真実の告発者は加害者によってというよりも、組織論理の暗黙の圧力によってつぶされてしまいます。組織はつねにより上位者を擁護する傾向にあります。もともと日本では礼を重んじつねに上位者への忠誠を誓わされてきました。したがって欧米のキリスト教文化のように神の前にみんな平等だとかそういうフラットな思考はあまりなく、国の統治者やそれを代弁する教育者に圧倒的な権威、権力があって、それに意見する者や反対する者はすぐレッテルを貼られて組織的な圧力を受けてきた歴史があります。またそうでないと国家という組織形態の維持ができなかったという側面もあろうかと思います。
でも現代はすでに民主主義が根付き、倫理観やモラルが組織内でも重要視され、理不尽なことは声をあげることのできる環境が整いつつあります。それでもまだまだ正義が主張できない本音と建前論がまかり通っているという実情もあります。
ではそういう組織風土や環境の中で正しいことを言ってもつぶされないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。正しいことを言っても組織は守ってくれません。またその正しいことを聞いてそれに追従することと、沈黙を守っておとなしく過ごすのと天秤にかけたらやはり後者を選んでしまう社員が圧倒的に多いのではないでしょうか。日本では和の文化を重んじ、とにかくぶつからないことを美化します。金持ちケンカせず、君子危うきに近寄らず、長いものには巻かれろ、……とにかく組織論理に適応して素直に生きることが日本人のDNAの中にすり込まれているように思います。
私は何度か声をあげてその組織的な圧力のすごさを実感したことがあります。それで学習したと言えばすごく賢いようですが、とにかく場数を踏んでたくさんの失敗もしました。
正しいことを言っても組織は守ってくれません。
正しいことを言う、正しい行動をする(正しいと言い切る危険性はもちろんありますが、とりあえずここではそういう観点でお話しします)にはただがむしゃらにぶつかって行っても意味がありません。最初から勝てない勝負はする必要がないのです。逃げるが勝ちとは孫子の兵法から来てるのですが、逃げることも必要です。でもその会社や組織を愛して、何とかしたいのであれば、それを変えなければなりません。その際、より上位者は権威も権力も権限も行使しているという事実をよく認識する必要があります。したがってそれらに匹敵する武器を持ち得なければ、絶対に勝てることはないのです。それが数の論理です。それらが屈するだけの人的な基盤無くして何も変えることはできないのです。世界の独裁政権が倒されるプロセスを見ていくとやはり情報とそれに基づく人的基盤が独裁政権をひっくり返すのです。自分がいじめられているだけでは誰も親身になってくれず、沈黙の大衆でいるだけです。当事者でないので自覚がないのです。みんなが不公平感や被害者であるという認識になってこそ結束できるのです。
労組はある面、経営者側の権力に対応する意味では社員全体の当然の権利でした。今はそれが機能しているかどうかはわかりませんが、それは民主主義を達成する上でも必要なことであったと思います。
組織はかならずと言っていいほど、間違った方向に行きます。またそのトップも絶対的に正しい采配なんてとれるはずもありません。組織内での調整はできても改善は困難です。やはり第三者の視点を取り入れるしかよくなることはありません。教育者や経営者側はその視点をつねに持っていることが重要ですし、教育を受ける立場の人や社員は間違っていることを見たり知ったりしたときに簡単に対処してはつぶされるということはよく認識したうえで行動するべきであると思います。やはり権力や権威には同等のパワーを持ち得なければどうしても難しいのです。組織の上位者には愛情ややさしさといった人格的要素が不可欠ですし、下位者はつねに冷静にものごとを見極め勇気をもって、そして知恵深く行動することが重要です。
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