会議を実りあるものとするためには、なるべく妥協する部分を少なくしてなおかつ、会議参加者のコンセンサスを得ることができるようにするのがいいです。ただどうしてもそこにさまざまな問題があります。
議論する内容も細部に入っていけばいくほど考えの違いが浮き彫りになってきます。とても合意を得ることは難しいような状況になり、会議は紛糾してしまいます。結果として双方が合意できるようなレベルまで妥協するという話になります。言い方を変えると、ものごとに対する抽象度をあげていく、すなわち大枠でものごとをとらえてみんなが納得するレベルにもっていくということです。
例をあげるならば、日本人、韓国人、中国人というカテゴリー分けをしていたのを、アジアの人びとという大枠でとらえるということです。そうすると細部にわたって考えると違っていたのが、大枠でとらえると、ご飯を食べる文化だし、漢字も使うし、目も髪も黒いしとたくさんの共通点もあります。
これは人間関係ではとても必要な方法で国どうし仲が悪くても、その国の男女が出会って結婚して暮らすことができます。なぜならば国というアイデンティティを超えた関係が男と女という関係だからです。音楽も愛も国境を超える器をもっているのですね。ロミオとジュリエットは逆で男と女という愛の関係が家系というよりローカルな内容の犠牲になったとみていいと思います。人間は抽象度をあげるすなわち人間の本質や共通事項にレベルをあげると必ずいい関係を築けるようになると思います。
ちょっと前置きが長くなりましたが、会議でいうところの抽象度をあげてコンセンサスを得るというのはどういうことなのか、これを考えてみたいと思います。またそのプロセスにおいてそれがそのまま通用しないというケースもあげてみたいと思います。
会議では、日本人はあまり議論するのが得意ではありません。ディベートというのはなかなか慣れていないといつの間にか感情論で不機嫌になったり、会議の空気がとても悪くなったりします。それで一見すると抽象度をあげて合意に至ったように見えますが、実際はあいまいにして、すなわちはっきりとしたかたちでなく、玉虫色の結論を出したりするのです。したがってすっきりとした答えはないのですが、なにかうまくまとめたような変な達成感をもってしまったりします。よく政治の世界では考えがあまりに合わないのに利権のために魂を売って一つになることを野合といったりします。みなさんの会議ではそういう感じになっていませんか。あるいはみんなの意見は違うのに声の大きい人や、強い人、ワンマンな人の意見に、左右されてしまって全体のの意思とはかけ離れた結論に至っているということはありませんか。
日本の会議では意思に大きく反して妥協したり、あいまいにしてしまうことが抽象度をあげるなんてことと取り違えてしまっているケースもあるように思います。抽象度をあげるということは大枠でとらえるというかとであると同時に、ものごとの本質に近づくという観点もあるように思います。そうならなければ問題解決にならないからです。ただ単に大枠でとらえるだけなら、やはり理不尽な野合となる危険性を秘めています。
たとえば、一つの例で言うと、商品開発をして新商品をつくるという作業を煮詰める段階にあるとします。ところがいくらつくったところで、実はマーケティングが明確になされてないので全く売れるかどうか分からないのです。というよりも感覚的に売れないとみんなが考えています。でも新商品をつくれと圧力をかけている人はマーケティングの概念がわからないのです。商品をつくってとにかく安くつくりさえすれば、いいんだという短絡的な考えに支配されています。あるいは商品のアイテム数を増やしさえすれば、売上はあがると考えています。ところがマーケティングの必要性を訴える人びとはつくっても売れなかったら在庫として残るし、売れるという確信が得られないものは会社にとっては損失を被る危険性があると反対しています。
ここで抽象度をあげて全員のコンセンサスを得るような結論はどうしたらいいのでしょうか。商品をつくるという目的は同じです。ではとにかくつくってみるというかたちでまとめるのがいいのでしょうか。おそらくマーケティングの必要性を訴える人びとは商品をつくるプロセスにおいて全くモチベーションが上がらない状態で仕事をすることになるでしょう。ではマーケティング、すなわち企業の存在目的からはじまって社会貢献性のある企業理念、経営方針の構築(すでに明確であれば再認識)、そして顧客、競合との関係性やマーケットリサーチをし、市場のニーズや商品の差別化などさまざまな価値創造からなしていくという話です。それをしないと最終的には売れない商品の在庫の山で、ただの失敗する商売レベルで終わります。とてもじゃないけど事業とはいえないレベルだと考えるのです。
そこで抽象度をあげるということが本質を見極め、そこから始めるということになれば、商品開発をマーケティングの段階まで戻していこうという話になります。ところが、そうするとすぐにでも新商品導入を考え、すこしでも商品のアイテムを増やそうと考える人びとにはそんなことをしている場合ではないと考えるのです。またそういう人はマーケティングの重要性がわからなかったりするのです。こうなる抽象度をあげるという方法が前者でも後者でもまったく結論を出す力を持てなくなります。
実はこれは何を表しているのかというと、価値創造とそれをベースにして市場に導入されるべき商品という実用的なモノということになります。前者は無形で、後者は有形です。後者の観点しかもてない人、すなわち人間のタイプで無形な存在に疎い人びとが結構います。現実的というより、目に見えるものしか認識できない人、空気が読めない人に多い傾向があります。そういう人は価値の部分がよく分からないのです。つねに背に腹は変えられない、一時しのぎ的な経営しかできません。急がば回れといった観点もよく理解できないのです。もちろんこのPSIがテーマとしているパラダイムという観点はさらに理解できないということになります。
企業は価値の部分がとても大きいのです。企業の存在目的、それはすなわち企業が社会的に何をもって貢献しうるのか、そして組織の成員までしあわせにできる思想まで兼ね備えているのかということまで重要になります。日本の経済の高度成長時代には、価値創造というより、とにかく日常になくてあったら便利というものを開発すれば、どんどん売れた時代でした。現在はモノがあふれて、それこそもっと奥深い価値創造に根ざしたモノを開発し市場に出さなければ成功はできません。こういったことが理解できない場合、単に大枠でものごとをとらえ妥協して結論を出したところで何か不完全燃焼、あるいは消化不良な会議に終わるでしょう。
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