PSIでは自分軸を確立することにより、有意義で楽しい人生を送ることを提案しています。自分軸という言葉に関してはさまざまな人びとがいろいろな話をしています。今日はPSI的な観点での自分軸といものをお話していきたいと思います。
自分軸を定義するならば、
「自分が何ごとにも左右されてない自然体にある状態での意思とそれに基づく信念」
です。
ここで問題となるのは、では「自分」というのは果たしてなんだろうということです。よくアイデンティティという言葉が用いられますが、人間には自然に備わった意思として帰属意識というのがあります。自分が何者であるのか分からない状態は極めて不安定な状態で、つねに自分の存在価値を明確にさせるために国籍や、性別、家族関係やさまざまな社会における集団への帰属意識が働くのが人間です。
もともと人間は自分の意思でこの世に生を受けたわけではありません。したがって自分の意思というのは先天的というより後天的に備わっていったと考えられなくもありません。いわゆる物心ついたという状況がそれにあたるかもしれません。人によっては前世を覚えているとか言い出す人もいますが、そういった不確定なことや宗教的観点(信じる信じないの世界になる)で論じることはPSIでは扱いません。
ただ親や先祖から受け継いだ性格や癖といったものは血統的に深くDNAの中に埋め込まれているのかもしれません。そう考えると自分の意思というものを形成しているのは先代から脈々と受け継がれたものも間違いなくあるでしょう。いずれにせよ自分という存在、自分そのものが何なのか、これは簡単に一言で答えを出すことは困難です。
「自分」を形成している要素として一つは親から代々受け継いできたもの、そして二つ目は親やその生育環境の中で直接影響を受けたことがらがあげられます。考えてみてください。自分がいま日本以外の国や地域で生まれ育ったなら、いまの考え方や行動をしているだろうかということを。間違いなく、「自分」は家庭環境やいままで出会った人びと、学校教育、マスメディア(テレビ、ラジオ、音楽、映画、芸術……)、そして自分が所属した会社やその他集団組織などなど、あげたらキリがないほど関わりをもって学習したり、影響を受けたりしてつくりあげられたものなのです。
したがって、人間の人格形成は生まれたときからすでに埋め込まれた状態にありながら成長してきたと言っても過言ではありません。そして生まれたときからいわゆる組織へ所属している状態にあるのです。それは家庭であったり、学校、企業、あるいは宗教やさまざまなコミュニティであったりします。そう考えるとどうしても完璧な本来の「自分」というものを確定させることは困難に思えてきますし、おそらく不可能ではないかと思います。逆にそれができると言ってしまうことには思考がカルトチックになる危険性もあるので避けたいのです。妥協するというと残念な気持ちになりますが、実際、人間というものを考えるとき明確に答えを出してしまうとそれは宗教になってしまいます。宗教はある面不確定なことがらに対して明確に(ただ論理性は多少あっても科学性には欠ける)答えを出し、それを信じるという行為により精神的安定感をもたらすという役割があります。宗教の良し悪しを論ずるのでなく、PSIは不確定なことには言及しないということです。ただ科学的に「自分」を明確に定義することは困難です。しかし「自分軸」を確立するという観点ではある程度の結論を出さなければ話が先に進みません。
世間一般でアイデンティティというとやはり人生の中で形成されてきた帰属意識であると考えられます。でもそれらは、本来の「自分」の一部分は現れていても、つくられた、すり込まれた副次的な「自分」の部分が多いと考えざるをえません。たとえば日本を取り巻く領土問題を論じるときには、ここで言うところの本来の「自分」とは直接的には関係ありません。もちろん私は日本人ですので、日本人一般の考え方に同調します。すなわち日本人としてのアイデンティティ、すなわち本来の「自分」+副次的に形成された「自分」による判断です。より大枠で自分をとらえると日本人としての思考に落ち着きます。おそらく日本人、韓国人、中国人はそれぞれアイデンティティ形成がそれぞれ違うので、同じ考えを持つことは困難です。どこまでも通約不可能性による平行線です。うまくいけば理解するところまではいけるかもしれませんが、受け入れる、あるいは同じ考え方をもつというのはおそらく無理でしょう。もしそうなれば一旦自分のアイデンティティをリセットしなければならないからです。ただ郷に入りては郷に従えはどうしても生きていくうえでの知恵として必要であると思いますし、実際そういった行動をとることは当事者になってみない限り批判する権利はないと思います。少々話がそれていますが、PSIのいうところの自分軸が立った人、すなわち本来的「自分」をベースにした思考では大枠のアイデンティティによるところの関係性ではないので、アジア圏であれ、世界中の人びとともうまくつきあっていけるはずです。なぜなら平行線になるところの価値観よりもっと本質的な人間自体が共有できる価値観でつきあえるからです。
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