相変わらず、ネット上では大阪桜宮高校の体罰教師を擁護する記事がかなり出ています。でもネチズンたちの大多数が体罰否定の論調であることに心をなでおろします。
http://zapzapjp.com/archives/25995521.html
体罰容認派、中には体罰推進派と言ってもいいような感じを受ける人もいますが、やはり自殺された遺族の方の気持ちは置き去りにされているように思えてなりません。もともとスポーツは指導という名のもとに指導教官は強固な権威をもち、そこに絶対的服従を強いられるような組織形態を維持せざるえないような内容があります。すなわち軍隊と似ているのではないでしょうか。そして指導教官の指示や指導は絶対的であり、それに従って多くの人びとが成績を上げてきたことは間違いと思います。ただ果たして、そのシステムに体罰という名の正当化された暴力が果たして必要なのかというと疑問を持たざるをえません。
気合を入れるために平手打ちなんてアントニオ猪木氏から受けたいという人はもちろん自ら進んで自分の意思で受けるわけですが、実際自殺したり、告訴したりした人びとは決してそれを願っていたわけではありません。明らかに一方通行の暴力に他なりません。上記のサイトのコメント欄にも多くの方々が意見を述べているように、やはり教官の体罰をふくめた指導方法を正しいと主張する人は、まず権威をもった教官の指導下において洗脳されていたということは完璧正しいと言えないまでも、決して間違ってはないと思うのです。異様なまでに体罰教師を擁護する人びとの主張を見ると今回の措置に対してとても感情的に同情し、やはり属人的思考が強いことをとても感じます。本来ならその教師を擁護したいなら、早く先生には気づいてほしかったとか、その指導方法は時代錯誤的だとか逆に教師に対して反省を求めるコメントを出すべきところが、全面的に教師の犯した罪までも正当化する論調になっています。
私はやはりこの現象を見て、体罰教師を養護している人びとに共通してるのは、属人的で権威主義的思考であると感じるのです。またそういう人びとはものごとを客観視したり、メタ認知的な視点は持ちえなくなりますから当然、過激な表現をすると体罰教師に洗脳された一つの集団と見てもおかしくない感じを受けます。
どうしてもからだを傷つけるような(もちろん精神的なハラスメントもですが)ことがまかり通る組織はカルト組織と考えざるをえませんし、ストックホルム症候群やパトリシアハースト事件が想起されてしまうのです。最初はみんなおかしいと異論を唱えていたのがいつのまにか犯人の虜になり、犯人側に立ってしまうのです。
現実問題として、自殺された犠牲者がおられるにもかかわらず、その気持ちは置き去りにしてあくまで加害者の立場に立った人を擁護するというのは、なにかゾッとする気持ちになってしまうのは私だけでしょうか。体罰やその教師、その行為を擁護している人びとは、本当にその教師のことを思うのならば、属人思考に陥らず、よくものごとの様相を見極め、体罰教師に反省を促し、遺族や社会に対してゆるしを乞うことを支援してほしいと心から思うのです。
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