欲しいところです。みなさんの職場はどうですか。ひさびさの会社はどうでしょう。シーンとして会話のない職場になっていないですか。

PSIとしては自分軸ということを主軸に据えています。仕事も趣味もプライベートも自分の意思を中心として楽しみながら過ごしたいものです。また変わらない日常の中にファンタジックな楽しい時間を埋め込みながら、ストレスをためず人生のかけがえのない時間をエンジョイしてまいりましょう。そのためにも短期の楽しみと同時に、より長いスパン、すなわち人生をかけてやり遂げたいことも目標に据えてそれもひとつひとつ積み上げていく楽しみも持ちながら生活するととても有意義です。

人間は忙しいほど、悩みは減っていきます。忙しい、忙しいと言っている人ほどそう大して忙しくなかったりします。ホントに忙しい人は、充実していると言います。精神疾患になりやすい環境はやることが少なく、考える時間が多いということです。それで私としては自分に短期、中期、長期、人生というスパンでにいろいろ課題を課してやっています。そしてその課題はすべて人生の目標に集約されるようにプログラムするのです。仕事でも趣味でも、また学業やプライベートでもそういうふうにしていくととても充実した人生設計になって生き生き人生を送ることが可能です。

2013年5月1日水曜日

悪戦苦闘、効率の上がる学習法

年齢を重ねても、意欲的な人は学習意欲は落ちないと思う今日この頃ですが、みなさんはいかがでしょう。通勤電車の中でラッシュにも関わらず、本を開いて読んでいるサラリーマンやOLの人を見ているととても頑張ってるなと感じてしまいます。

それで私も殺人的なラッシュ時以外は通勤の時間は読書や学習の時間に充てているのですが、これはとても人生の有効活用といった面ではとてもおススメです。私はもともとじっと座って読書というのはできないというか苦手なタイプでして、やはり通勤時間は最高の時間です。以前は出張の新幹線、飛行機なども、そういった面ではかなり有効利用させていただきました。

あとはラッシュでも学習する方法としては、MP3プレイヤーなどにさまざまな講演、学習の音声データを仕込ませて、それを聞きながらというのがあります。ギュウギュウ詰めの電車に揺られて脳は活性化という時間もなかなかオツなものです。以前出張が多かったときはDVDなども使ったのですが、どうも乗り物に揺られている状況で映像を見続けるというのは私は苦手で頭痛が始まる感じを受けます。電車の中でゲームやテレビなど映像を見ている人はすごいなと思ってしまいます。

年齢を重ねても、いや年齢を重ねるほど学習していかなければ、自分より若い世代には置いて行かれてしまいます。若い人たちの関心事に無関心になるのでなく、ちょっと関心を持ってみることも新しい世界が開けていいのかなと思います。テレビでおなじみの獨協大学の森永教授はそういった面では最先端の年長者なのかもしれません。最強の組織は組織の成員がやはり学習する組織という話を考えると、やはり社内に学習の雰囲気があまり感じられない会社は、もう成熟しきっているのか、発展シロがないから新しいものを取り入れる意欲がないのか……。いずれにせよ、そういう会社ならなおさら学習して自己の成長を促す行動に出たいものです。

最近は社会人や主婦も大学、大学院へと通うようになったり、資格をとるために勉強を始める人も多いようです。もちろん環境的にも少子化によって学生数が圧倒的に減少している状況下では教育機関は生き残るのは大変なことです。そこで、すでに既卒者である社会人や主婦、退職した人びと、また外国人などへ市場を広げることで生き残りを図るという実情があり、それも生涯学習の風潮をつくりだしてるのだと思います。

年齢を重ねてからの学習は10代、20代のころの学習と違ってある面、思考が教育者に近いのでとても効率的です。試験を受けるにも出題者と同世代、あるいはそれより上なんてことがあると感覚的に出題の意図が即座に分かってしまうなんてこともありえます。これはある面、大人の知恵っていえるかもしれません。それで大人の感覚でこどもたちの解いている問題を見るとなんで分かんないのかなって思ったりします。それはこども以上に多くの経験を積んできた出題者と同じ大人の視点があるからなのだと思います。

大人になって大学にもどって勉強している人を見てみると、下手をすると、大学教授より同世代あるいは年配の学生のほうが詳しいといったこともよくある話です。アカデミックな世界だけにいた学者より、経営の現場にいて長年社長をやってきた学生のほうがいろんな面で優れていたりします。頭だけでなく、体感しているわけです。もちろん大学の先生もそういったことをよく分かっていて、彼らには敬意を払ったりするわけです。ただ実際、学生として再び学びの場に戻ってくる学生にとっては、会社という閉鎖的な組織の中にだけいることで考え方が硬直化、老朽化してしまうリスクを回避して、大学でまた新鮮な空気を吸うことも意義深いことです。

PSIブログを読んでいただいている方々は、学習意欲が高い方も多くいらっしゃると思うのですが、年齢を重ねての学習は若いころとは違った学習方法を考えなければならないと思うのです。会社や仕事を引退して年金暮らしという方は普通に学生のように学生生活を謳歌するのもいいかもしれません。でも社会人や主婦という立場ならばいかに効率的に時間配分を考えて勉強時間を捻出するかといった課題もあります。そういった面では通勤時間は便利な時間です。料理の合間の時間もいいかもしれません。

もう一つ、私の例でいうと、長年ストレス回避の健康法を訴えてきた関係上?とにかく勉強するにしても一切ストレスを感じることはしたくないという前提があるのです。それで関心があることは本を読めばどんどん頭に入ってきて、そのことを家族や友人に話したりすることで記憶として定着するのです。また仕事や講演で使えるなということがらは当然それをもとにプレゼンデータをつくったりしますから、さらに記憶の定着にはいいわけです。

