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2013年2月16日土曜日

体罰について④

最近、楽天の星野仙一監督が体罰に関して持論を展開しています。

http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/95907/

ネット上では、かなり体罰容認の論調があるのですが、こういった著名人による話は大きな影響を与えます。私は絶対的に体罰否定の立場ではありますが、こういった考えが出てくるのは民主主義国家として、何でもかんでもマスコミ等の一貫した考えに従属しないためにも意義あることだと思います。

今、いじめにしても体罰にしても、そういった言動自体が大きくクローズアップされ、それが起こってくる原因や背景があまり深く論じられていません。加害者である人はその個人的な性格や手法のみが問題として取り上げられ、マスメディア等で連日放送されることで社会的制裁を大いに受けています。しかしPSI的には、そういった個人的な性格や手法はもちろんのこと、そういった理不尽なことがらが容認されてしまう組織的な背景などまで考えてこそ問題解決に至ると思っています。またいじめに関していうと加害者になってしまう人、被害者になってしまう人、それぞれそうなってしまう要素があるのです。どちらの側にも心の傷や問題を抱えている場合が多いのです。その件に関してはまた機会があればお話ししたいと思います。

とにかくいじめや体罰に関する現象に対する部分だけを論じ、深く掘り下げないことは、プライバシーの問題に踏み込むことになるのでしないのか、あるいは組織的問題や、責任ある立場の人びとの進退問題まで生じるのでそうしないのか、具体的にはわかりません。いずれにせよ、女子柔道の体罰告発も結局、全柔連の組織改革を要求しているのであって、当事者はある程度、どこに問題があるかを認識しているように思います。加害者とされている監督を一方的に糾弾しようという姿勢ではなく、むしろそういったことが容認されてしまう組織のシステムこそ変えてほしいと思っているのです。いじめで自殺した子を持つ親たちも、実際いじめた加害者よりもそれに対してなにも対処できなかった学校側の責任を追及しているのです。もちろん彼らに個人的な怨みが全くないということは言えないと思います。ただそういった理不尽なことがらをどうにもできない組織や権限をもつ責任者に対する怒りのほうがよほど大きいのではないかと思います。

そろそろいじめも体罰問題もことの本質に踏み込むことが必要であると思います。まだまだ組織の問題にはタブーが数多く存在していて、こういった本質や核心部分を言及しようとすると組織全体は黙殺するか、あるいは権力者たちによって潰そうとされてしまいます。なかなか難しい問題でもあります。マスメディアもきっちり裏を取らなければ、報道責任が生じ、下手をすると訴えられかねない立場もありタブーに踏み込めない部分は大いにあると思います。ただタブー視されていることがらは数多くの人びとが認識しているにも関わらず、具体的に言葉に言えない部分でもあります。半ば暗黙知的な内容であったりします。でもPSIのブログではそれをはっきり具体的な形式知に置き換える作業をすることでタブーを無くす努力をしたいと思っています。すなわち誰もが理解できる言葉に置き換えてお伝えしたいと思っているのです。

話はまた星野監督の持論に戻りますが、彼はリーダーとしてとても優秀であると思いますが、あまり組織という観点はお分かりではないと思います。彼の観点は鉄拳制裁で代表されるように体罰ありきでもちろん怪我をさせてはいけないと言われています。しかしそれはホントにそうなのでしょうか。やはり私としてはその考えには異を唱えざるをえません。体罰無くして成長させることはできないのでしょうか。もちろん人間としてやってはいけないこと(犯罪や法律を犯すようなことがら)に関しては当然それはあり得るでしょう。文字通り、体罰ですから。でも選手は人道的に問題行動を起こしたのですか。そうではありません。選手が成長していく過程で気合を入れる意味でそれを望んでいたなら許されることかもしれません。でも選手が受けたくない体罰であると認識していればそれは暴力以外のなにものでもありません。与える側(主体者)と受ける側(対象者)で、前者がどういう意識でするか以上に、後者がどう受け止めているかが重要です。私はいつも殺人事件などで加害者には殺意はなかったとして情状酌量を求めるというのをよく聞きますが、じゃあ殺意がなければ殺していいのかという問題を考えてしまいます。もちろん逮捕後は国家権力による裁きの場に立たせられるわけでそこから加害者の権利を保護するという意味は分かりますが、実際殺人の現場では被害者の権利は完全に守られなかったわけで、とてもいたたまれない気持ちになります。おそらく被害者側の願う判決が出ないときには、自分たちの前に立ちはだかる法律や法廷という大きな権力の前に虚無な心情を感じるのではないかと思います。

