学校の入学式や卒業式に参加すると、学校の方針や風土までなんとなく感じとれます。そういった学校の行事でよく問題になるのが、教師が君が代斉唱のときそれを拒否して立たなかったとか、日の丸の国旗を掲げないとか、思想的な行動です。最近そういったニュースを聞かないのは、昨今のアジア情勢から政府や国民全体の意識が右傾化しているというのがあるのでしょうか。PSIとしては別に右でも左でもありません。
人間の価値において平等であるという観点でのフラット思考です。フラット思考というと中には左翼的だと考える人もいるかもしれませんが、それは全くの誤解です。過去、共産主義体制だったところはすべて強固なヒエラルキーを形成し、人間の価値が不平等であったという事実があります。また左翼勢力がいつも人権や平等という耳障りのいい言葉を使ってきたため、フラットな考え方を左翼的だと誤解している人が多いのです。公平さというものを無視した平等、すなわち頑張る人もそうでない人も同じ評価であれば人間の意欲を損なってしまいます。共産主義が発展しなかったのはそこに原因があると思います。結果としてそういった社会をまとめるため結果的に特権階級が生まれ、平等な社会を模索していた左翼組織もヒエラルキーを形成するようになるのです。したがってPSIは右でも左でもありません。
話が飛躍しましたが、今日は娘の中学校入学式でした。私の娘の入学した学校はごく一般的で、きっちりとしたカタチで式は挙行されていました。ただ新入生が入ってくる前に在校生がいていきなり生徒の制服チェックが始まりました。男子は襟がしまっているか、腕のボタンがちゃんとついているか、女子はスカートの丈のチェックです。今チェックしてもし校則?にひっかかった場合、どうするのだろうと思ってしまいましたが……。まあある程度統制をとる意味でそういったことは必要なんだなと私としては理解しました。私が中学、高校の頃は風紀委員というのがいて、その風紀担当の先生はものさしを持って、よく女子のスカート丈を測っていたことが思い出されます。ちなみにその時代はスカート丈が長いのが不良です。
人生の中でそういった儀式は厳かな雰囲気を出すためにどうしても権威的な雰囲気を造成して執り行う必要はあります。身も心も引き締まる思いというのはある面人生の転機を迎えて必要な感覚であると思います。人生のトランジション(転換期)をうまく切り替えるためにはそういった儀式は一つの動機付けとして自分自身に自覚を与えると同時に新たな出発をさせてくれます。入学式や卒業式、そして入社式もそういった面でとても意義深いものであると思います。また国旗掲揚や国歌斉唱も自身のアイデンティティを見つめなおす意味で必要であると思います。それは日本人として生きているなら当然行事に組み込まれるべきものであると思います。厳かな雰囲気は誰もが認める権威がどうしてもベースになるからです。それは宗教なら神や仏であるわけですし、国の教育ならやはり国そのものがそれに該当すると思います。
守るべき伝統と壊すべき因習、もしかしたら伝統と思っていたものの中に、すでに現代ではその考え方、パラダイム自体が老朽化して遺物と化しているものもあるかもしれません。今日入学式で校長先生の式辞の一節がとても印象的でした。それは
「君たちはナンバーワンじゃなくて、オンリーワンを目指して欲しい。誰にもできないものを見つけ、それで一番になって欲しい。」
ということでした。なんだかんだ言っても、やっぱりナンバーワンなんやなと思って苦笑してしまいました。校長先生は私より若干上の世代、やはりナンバーワンが素晴らしいという教育を受けて育っています。私もそうなのですが、オンリーワンがいいとか言いながら、その実ナンバーワンをどうしても目指してしまうというのは長年教育されてきて、すり込まれた意識から剥ぐことはできないのです。半ばオンリーワンがいいというのはナンバーワンになれなかった人への慰めの概念であるという一面もあるように思います。また順位をつけることを悪であると言い始めた保護者たち(モンスターペアレントとは言いませんが)の怒りを和らげるカモフラージュの意味もあったのかもしれません。
オンリーワンがいいと言えるのは、そのオンリーワンである世界で誰もそれを取り組んでないときだけです。あるいは希少な世界でナンバーワンになったときだけです。なぜならば誰もやっていないことでもそれを取り組むようになればその世界(業界)でトップを目指さなければならないという競争がまた始まるのです。経営の分野で言うならば、だれも考えないようなニッチな市場を発見したり、誰も考えない発明をするということになるのでしょうが、やはりそれがいずれ常識となることは間違いないわけですし、最初の段階で言える話です。
PSIはナンバーワンであれビリであれ人間の価値が平等であるということを前提にしているのであまりこだわる必要はないと考えています。また視点を変えるとナンバーワンであることは業績の価値を言っているのであって、オンリーワンであることはそれぞれの個性を言っているので、その二つの概念を比較すること自体がナンセンスなのかもしれません。
またナンバーワンを逆手にとって、たとえばお笑いの業界ではブサイク芸人ナンバーワンとか、抱かれたくない芸能人ナンバーワンとかビリがいきなりトップに躍り出るという方法もあります。そういうことを考えると、ホントに現在は視点を変えるだけで、逆転、あるいはすべてがフラット化する柔軟な価値概念を日本国民は持っているのかもしれません。
ナンバーワンであれ、オンリーワンであれ、要は自分自身、本人が人生を楽しんでいるかどうか、これが最も大切であるという結論は誰もが納得できるものであると思います。
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