ところがすぐには使えないけど絶対覚えておかなければならないことは暗記するのがとても疲れるのです。関連付けて覚える暗記法などもあるのですが、どうしても億劫になるのです。ストレスを受けたくない性分なので脳に負荷をかけることはホントに嫌なのです。それでいかに脳に負荷をかけずにこれを覚えようかとあれこれ考えていろいろやっているうちに思いついたことがあったのです。それはちょっと下種な話になりますが、「下ネタ」にかこつけて覚えていくという手法?です。本やテキストにはそれを鉛筆で書いて妄想しながら楽しみながら覚えるというやり方です。なぜ鉛筆かというと完璧覚えた後には消して置きたいからです。いつ家族がそれを見るかもしれませんから…。

年齢とともにオヤジギャグや下ネタは多くなってきます。それは脳の前頭前野が退化することで理性が鈍ってくるからだとか、ならばそれを逆に利用しちゃえということでそういった方法もあります。(もちろん私の独自の考えですが……)男性はそれでいいかもしれませんが、女性はどうしたらいいのか、私は男性なのでよくわかりません。ただ女性も同じ人間、実際問題としてそういったことに関心があるとするならば、イケメンの男性や好きな芸能人との恋とか妄想しながら楽しみながら暗記していくということもいいのではないでしょうか。だれもそんな方法で知識の蓄積がなされているなんて誰も思いませんから。相変わらず言いたい放題のコラムですが、もしよければ参考にしてみてくださいね。

2013年4月16日火曜日

PSIのコンセプト

今日はこのブログの基本的な信条を話したいと思います。実はこのブログを全世界の方々が読んでいただいていることに対してとても驚くと同時に感動しています。PSIブログで訴えている考え方は決して日本人だけでなく、人間として生まれてきたという観点で国を越えてあらゆる人びとに理解してもらえる内容であると確信しています。

PSIをつくったもともとのコンセプトはとても簡単です。それは人間として生まれたからには人間としての尊厳が守られて、一人ひとりの思考や感情、行動が自分以外の他者(組織も含めて)によって蹂躙されてはいけないという動機からです。すなわち一人ひとりの人生は何ごとにも替えがたい尊いものです。そのかけがえのない人生が他人や組織、社会や国家などの影響によって、決して損なわれてはいけないという切なる思いがベースとなって、一人ひとりが幸せな人生を送るということです。

それらを実現するためには、自分軸や自然体の自分らしい生き方を推奨してますし、それをまた実践するためのノウハウに似た内容を書き連ねてあるわけです。もちろん読む人によってはあまりに持論に満ち満ちていて思い込みの強い文章であるととらえられるかもしれません。もちろんそれも覚悟で書いているわけです。

私は日本人だから、当然テレビなどを見ていると世間一般の日本人としての認識をもってそこに帰属意識も強くあります。だからといって他の外国人を偏見で見るわけにはいきません。韓国人はこうで、日本人はこうだという話はもちろんしますが、それは国とか民族という大きな枠組みで見ているに他なりません。歴史の話になるとアジア圏だけでもみんなぶつかるようになってしまいます。テレビではよく韓国、中国の人びとあるいは世界中の人びとを参席させて、ああでもないこうでもないと議論しているのを見ます。半ば喧嘩みたいになっていてまたそれをウリにしているところもあります。

やはり人間は育った祖国や故郷の風土や考え方がしっかり根付いていますから、その部分は否定することも捨て去ることもできません。ただそれにとらわれすぎて自分の人生を位置づけるとしたらとてももったいないと思います。たとえば、過去に戦争等でいろいろ被害を受けたとかあるいは加害者の立場であるとか、それは国としてはもう仕方がない歴史的事実としてありますが、もしそれが個人レベルにおいても国家次元のレベルでつねに思考の根底にあるとしたら、自分自身の人生を有意義に暮らすという観点とはほど遠いものになってしまうと思います。

PSIは自分自身をそういったすべてから解放してホントの幸せを実現するということがとても重要だと思います。愛国心を植えつけられるあまり、外国に対して排他主義的意識をもってしまうとしたらそれは意味合いが違ってくると思います。日本人は基本的に欧米に対して一目置いて、アジア圏では少々傲慢な意識があります。韓国、中国の人びとは日本に対して被害者意識を強く持っている人が多いのも事実です。そういった内容は国家レベルにおいてはいろいろ論じられる内容であるかもしれませんが、そういったことが一個人の思考や感情を大きく左右し互いに壁をつくっていてはせっかくの人生がもったいないと感じます。

PSIはすべての環境的なすり込みに対して、ホントにそういった考え方をもっていていいのか、人間のひとりとして自分の人生においてどうなのかと自分を客観視して最高にハッピーな人生をそれぞれ構築していきましょうということを提案しています。もちろん直接体験したことや幼いころから教育を受けて身についていることからは簡単に脱却することは困難です。国家や民族レベルで傲慢な優越意識や、被害者意識、あるいは逆に加害者意識、それらが個人レベルにすり込まれるときには、そういった個人は人間としての本来の幸せを実現するにはとてもマイナス要因であると思わざるをえません。

もちろん自分が所属する組織や社会、国家、大きくは国際社会の法的秩序は遵守しつつも個人は人間としての尊厳が守られるべきであり、何よりも一度しかない(生まれ変わりがなければ)かけがえのない人生を悔いのないように生きるための知恵と勇気をもって暮らしたいものです。そのための道具をPSIブログで発信続けたいと思います。