指導者や教師、企業なら上司の立場にある人は弟子や学生、部下が自分の言動をどう受け止めているか明確に認識できる能力、またそれを言葉だけではなく空気として読み取る能力がない人は間違っても組織において上位者に立つべきではないのです。人間関係は上下左右と180°さまざまな人びととたくさんつきあって人間力を磨いて卓越したコミュニケーション能力と愛情を育むことができます。企業で言うならば、友だちもあまりなく、プライベートは充実しておらず、家庭でも存在感がなく、会社でだけ上司の立場で部下にエラそうに命令だけして自分はあまり動かないという人は上に立ってはいけません。

また星野監督はみんながいじめを認識していたら、みんなで一緒に止めたらいいと言われていますが、それは組織というものがどういうものなのかよくわからない立場での答えです。あまりに単純過ぎる見解に少々引いてしまいましたが、やはり鉄拳制裁で精神論中心のマネジメントしかできない闘将のレベルが理解できました。いじめの加害者には、実は被害者のみならず、大衆も沈黙というカタチですでに従わせているのです。そういった大衆の一人が他者と結託して加害者に対して訴えることはすでに加害者に対する裏切りを意味するので、絶対に沈黙の大衆はそういった行動には出ないのです。そのことは星野氏にはわからないのです。唯一それができるとしたら、加害者以上の人心を集めて加害者の支持者以上の支持基盤をつくることができるリーダーが出てくるしかないのです。大衆は力のある個人に従属するようになっています。大衆は独立した個人の集まりではありません。集団規範の制約の中で身動きがとりにくい状態でいるのです。そのことに気づいて理不尽な状況を打開しようと立ち上がる人がリーダーになれます。ここで暴力などのパワーでもってトップに立ったいじめの加害者はで独裁者のような立場です。独裁者は恐怖政治を引いて恐怖でもって人びとを縛って管理しますが、リーダーは信頼と愛情で人びとを啓発し自立を促します。

体罰を多く使う指導者は恐怖で集団を管理している傾向が大きいと考えられます。そういう指導者でより上位者にもはっきり言える人はそれでもまだ下位者から信頼も持たれる可能性はありますが、そういう人に限って、案外上位者にはペコペコの人が多いのも事実なのです。力でねじ伏せる人は力に弱いのでより上位者には弱いのです。上下に強い人はなかなかいません。権威主義者とはそういった人びとのことです。

信頼と愛情で管理する人は師弟関係や上司部下の関係にあまり私的な感情を持ち込むことはありません。したがって上位者にもはっきりものを言える人が多く、下位者にも権力を行使して無理難題を押し付けるということはありません。そしてもともとフラット思考なので全体を分け隔てなく見渡しもっとも効果的にチームとしてのポテンシャルを最大限に引き出す手法を活用し、結果にも責任を持とうとします。

星野監督の手法は弱小球団の底上げには大きな効果を発揮すると思います。当時、負け続けていた阪神を優勝にまで導いたのは星野監督の力量だと思います。負け癖がついて自分でどうしたらいいかわからないレベルはパワーで引っ張るのが手っ取り早い再生方法です。しかし一人ひとりが実力者のスター選手の集まりではそういう手法は通用しません。WBCでの大敗はその内容をはっきりと投影させたできごとであったと私は実感しています。組織の成員の成熟度合いによってリーダーシップの在り方を変えるという「リーダーシップの状況適応理論」というのがあります。したがって原監督のWBCでの優勝は納得できるものでした。名前も侍ジャパンで、原ジャパンでなかったところもすごく良かったと思います。あくまで選手の持ち味を十二分に生かしてそれを支えるというサーバントリーダー的な手法こそが成熟したチームには有効に働きます。

オリンピックを目指すような選手はもう十分成熟したプロ意識を持っている選手として扱うほうがよっぽど才能を開花させるのではないかと思います。

これからの指導者になる人は、組織論、心理学、リーダーシップ、モチベーション、……などちゃんと勉強して、過去の自己の経験則にだけ依存する管理手法からは脱却できる内容と愛情まで持ち合わせた人になってほしいところです。