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2013年1月14日月曜日

体罰について②

前回、体罰に関して意見を述べてきましたが、時代の流れとともに、いままでは問題にもならなかったようなことがらがいまでは大きな問題とされることが多くなりました。いじめ問題も昔の親のアプローチはいじめられたら、やり返して来いでしたが、いまはそうはいきません。

戦後の経済の高度成長時代には、兄弟も多く、地域社会にも子どもたちがあふれていました。いまのように一人っ子が多く友だちもあまりいない時代とは違って、子どもたちだけで社会が形成されていたのです。そういう中でぶつかったり、逃げたり、喧嘩したり、仲直りしたり、親が仕事と家事におわれる中、子どもたちは自分たちで自分たちの問題は解決したのです。そういう中で圧倒的に人間関係のスキルを身につけて、いじめはあってもそれをうまく回避したりする術を得ていたのです。またいじめるほうも、相手に対してどこまでやっていいのかという加減をある程度知っていたとも言えます。手加減という感覚がわかった時代でもありました。しかし、現代ではそういう人間関係の力、すなわちコミュニケーション能力といえるものや、人間同士の間合いなども感覚的にわからないくなってきています。

いじめはいつの間にか傷害事件となり、体罰も暴力事件になっています。いじめの被害者と加害者の問題はその原因が家庭環境にあるということは言われています。ここではそのことには触れませんが、どちらも大きな傷や問題をかかえています。今後教育の分野で必要となるのは、タブーなき家庭での子育てのあり方を研究していかなければならないことです。いじめの加害者になるタイプはどのような家庭環境にあるのか、いじめられやすいのはどのような家庭環境であるのかということに関してです。私は小中学校とどちらの感覚も味わったことがあるので、なんとなくわかる部分があります。もちろん学術的にそういったデータをとって調べていくという必要があると思います。ただ問題はあくまで家庭というプライベートな空間や親たちのプライバシーにも踏み込まなければならないため、こういった研究は簡単ではないでしょう。この件に関してはまた機会があれば論じてみたいと思います。

学校でのいじめや教師による体罰を言う前に、家庭内でのDV(Domestic Violence)の問題があります。DVを行ってしまう親は自分の親から同様のDVを受けていたということがあります。自分はこのような親になってはいけないと思いつつ、実際子どもに対しては自分の親が自分にしたようにしていまうという事実です。人間はダメな親や上司を反面教師として学びますが、知らずのうちに自分がされたように子どもや部下にしてしまうということがあります。特に体育会系の指導というものは間違いなく、代々受け継いできた方法を実践するはずです。指導教官自身も昔受けていた指導方法にのっとって指導するということは当然です。もしそれが変わるとしたら、指導教官が変わるときです。

戦前の軍国主義の時代は全体主義であり、一つの方向性に全体が向かっているため、上官のやり方に異を唱えることはできません。なぜならば上官の指示命令は正しいという前提に立っているからです。ある面体育会系の部活動も一つの目標に向かって全員が取り組んでおり、全員が指導教師に信頼をおいているがゆえに、それに異を唱えることはできないようになっています。今回体罰で自殺された生徒もそのチーム全体の空気は十分読んでいたはずです。それで帰宅して両親にしかその気持ちを打ち明けることはできなかったのだろうと思います。

おそらく彼も指導教師の考えや管理手法に必死でついていこうとしていたはずですし、それに対して批判するという気持ちはもっていたかどうかわかりません。ただ体罰を受けたことに対する悔しさやふがいなさはきっとあったことと思います。実は私も中学校のとき似たような体験をして、彼の気持ちが理解できる気がします。体罰を受けたり、いじめを受ける人びとの傷は受けた人でなければ理解できません。たくさん殴られたり、精神的にあるいは肉体的に傷つけられると、人間はどうなるかというと悔しさから涙が出てきます。それは相手に対する怨みというより、自分という存在を守れなかった自分に対する悔しさです。怨みではなく、恨みです。監督に対する怨みでなく、自分自身に対するやるせない気持ちです。すなわち自分という人間の尊厳が大きく損なわれたことに対する深い悲しみです。難しい言葉で蹂躙という言葉があります。自分という世の中にたった一人しかいないかけがえのない存在が弄ばれたことに対する人間本来の悲しみです。

もちろん加害者となっている人の言い分もあるでしょう。またその人を擁護する人も言いたいことがあるでしょう。しかしここではっきり申し上げたいことは、いじめも、体罰も相手を傷つけることに変わりはないということです。行為としては同じです。相手の尊厳が傷つけられているとしたらそれはすでに犯罪に限りなく近いということを認識するべきです。体罰を行い続けている教師は体罰でしか子どもを管理できない教育、指導スキルの未熟さに気づくべきです。学校も企業も教育、指導などというきれいな言葉で隠して実際は人間の尊厳を弄ぶ慣行ができあがっていないか、まずチェックするべきです。特にその組織のトップにいる人はその部分をいかに注意深く見ていくかが重要になります。

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