2013年3月21日木曜日

花見のシーズンを迎えて

久しぶりの投稿になります。

ずいぶん暖かくなってきて、花見も今週末から来週あたりは関東圏ではピークかと思います。3月は学校の卒業式、4月になると入学式や、入社式と大きな人生の節目を迎える人びとも多いのではないでしょうか。

天気も暖かくなるとなんとなく精神的にも解放的になって、ウキウキするような感じもあります。ただそれとは裏腹に私は花粉症というアレルギーがあるので、必ずしも楽しい季節といえないのも事実なのですが……。

ちなみにアレルギーがある人はない人より、長生きするなんてことを聞いたことがあります。定かではありませんが、健康情報というのは今までの常識とは反対の考え方もいろいろ存在するので、何がホントなのか実際のところわからないことも多いのです。

例えば昔は無病息災がいいとされていたのが、最近では一病息災、二病息災などと、まったく非の打ちどころがないような健康な人よりも多少、からだに悩みを抱えていたり、持病があったほうが、気をつけるからむしろ長生きできるんだなどという考え方もあります。確かにめちゃくちゃ元気だったのに、えっあの人が、なぜみたいなこと聞くことありますよね。

確かに元気な人は、自分のからだに過信するあまり、実際の健康状態がよく認識できていない状況があったりすると思います。それで健康診断なんか受けてなければ、ますますわからないわけですから、急に倒れたりするリスクを回避しづらくなるかもしれません。

企業やさまざまな組織も人間のからだと同じで、まったく問題ないと思っていた企業や団体がとんでもない不祥事を起こしたりする。企業の不祥事からスポーツ界、教育の現場のさまざまな問題まで優良であったり優等生のような組織が問題が結構あったりする。組織もからだと同じで健康診断なるものが必要なのだと思います。そこには売上や実績という目に見える数字だけの定量的な検査ではなく、組織風土や人間関係など一見わかりにくい定性的な検査も必要であると思います。むしろ後者のほうが原因となっていて、具体的な数字として表れてくる部分もあるので、大きな手術が必要となる前に病気にならない予防を施すのが重要です。

かかりつけの医師なんて最近ではあまり聞かない言葉かもしれませんが、昔は地域に根差した医師がいて家族のことはなんでも知っててアドバイスも受けることができたわけです。今はなかなかそうもいかず、セカンドオピニオンも必要だとしていろんな意見を幅広く聞くという時代になってきましたが、とりあえずどうしたら対処できるかといった処方箋はそろっています。

企業や団体組織の場合もかかりつけのアドバイザーがいればいいのですが、なかなかそういった存在もなく、手遅れの状態になって助けを求めてももう手の施しようがないといったことは往々にしてあります。病気も重篤化するケースはまだ問題ないとさまざまな症状が出ているにも関わらず、自分にうそぶいてまだ問題ないと放置してしまっているケースです。企業や組織もそういうケースが多いように思います。特に日本では問題と正面から向き合わず、結局、もうどうしようもなくなって会社更生法で倒産だとか、で責任の所在はあいまいなまま社員はだれにも怨みをもたず職を失うというのが結構あるように思います。たまに外資などが入ると、急にリストラを断行し、かなりの荒治療でとりあえず企業はなんとか立ち直ったりします。

食品関係の企業の不祥事がたくさん起こった時には、私は不祥事がない企業はむしろまだ問題が可視化されていないだけで、どこもそういうことをやっているんだという疑心暗鬼の気持ちになったことがありました。それで、不祥事から立ち直った企業の商品のほうを安心して買っていたこともありました。

からだも、企業や組織も問題が見えていることは幸いなことで健康(経営)に注意する、見直す機会が与えられていると思って前向きに取り組みたいものです。

2013年2月17日日曜日

メタボリックシンドローム

日本が経済の高度成長を通じ、物質的にも豊かになって誰もが贅沢しなければ食べていける時代となりました。その後、バブル景気から飽食の時代を迎えてメタボリック症候群に気をつけなければ生活習慣病(癌、脳疾患、心臓疾患、糖尿病……)になってしまうと政府は健康日本21というタイトルで国家的な取り組みを行ってきました。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/metabo02/
http://www.kenkounippon21.gr.jp/

前置きはこれぐらいにして、本題に入ります。
今朝軽くジョギングしてきました。以前はよくマラソンにエントリーしていましたので定期的に走っていたのですが、最近は休みの日にときどき軽く走ることにしています。基本は無理をしないということで(そこまでパワーはないのですが)街並みの風景や外の空気を楽しみながらやっております。
で最初はホントにノロノロと早歩きのスピードですが、後半エンジンがかかると徐々にスピードがあがります。でもそこで問題発生。やはり膝に負担が来るのです。

以前仕事の関係で全国に出張しているときは取引先で接待を受けたり、結構グルメな状況にあって尿酸値がなんと9.4まで上がり、痛風状態。それで右足の親指に違和感を感じつつも痛みは一度も出なかったのでその痛風の痛みは味わったことはないのです。もちろんその頃はメタボリック寸前の状態で写真を見たらこれ誰って言いたくなります。それで心配した家内は家では肉やプリン帯の多い食品は一切なしということで対応してくれました。そのおかげで、出張中は痛風気味、家に戻って会社勤務のときは貧血気味でフラフラという状況でした。その後マラソンを始めた当初、マラソンは血中のヘモグロビンが消費され減るそうで、結構貧血気味でした。

そのうち出張が減って社内のデスクワークが主な業務になってやっと正常な健康状態になった気がします。ただ問題は年齢とともにやはり代謝機能が下がりますので、なかなかベスト体重にもっていくのが困難です。でも生活に何も支障がないのでそんなに気にもかけないのですが、今朝のように運動することで気づきが与えられるのです。運動はただ健康維持の為とかではなく、運動することで実は問題点が明確になる可能性があります。やはり人間は動物(動くモノ)なので動かしてみることでいろいろと自分のからだの問題を認識することができます。日頃デスクワークだけの人、出勤は車、普段の買い物も車、一日に歩く距離が極端に少ない人など、足腰の衰えとかメタボとか大丈夫でしょうか?せっかくこのブログを読んでいただいているなら、これをきっかけに自分の健康を考えてみましょう。

ジョギングをしているといろんなインスピレーションが来るのですが、今朝もいろいろな思いや考えに浸りながら走っていました。その一つに、私がもし家を新築するなら地下室に楽器もおいて映画も見れる防音のシアタールームを作りたいと考えていたのですが、それにプラスしてトレーニングルームが必要だなと思ったのです。運動が続かない理由は手軽でないとか、冬だと寒くて、夏だと暑くて外に出るのに気が引けるというのがあります。今の家では狭くてトレーニング器具を置くには困難です。やはりそれ専用の部屋が欲しいものです。まあ今は妄想レベルですのでツッコまないでください。

みなさんもいかに健康に過ごすか、いろいろと考えてみてください。継続は力なりですが、それを実現できるような工夫、環境づくりがとても大切だと思います。

2013年1月17日木曜日

健康で長生きする秘訣⑦

ストレスを溜めないように自然体で楽しく生きていくということをお話してきました。そして自分にもやさしくあることが大切と言いました。ここで一つ注意しておかなくてはならないことは、自分にやさしいことと自分に弱いこととは違うのだということです。

すなわち、自分の感情や欲望をコントロールできた上で自分にやさしくするということです。あまり自分を追い込んだり無理をさせて苦しめることはよくないということなのであって、自分の欲や感情に振り回されてはいけないということなのです。本当に賢い人は自己管理ができている人です。そして感情をある程度コントロールできる人です。もちろんPSI的観点では自然体の人間であることを重要視しますから、怒ったり、泣いたり、笑ったり、悲しんだりと喜怒哀楽を素直に出すこともいいことだと考えます。しかし感情をコントロールできないのは致命的です。むしろそのことによってストレスを溜めてしまい、精神的にも肉体的にも負荷がかかり老化を早めてしまうのです。

世の中で素晴らしい経営者やそれなりの識者であるような人びとであまり肥った人は見ません。アメリカ人はとてもメタボリックな人が多いのですが、アメリカで企業のトップには肥った人はなれないということを聞いたことがあります。それは自己管理さえできないのに会社の経営はもっとできないということです。日本の経営者でも上場企業でよくメディアに露出されるような人びとでメタボな人は見たことがありません。

自己管理はとても大切です。自分にやさしいことはいいことですが、自分(の欲望や感情)に負けてはまったく意味がありません。したがって、いままで論じてきたことは日本人のほぼ8割以上の真面目でいつも頑張る人に向けてのメッセージです。逆に自分に対して弱く、しょっちゅう気分屋になって感情が安定しない人やすぐカーッとなる人、あるいはすぐに周りの言動に左右されて落ち込む人などはそれこそ自分でブレない軸をちゃんと立てなければならないと思います。アルコールやタバコも管理できればいいのですが、それがないと生きていけない状況になってしまっていたらもうすでに健康とは真逆の方向に行っているのであって、自己管理ができていないということになります。私はタバコはもともとからだに悪いと思って吸ったことがないのですが、お酒は多少飲みます。ただみんなで集まって楽しく盛り上がるときに飲むくらいで、毎日晩酌というレベルではありません。お酒もタバコもどんなに周囲で言っても、最終的には自分自身の判断で管理するしか方法はありません。すでに中毒症状に至ってる人はそれこそ自分で気づいて自分にきびしく対処するしか救われる方法はありませんし、誰も注意してくれる人はいません。なぜならみんな大人だから面と向かって言わないのです。最終的に自分のからだは自分が守るしかありません。

人生のパートナーには「私を本当に愛しているのならあなたは健康でいてください。」と言いましょう。自分が健康でなければ最終的には愛する家族に迷惑をかけてしまうことになるからです。もちろんお金がたくさんあるならば、最近では老後にそういう施設に入ることもできますから、まあそこまで健康管理ができない人に無理してPSI的健康法をおススメする必要もないのかもしれませんが…。

でもこのブログを読んでくださっている方々には健康で長生きしてほしいものです。長寿社会は第二、第三の人生が待っているのです。そして老人擁護施設でもときめくような出会いがあるかもしれませんからね。

  

2013年1月16日水曜日

健康で長生きする秘訣⑥

人間のからだは消耗品です。心も枯れたり、折れたりするというようにあまり負荷をかけすぎると限界を超えてしまいます。いわんやからだはなおさら目に見えて消耗していきます。人間は生まれたときから「死」に向かって間違いなく進んでいるのです。20代までは成長し、たくましくなったり、綺麗になっていくという感じですが、30代に突入しつつ、徐々に人生は「老い」のプロセスを歩んでいるのだと自覚するようになります。PSIでは人生を楽しく有意義に謳歌する意味で、短い人生より長生きの人生のほうがいいですし、長生きするなら寝たきりにならないように健康で生きたいということを推奨しています。

健康でストレスを受けず長生きする秘訣は、自然体でありのままの自分をさらけ出して生きるということをお話しました。でも私たちはひとりで生きているのではありません。さまざまな人びととの関係性をもって生きているのです。気を使ったり、我慢したり、あるいは誤解から喧嘩になったりとさまざまな経験を積みます。そういう中で、それでもストレスを受けない生き方を考えて自然体の行き方を目指すのなら、やはりすべてが自分の思うようにはいかないという現実を受け入れることと、すべての人が自分をいい人だと見るという非現実的な発想を捨てることが重要になってきます。それがすなわち

「あきらめる」と「どう思われてもいい」

という二つの観点でした。
そして人に対してはもちろんのこと、自分に対してもやさしくあるべきということも重要です。

現代社会は精神疾患がとても多いように見受けられますが、「うつ」も社会問題化しています。もともと「うつ」になる人はとても真面目な人が多いのです。初めからいい加減な人や、チャランポランな人はあまり「うつ」とは関係ありません。「うつ」になる人は真面目で、自分に対してきびしい人も多いのです。ですから、自分が理想とするレベルに行かない状況がずっと続くとその理想と現実のギャップに悩み続けます。最後まで妥協できず、悩み続けた人が、ある時期を過ぎるとプツンと風船の糸が切れたように「うつ」状態になってしまいます。真面目で趣味もあまりなく仕事一筋のような人も危険です。なぜならそこにしか心の拠り所がないので、仕事で問題が起き続けると救われる環境がないからです。もし仕事以外にいろいろと軸足があれば、仕事での問題が自分の心に占める割合は低くなるから精神的にラクなのです。

「うつ」の人に頑張っては禁句だと言われています。実は頑張りすぎてそれでも結果が出なかったからそうなったのです。会社もダメな会社は結果が出ないことを社員のせいにしてどこまでも追い込む会社があります。でも結果が出ないのはもともと市場のニーズがないものを売っていたり、会社のシステムに問題があったりするのです。保守的で一つのやり方で大きな実績を出した、いわゆる過去の栄光が大きい会社は変化する時代の流れについていけず、旧態依然たる老朽化した手法を相変わらず使って仕事をさせているので、結果は出ないのです。そういう会社や経営陣の問題を客観的に見抜いて、自分の才能に問題があるのではないということに気づけばいいのですが、新人で入ったり、長年働いてきて、いままでの手法が通用せず、いくらやっても不毛の闘いを繰り返すようになるといつの間にか我知らずそういった精神的なダメージを患うようになっていくのです。

「あきらめる」も「どう思われてもいい」は「うつ」症状の人びとには福音のようなフレーズであると確信します。肩の荷を下ろしてください。もっと気楽に生きようよということです。もともと人生は与えられたものであり、生まれたということは計り知れないくらい尊いのものであり、奇跡です。そのことを考えながら、自分の分もわきまえて、あまり追い込んではいけません。いまのあなたで十分です。そのままの自分がいちばん輝いているのです。

とにかく世の中の常識というものを疑問視しましょう。成功哲学なんかも元気な人が金儲けするためのスキルの土台となる精神論です。それを好きな人もいるでしょう。また成功哲学を信奉する人びと、特にそれを生業としている人びとは、それに関心を持たなかったり、受け入れない人びとに対してとても勿体無いような言い方をしますが、それはその思想に引き込むための方便に過ぎません。勝ち組、負け組という分け方、しあわせ、不幸せという言い方、それらはとても主観的な言い方であって、人それぞれ見る観点が違えば、まったく違ってきます。またバツ一、バツ二といった言い方などもありますが、お笑い芸人たちがそれらを自虐ネタにすることで、最近はあまり悪いイメージはないのでこだわる理由もないのかもしれません。いずれにせよ世の中の評価は絶対的なものではありません。したがってそういった世の中の常識や社会通念で自分を評価して落ち込む必要は全くありません。ただ「うつ」になりやすい人は完璧主義的な人も多く、必要以上に自分で自分を低く評価してしまうキライがあるので注意しましょう。

自分大好き人間、いわゆる「ナルシスト」がもっともストレスがなく理想的です。それでいて傲慢でなく、素が出てお茶目な性格なら周りも好意的に受け入れてくれること間違いなしです。個性的な魅力こそ人間本来の魅力であり、完全な美男美女なんて面白くありません。落語で「美人は3日で飽きるが、ブスは3日で馴れる」というのがありますが、一理あります。有名人でも美男美女が案外、結婚できなくて、そうでない人が結婚したりします。もちろん結婚するしないは、人それぞれの考え方ですのでそれはどちらでもいいのですが、完璧でないほうが魅力的なのです。日本人は八重歯をかわいいとする美的感覚があります。それは未成熟なところに魅力を感じるからだそうです。皆さんもそういった経験はないですか。私は男性なので男の立場で言及すると、美人なのにちょっと手が荒れてたり、とか美人なのにちょっと歯並びがイマイチとかというのを目にすると心がキュンとなったり、安心感を覚えたりします。完璧でないところが相手に安心感を与えるのです。芸能人でもものすごい美人がずっと彼氏もできないというのをよく目にします。人間、完璧すぎるとひくのです。
最近は整形の技術がとても高いので、完璧な容姿は作ることができます。でもそれには個性がないのです。たくさんの女性が綺麗で長い足を出して歌って踊っても一人ひとりを区別できず、覚えられないのです。日本のアイドルはほとんど整形をしていないためにはっきり言ってデコボコです。でも何度か見ていると名前まで覚えてしまうのです。お父さんはAKBの中では○○ちゃんがいいなと言ったりすると娘からはキモ~イと言われてしまうありさまです。

少しは自信がつきましたか。皆さんはありのままで十分輝いているのです。みんなに好かれる必要もないのです。自然体で素を出して、それを受け入れてくれる人は自分と相性のいい人です。芸能人の中でもその素のほうをウリにしているお笑い芸人は結構、美人と結婚したりします。女性も男性も美しさとかかっこよさに惹かれるのではなく、その人がもつ本来の個性の輝きに惹かれるのです。これからは自分の持ち味、個性を伸ばしてより充実した人生にしていきましょう。

2013年1月3日木曜日

健康で長生きする秘訣⑤

どう思われてもいいという考え方は、自分に関するとらえ方です。そして自分軸を立てるためにはとても大切なキーワードであり、考え方です。ただストレス要因は自分がどんなにそういうふうに行動したところで、人(他人)や環境といった他者によるものも大きいのです。その場合どうしたらいいのかということですが、もう一つの重要な考え方があります。それは

B.「あきらめる」

ということです。もちろんあきらめるというのはとてもネガティヴなイメージがありますが、ここでいうところの「あきらめる」は超ポジティヴ思考です。そしてスポーツなどでいうところのあきらめないで勝ちにこだわるというのは少々意味合いが違います。無理してスポーツにもこの概念を当てはめるとするならば、結果を気にしすぎて緊張しいいプレイができない状態に陥ったときに一旦勝ちをあきらめて自然体に戻るということです。その上で最善のプレイを試みる、その結果勝てるということが起こってくると考えればわかりやすいと思います。

実はこのBの考え方ほど難しいものはありません。あきらめる、ある面責任放棄のような言葉です。しかし、世の中あきらめられないことですべて問題が起こってきています。ストーカー行為もそうです。怨みの情もそうです。あきらめられないから色んな事件が起こってきています。なぜこの「あきらめる」ということが大切かというと、人生すべてが自分の思うようにいくということはまず無いからです。もともと生まれたのも自分の意思ではありません。その人を親にしたのもそうです。生まれて物心ついたら親が決まっていたのです。そして自分以外は自分ではありません。自分以外はすべて自分とは別の人格をもった人間なのです。なので自分の思うように動かなくて当然なのです。いい意味であきらめて相手と向き合うということが重要です。すべてはあきらめて冷静になってから出発すると言っても過言ではありません。許容とか受容なんて言葉がありますが、一旦あきらめてからできる行動です。あきらめきれていない状態ではどこかに要求の念が残っていて、言葉の節々に下心が出てきます。それを察知する相手はやはり自分を受け入れてくれないでしょう。

「あきらめる」ことはとても困難です。それも近い存在ほど、身内ほど難しいのです。学校の先生や塾の先生は冷静に生徒に教えることができます。なぜなら最初から他人だからです。すなわちあきらめた状態、期待もしていない状態、自分の子どもでないからそこまでその子の成績の良し悪しにコミットしないのです。でも親は違います。自分の子どもであるし、○○家の将来まで託さないといけない対象であるのであきらめられないのです。あきらめるどころか、過剰な期待を膨らまし子どもにプレッシャーを与えるまでしてしまいます。よく言えば愛情があるからなのですが、スキル(ここで言うスキルとは教えることができる学力ではなく子どもへの対応方法のスキルです)が無いとアプローチに失敗して子どものレベルをむしろ下げてしまうという弊害も出てきます。

子どもの教育に関してはいい意味であきらめて冷静になって子どものポテンシャルを引き出す環境づくりをしてあげるということが重要です。基本的に親は子どもに対して躾はできても教育はできません。教育は第三者に任せるのがもっとも最善な方法です。せいぜい相談にのったり、学習環境を整えるぐらいです。

夫婦関係もそうです。あきらめられない関係です。最後まであきらめられなかった忍耐強い方が熟年離婚に至ったりします。PSIでは決して離婚を悪いこととは考えません。心底嫌いなのに互いに我慢して夫婦のように暮らすのも不健全でストレスがたまるだけです。ただことわざに“観察力の欠如で結婚し、忍耐力の欠如で離婚し、記憶力の欠如で再婚する”というのがあります。恋愛中や結婚四年目くらいまでは脳内麻薬といわれるしあわせホルモンが分泌されるのでとても夫婦はいい関係で楽しくいけます。しかしその後はとても現実志向に陥り、夫婦関係に倦怠期を迎える状況が起こってきます。その際夫婦関係を維持するのにとても有効な存在が二人の間の子どもです。夫婦が冷める頃子どもがかわいく成長してくるのです。子はかすがいなんて言葉もありますね。

とにかくここではっきり申し上げたいのは、結婚を控えている方には酷なようですが、恋愛中や新婚当初はファンタジーの中で生活するので楽しいのですが、結婚とは現実生活と同義語であるという認識が必要です。浮気もそのファンタジーの時期を過ぎ、現実生活に辟易としてきたときに起こってくるケースが多いと思われます。独身の人たちからこういう話をすると、よく夢を壊さないでくださいと言われますが、知らずに結婚してあとで悩むより知っておいて対処する方がずっと簡単です。

子どもはやがて育って独立していきますが、夫婦はずっと人生のパートナーです。もっとも身近にいる、もっともあきらめられない存在なのです。夫婦こそあきらめましょう。それがずっと永く添い遂げることのできる方法です。夫が引退して家に入れば妻はやたら外出するようになる。すれ違いの関係こそが良好な関係を維持できるスキルです。どんなに何十年寄り添おうがやはり自分とは違う人格をもった人間です。そして男と女という観点からも考え方も違います。今は第二、第三の人生といわれるように、子どもが育って夫婦だけの生活がきます。互いに束縛しないで楽しく生きていくためにはやはりまず互いのことを「あきらめる」ということから出発すると気がラクになります。

ちなみに老いらくの恋はこれはこれでまたファンタジーの世界に入りますから、ストレスはなく、体も元気になるようです。とにかく恋は脳内麻薬(しあわせホルモン、βエンドルフィン)の作用で心もからだも生き生きとするようです。恋はまた(亦、注〕股ではありません)のこころ(心)と書きますが、あの気持ちを再びということで、思春期のもっとも輝いていた時代の気持ちをよみがえらせるようです。どうでしょう、皆さんときめいていますか。

健康で長生きする秘訣④

人(他人)は自分が思うほど、自分に関心を持っていないので、気楽に自分のスタイルを楽しむということができるようになればストレスからはかなり解放されます。一昔前は男は男らしく、女は女らしくとそういうことを美化する封建的な風土がありましたが、現在ではほとんど崩れています。草食系男子に肉食系女子、共働きで家事は分担、さらに主婦から主夫をしている男性もいるようです。PSI的思考では男性と女性は人間としての価値は同等ですが、役割分担の区別はした方が効率的と考えます。したがって女性がどんどん率先して力仕事をし、女性特有の感覚が必要となる仕事にどんどん男性が入ってくるというのは男女の垣根を解放するという観点ではいいのですが、男女の生理的機能を無視してまでそうすべきであるという観点には疑問を呈します。なぜなら女性が子どもを産むという機能が備わっていているようにもともとできあがっている機能に則して行動した方がより自然でいいと思うからです。男性は女性を守るように力が強いし、女性は子どもを育てることができるように母性が備わっています。男女の機能まで無視するような過激なジェンダーフリーの考え方には距離を置かざるを得ません。

話が横道にそれましたが、Aの考え方を少しずつ実践していくと徐々に解放感にもひたれるようになりますし、ある種の自信も生まれてきます。私は男ですが、アクセサリーが大好きです。よく講演のときなどにノーネクタイにちょっとしたアクセサリーをしたりすると最初踏み出すときは勇気が要りますが、今ではオシャレですねと声をかけてただけるようになりました。男が女装し、女が男装するなんてのもアンダーグラウンドな世界では結構あるようです。秋葉原発信のオタク文化もある種最初は違和感をもってとらえられましたが、今では完全に定着しています。コスプレなんてのも最初は風俗色が濃かったのが最近はアニメのコスプレや原宿ファッションにも影響を与えています。ロリータファッションなんて渋谷だけでなくあちこちで見かけたりしますね。

年齢は関係ありません。かけがえのない人生、一度きりの人生であるとしたなら、自分が楽しむことに制限は必要ありません。今はさまざまな服装もいくらでもできますし、パーティグッズのコーナーなどにもなりきりセットみたいなコスプレ用の服なんかも売っています。皆さんが小さい頃抱いていた夢、かなわなかった夢、擬似的にも実現させて楽しむこともストレス解消にはとても効果的です。一歩踏み出すと次からはよりラクにスムーズに行動できるようになります。カタチから入って自分の殻を壊して素の自分を出せるようになると大きな自信につながります。

そしていつも気になっていた上司の言動に対しても、
「そのしゃべり方、育ちが出てますねえ~。」
とか
「その言い方、パワハラになりますけど、直してもらっちゃっていいですかー!」
など平気で言えるようになったりします。もちろん同僚がたくさんいるところでやれば人気者になること間違いなしです。

健康で長生きする秘訣③

空気を読むということは、円滑な人間関係のためにはとても重要なことで、気が利く、融通が利くとか機転が利く人というのはとても好印象を与えます。ただ空気が読めすぎるきらいもあります。ひどい場合には深読みしすぎて、もう思い込みや妄想が広がるなど、実際は本人が思うほど周りは何も思っていなかったりということもあります。その場合空気を読むというより勘違いや被害妄想になっている場合もあります。これは生活の中で体験を通して得られる一つのスキルなのでとても難しい問題です。また空気を読みすぎる場合、やはり①の人にやさしく自分にきびしい、いい人ではあるのですが、やはり気疲れしてしまいます。

この反対の概念も重要で、あえて空気を読まないということも大切です。特に会社の会議などでは、みんなおかしいと思っているのに上司や経営トップが提案したことなので異議を唱えることができないといった状況に陥っている場合があります。それを助長しているのは多数派を占めている権威主義的な思考の人びとだったり、目に見えない同調圧力であったりするのですが、その空気を割ってスパッと核心部分を指摘したりすることによって全体に気づきを与えることができたりします。もちろん発言のスキルも当然必要ではありますが。

実はさらに話をすすめると、空気は読む必要がないという考え方もできます。それは、そこまで人(他人)は自分のことを見ていないという事実です。たとえば団体で旅行など行ったとき、名所などで撮った集合写真、渡されたらみんな自分の顔を捜すのです。なぜならば自分がどう映っているかがもっとも重要なことがらだからです。実はみんな自分のことにしか関心がない、自分のことで精一杯だとでも思っておけば、あながち間違いではありません。最近テレビなどにニューハーフやゲイの人びとがたくさん露出するようになりました。最初出た頃はビックリしましたが、最近ではすっかり定番になってしまいました。最初は周囲にエッて思われるかも知れませんが、次第に馴れてくるのです。誰も何も言わなくなります。キャラが立つと言ったらいいのか出る杭は打たれる可能性はありますが、出すぎると打てなくなって、それが当たり前のこととして定着します。

④の性格に近づくためにはまず自然体で素で生きることで自分自身をラクにすることが重要です。もう誰もあなたのことそんなに思っていないのです。割り切って行動してみましょう。吹っ切って、割り切って行動するためのフレーズを提示しましょう。

A.「(誰に)どう思われてもいい!」

です。だって誰もどうも思っていないからです。この意識が定着するようになるととても人生ラクになります。ストレスがなくなります。人前でアガルということもなくなります。旅の恥は掻き捨てとか人の噂も七十五日なんて言葉がありますが、まさにそのとおりです。皆さんが重要な式典などの場でたいへん恥ずかしい失敗をしたとしてもなんの問題もありません。地球という大きな観点から見ると日本のある地域の小さな出来事に過ぎません。歴史にも残りません。世界史に残るような話でもないでしょう。残ってもいずれ忘れ去られます。

Aの考え方はストレス回避にはとても有効な思考方法です。これが実践できるようになるとさらに上のレベルとしては注目されたいというナルシストのレベルです。お笑い芸人などはその最たる例で、変に思われたいとか失敗して笑われるのが“おいしい”という話です。まあそこまでは今のところ考える必要はないのでとりあえずAの考え方を念頭にいつでも行動できるようにしてみてください。


健康で長生きする秘訣②

健康にはストレス要因をいかに排除していくかということがとても重要であることを話しました。もちろんアスリートがわざと負荷をかけてより高い目標をクリアしていくという観点のストレスは違います。ここでいうストレスは精神衛生上受けたくない精神的苦痛ということです。
ストレスを受けているような環境ではいかにそこから脱却するか、ストレスを解消するかということが必要になってきますが、できるならばストレスにならないようにうまく立ち回るといったほうがよりストレスに対して積極的なアプローチであると思います。ストレスを回避するということが生き生きとした楽しい生活を送るにはとても有効です。

ではストレスになっている理由はもちろん自分自身のものごとのとらえ方ですが、ストレス原因の多くは人間関係によるものです。人間関係を円滑にうまくコントロールするというと同時にまず自分自身の性格や思考方法を吟味しておく必要があります。


 
世の中には人間のタイプを大きく分けて、4つのタイプの人がいると考えられます。それをわかりやすく表してみると以下のようになります。

①人(他者)にやさしく、自分にきびしい。(自分が病気になる)

②人にきびしく、自分にやさしい。(周りが病気になる)

③人にきびしく、自分にもきびしい。(みんな病気になる)

④人にやさしく、自分にもやさしい。(みんな元気になる)

①は典型的な日本人タイプで、周りにいつも気を使いながら生活するいわゆる一般的にいい人と言われる人です。②のタイプは自己中心的で、わがまま、またそのことに自分が気づいていない人で、誰もがあまりつきあいたく ないと思う人です。①と②のタイプを世間一般の言葉で表すと「いい人は惜しまれながら早く逝き、憎まれっ子世にはばかる」という感じでしょうか。③のタイプは最近あまり見かけない昔よくいた近所のおせっかいおじさん、おばさんといったタイプです。人の子でもきっちり叱ってくれるような人でたまにそういう人がいるとテレビなんかで取材されたりします。最近そういった人はめっきり減ってしまいました。仕返しされたり、子どもの背後のモンスターペアレントなる存在が怖いですから。貴重なタイプで日本では天然記念物の領域に入ってきているような気がします。

PSI的に皆さんにおススメしたいのは④のタイプの性格です。全くの自然体で無理をしないというところが重要です。自分の素のままに生活するということ、ゆとりがあったり、アソビ心があるという感じです。高田純次さんが適当主義なんてことを広めてますが、いい意味であの感覚は大切だと思います。「いい加減」というのがとても重要です。「いい加減」というのは「いい加減(無責任)」のほうではなく「いい加減(適度な加減)」ということになります。
まず自分自身が④の考え方、とらえ方ができるようになるとかなり精神的に解放されます。でも多くの日本人は①のタイプが多いのです。空気を読んで、周囲に気を使い、逆に空気を読めず無頓着な人にムカつきはすれどはっきり言えずぐっと我慢する、とそういった人が多いのではないでしょうか。ちなみに空気を読むというのは性格のようでスキルでもあります。最近は若年世代にいくほど空気を読めない人が多いように思います。年長者は空気が読めないというよりも、理性が利かなくなってきて感情のままに行動する人が増えているということです。

なぜ若年世代にいくほど空気が読めないのでしょうか。それは社会状況が大きく関わっていると考えられます。昔は家族は大家族、兄弟も多く、地域社会も家族が多く、親族が多く子どもたちも社会の財産という認識が強く、隣人間のコミュニケーションが密接であったといえます。したがってそういう中で人間関係の力(人間力とかPSIでは人間関係力と言っています)がよく育まれたのですが、近年、核家族、単家族(一人暮らし)が増え、人間関係によるストレスを避けるために二世帯住宅なども増えてきています。さらに少子化により兄弟間のコミュニケーションをとる機会が減り、地域社会にも子どもたちが減ったことで友だち同士の横のつながりも希薄になってきました。当然そういったことでコミュニケーション不足から人間関係力の低下を引き起こし若年世代にいくほど空気を読むとか間合いとかが感覚的になくなってきています。

欧米は当然、空気を読むなどという観点はあまりありませんが、アジア圏でも空気を読むとか本音と建前なんて文化は日本ぐらいです。それは日本という島国の限られた空間でいかにうまく生活していくかという知恵に根ざしたものがあると考えられます。聖徳太子の和をもって尊しとなすとか長いものに巻かれろのような観点は半島や大陸のような喧嘩してもいくらでも逃げ道があるようなところでは根付かない文化であると思います。